2014年09月04日

美空ひばり。

「曼珠沙華」

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仕事で疲れた心には音楽がいい。今夜はYouTubeで隠れた名曲を探していた。あまりヒットはしなかったかもしれないが、名曲はそれこそ星の数ほどあるだろう。そんな名曲を探し当てるのは、鉄人にとって楽しいひと時なのである。

今日聴いていた曲は、

黄昏のビギン ちあきなおみ

暗い港のブルース キングトーンズ

ひまわり 前川清

日差しの中で 布施明

など。そんな中で、美空ひばりのJAZZを見つけた。最近TVのCMで彼女が歌っているJAZZの曲が流れているが、本格的にJAZZを歌っていたとは知らなかった。

演歌ではなくJAZZでも、美空ひばりはやはり桁違いの歌手である。聴き惚れてしまって違う歌手の名曲を探すのを止めてしまったほどだ。

女性のJAZZ歌手では、昔からサラ・ボーンが好きだったが、歌の深みは全く負けていない。「魅せる」という点では女優でもある美空ひばりが凌駕している。何を歌わせても超一流なのだ。まさに古今東西、唯一無二の存在だと改めて感じ入った次第である。

お気に入りは、「スターダスト」「プリテンド」辺りか。ジーニアスひばりを久しぶりに堪能した。


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2014年09月03日

緑丘団地。

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「八木蛇落地悪谷」が気になり、ちょっとネットで調べてみた。そこに出て来たのが三枚の写真である。一枚は水害の前と後。もう一枚は水害以前の写真に濁流が通った後を黄色で示したもの。最後は山側から撮ったものである


気がつくのは、濁流が団地をほぼ完全に避けていることである。特に黄色で水の流れを示している一枚は、その様子が明確に見て取れる。果たして偶然だろうか。

水の流れと同じ幅だけ建物を空けて建てている様に見える。またふたつの流れの間にピタリと納まっている様にも見える。鉄人には偶然の様には見えないのだが・・・。

まさか・・・。地名のことといい何か「曰く」がありそうな場所である。
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2014年09月01日

難しい時代。

「午後の語らい」

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「女性にカメラやスマホを向けただけ、シャッターを切らなくても警察に捕まります。」これが今の世相である。

正直カメラマンの仕事が成り立たなくなりそうである。例えば、鉄人お祭りの撮影の仕事を受けることがある。お祭りだから踊り子や見物人でごったがえする。祭りの熱気を捕らえるには、それこそ機関銃の様にカメラを連写する様になる。

そこには多分女性もいるだろう。その女性にカメラを向けている意志がなくても、その女性に訴えられれば鉄人は逮捕される可能性があるのだ。

許可を貰って撮影をする場合も当然あるのだが、そんなときは相手が既にカメラを意識しているので大体面白い写真にはならない。素の表情はカメラを意識していない場合の方が出て来るものだからだ。

残念ながら普通の撮影か盗撮かの線引きは難しい。カメラマンはシャッターチャンスが命なので、その様なチャンスが巡ってくれば、躊躇なくシャッターを押す。それがカメラマンの「性」(さが)である。

そこに盗撮という意識がなくても、相手が不愉快な思いをすれば、結果的に「盗撮」という犯罪が成立することになる。

今日の写真である。カンボジアのアンコールワットで撮影したものだ。若いお母さん同士が楽しそうに談笑している。「いいな」と感じた瞬間もうシャッターを押していた。その間1〜2秒である。そして今、その切り取られた「一瞬」が作品として目の前にあるのだ。

こんなとき、お母さんが鉄人に気がついて、もし訴えたとしたらどうなる。日本なら鉄人、逮捕されるのである。写真を撮られ、不快な思いをさせられたことがある女性も沢山いると思う。訴えたい気持ちも勿論分かる。難しい時代になったものである。

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2014年08月31日

職人。

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写真は一見何の変哲も無いただのドアである。昨日、スタジオに付けてもらった。以前はドアの向こうは事務所でシャワーカーテンで簡易に間仕切りをしていたのだが、母親の部屋になったのでちゃんとしたドアを付けることにしたのだ。

昨朝、建具屋さんに来てもらって付けてもらったのだが、やはり職人は良い。鉄人、職人が好きなのだ。このドア
、枠は大工さんの手による。いわゆる共同作業である。ただのドアではあるが、その仕事の何処にも齟齬がない。
ドアの開閉は極めてスムーズで、母は感嘆していた。

今回お願いした大工さんも建具屋さんも大ベテランの人たちで、職歴は60年と伺い驚く。15歳でこの世界に入り御歳75。今だ現役である。素晴らしいことだ。

彼らベテラン職人の特徴は、技術の高さは勿論のこと、無駄が無い。仕事が早い。時間を守る。ボラない。余裕がある。誇りがある。そして楽しそうである。

鉄人も職人である。彼らの生き様は手本なのだ。実は今回の仕事、最初は別の工務店に頼んでいた。大工の知り合いがいなかったので、友人に紹介してもらったのだ。だが忙しいのか見積もりをくれた後一向に連絡がこない。痺れを切らした鉄人は、近所の世話役の人にお願いし、今回の職人さんたちに来て頂いたのである。

レスポンスも素早く見積もりも随分違っていた。後の方が大分安かった。また見積もりの詳細も明解そのもの、一点の曇りも無い生き方をされている証拠である。

先に紹介してもらっていた工務店がモタモタしていたからご縁が出来たのである。まさに塞翁が馬と言えよう。

今日、直接お金を支払ったのだが、その際お米を少々いただいた。近所で出来た美味しいお米らしい。かみさんのハートを一瞬で掴んでしまった様だ。することがさりげなく気が利いている。

職人は良いのだ。



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2014年08月30日

再訪。

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一週間ぶりのボランティアである。今回はかみさんも同行した。昼過ぎまで撮影をしていたので、現地に着いたのは午後二時を過ぎていた。ただ自分の体力を考えれば、夕方までの3〜4時間が適当だと思われたので妥当な線である。

最初の写真は、一週間前のブログに載せた写真のその後である。カメラマン仲間の家の前の様子を撮影したものだが、車が撤去され、道路に堆積していた土砂も大分除かれていた。道の両側に積み上げられている大量の土嚢は、土砂を運搬するのに都合が良い為である。

今日は土曜日だったので、大勢のボランティアでそれこそごったがえしていた。途中から参加した鉄人夫婦の出る幕は無い。それで知人宅の掃除をすることにした。

土砂は大分取り除かれていたが、家の中はその痕跡でかなり汚れていた。そこで雑巾を使い、壁や床、家具などを綺麗にしていったのである。たいしたことは出来ないが、誰かがいずれしなければならないこと。黙々とやるだけである。

帰り際、道路を塞いでいた堆積物がかなり取り除かれていたので、土砂崩れの上流まで足を運んでみた。その姿は
、息をのむほどの悲惨さで言葉を失った。壊れた家々の様子は、土砂崩れの直前まで普段の生活をしていたことが偲ばれる。その生活は永遠に戻ってはこない。何と無常なことだろう。

被害が大きかった山手の家々は道路の確保がまだ出来ていなくて、ほとんど手つかずである。30mほど下りていった場所で大勢のボランティアが活動しているのと対照的に、ここはまだ深閑としていて災害当時のまま時間が止まっているのだ。

まだすべきことが限りなくある。時間を見つけてお手伝いが出来ればと思う。


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油断。

「出航」

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本日はプロ3名がドジった話。昨日息子にカメラのレンズを買ってくる様に頼んだ。頼んだレンズは、ニコンのフルサイズ用の28〜300ミリ。

今朝、早速仕事に使おうと新品のレンズをカメラに装着したら何か違う。ファインダー内にデジタルサイズの枠が出ている。何と息子が買って来たレンズは、フルサイズ用ではなくデジタルサイズ用のものだったのである。

そのことに、買って来た息子も、売った店員も、昨夜そのレンズを確認していた鉄人も全く気がつかなかったのである。

3名ともその道のプロである。レンズの売買で種類を間違えるはずが無い。安いものならともかく、レンズはそれなりの値段がする。慎重になって当たり前。ありえない話だ。でも現実に間違えたのだ。

息子は注文の内容を間違えてはいない。間違えたのは店員である。でも普通確認するだろう。息子は確認していた
。だが確認したのは試し用のデモ機だったのである。

購入する新品のレンズは箱の中に入っている。商品名が違うので箱に書いてある文字を読めば間違っているのが分かるのだが、店員が間違えるはずがないと信じ込んでいるから特に調べなかったらしい。

鉄人も然り。プロカメラマンの息子が買って来たものだから間違えているなんて思いもしない。息子が箱からレンズを取り出している様子をチラッと見ただけで終わりである。

普通レンズを見たら流石に間違いに気づきそうなものであるが。ましてや鉄人が注文したレンズは、既に一本息子が持っているのである。でも全然気がつかない。そして今朝、ファインダーを覗いてみて初めて間違えていることに気がついたという訳なのだ。

油断である。カメラマンだからレンズの購入は一般人より多いだろう。カメラ店の店員はそれこそ年中カメラやレンズを売っているはずである。誰も間違わないと思っているのだ。

伏線はあった。実は店員は新人だったらしい。鉄人は普段撮影機材を購入する場合、窓口をひとりの店員に決めている。その方が責任の所在やサービス、情報の入手に都合が良いのだ。でも間が悪く休んでいた様だ。それでも鉄人なら頼むときはベテラン店員を選ぶ。新人なら多分若者である。息子は若い者同士話し安かったのかもしれない


人間は間違いをする動物である。多分他の動物より多い。年がら年中写真を撮っている鉄人でも仕事上のミスはある。間違った店員に対して責任を問うのは簡単である。しかし確認を怠ったこちら側にも非はある。レンズが無くて困るのは鉄人なのだ。

困らない為には、大丈夫だと思っていても確認作業を怠らないことに尽きる。その一手間が自分も相手も助かることになるのだから。




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2014年08月28日

ボランティアについての一考察。

「雨地蔵」

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よくボランティアは人知れずするものだ。という考え方がある。しかしボランティアの元々の語源は、「志願兵」とか「義勇兵」といったもので、正規の兵隊ではないが自らが志願して戦場に赴いた者のことを称する。

だから結果的には人知れずするものにはならず、必ず誰かがその人物の存在を知る事になる。ことさら吹聴するものでもないが、さりとて意識して黙するものでもないような気がしている。

鉄人は、自分の行動をオープンにブログに書く事にした。自分が体験してみて気づいた事、失敗した事、予想外だった事、良かった事などを素直に感じたまま書いている。

ボランティアに出かける前にまず準備が必要である。被災地の知人に電話を掛け、現場の状況と必要なものを確認した。次にボランティアをする為の装備である。軍手二枚、手ぬぐい、汗が乾きやすい軍用のシャツ、怪我防止の為の長ズボン、日よけ用ツバのある帽子、泥土用の長靴、命の水が入った水筒、携帯電話を用意した。

現場で迷惑を掛け無い事が肝要だからだ。ところが息子。鉄人のボランティア活動の話を聞いたからか、後日友人達と被災地にボランティアに行ったらしい。そのことは素晴らしい事だが、服装は普段着のまま、現地の天候は雨模様、何もすることはなく帰る羽目になった。

ボランティアも学びの場なのだ。無計画にやればかえって迷惑を掛けたり危険な目にあったりすることにもなりかねない。ボランティアを人知れずやり、周りにその情報を伝えないことは勿体ない事だと鉄人は思う。もっと情報を正確に息子に伝えればよかったと後悔している。

今回ボランティア活動を体験して気がついたことは、ひとつは「老化」である。考えていた以上に疲れた。ひとつは利他的国民性である。また伝承の正しさ大切さ。自然のサイクルについて。無常。空。死。運命。など・・・。

たった半日の活動で、これだけのものを具体性を持って意識する様になった。これが実践のなせる技である。本当の学びは実践の中にしかないと感じるのである。



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2014年08月27日

蛇落地悪谷。

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「蛇落地悪谷」。何とおどろおどろしい、そして意味深な名前だろうか。今回、土砂崩れの被害が最も大きかった八木地区の昔の呼び名である。そしてこの地にある神社には、昔の水害の様子を描いた絵も残っていたのだ。

昔は蛇が落ちてくる様に見える水害が多かったので、「蛇落地」。その様な悪い環境の谷なので、「悪谷」。合わせて「蛇落地悪谷」(じゃらくじあしだに)と名付けられた様である。個人的には(じゃらくじあしや)だと思う


その「八木蛇落地悪谷」(やぎじゃらくじあしや)が、「八木上楽地芦屋」(やぎじょうらくじあしや)と改名され、現在は「八木」だけが残っている。今回土砂崩れがあった場所は、今回が初めてではなく、昔から何度も水害を繰り返して来た場所だということになる。

そう考えれば、今回の水害もたまたまではなく、必然であったのではないだろうか。水害に限らず、地震も津波も火山の噴火も周期的に起きている。先人達は自分達が受けた苦しみ繰り返さない様に子孫に伝えようとして、地名であったり口伝であったり、碑や絵を用いて警鐘を鳴らしていたのだ。

ニュースの映像を観ていると、まさに何匹もの大蛇が山の頂から住宅地に向かって、蛇行しながら一気に落ちて来ている様に見える。言い伝えは真実だったという証拠である。

改名は多分他にもあるに違いない。地名には意味があるのだ。我々は先人達の残した教えにもう一度耳を傾けるべきではないだろうか。





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2014年08月25日

ダメージ。

「ふる里の海3」

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体が痛いのである。明日、整体に行く。わずか数時間スコップで土を堀り土嚢を幾つか積み上げただけなのに体が悲鳴を上げている。情けない話だ。

少々頭も痛い。これは軽く熱中症にでもなった名残りだろうか。とにかくダメージがあるのは確かな様だ。ちょっとしか動かなかった鉄人でさえこの状態なのだから、被災地で毎日作業をしている人たちがどれだけ大変か。体験してみて初めて分かることなのかもしれない。

現地で感じたことがある。とても静かなのだ。正直大惨事が起きた現場とは信じられない。後片付けや二次災害への備え、不明者の捜索など、自分がするべきことを皆が淡々とやっている。

被災された方達も特に深刻な表情ではなく、たまに笑顔も見られた。これからが大変なのは現実なのだが、それで取り乱してはいない。その静かな様子を見て鉄人はとても不思議な気持ちになったのだ。

日本人の特質なのかもしれない。日本人は古から活発な大自然の動きに翻弄されながら生き延びて来た。人間にとって自然は恩恵をもたらすが、反面畏怖すべき存在でもある。人間の力ではどうにもならない相手に対し、一種の「諦め」があるのだと思う。

今回の災害で亡くなられた方の関係者の様子を見ていても、犯罪や事故での落命とは異なり、その「諦め」が表情に出ている気がした。

悲しくないのでは勿論ない。ただ自然には勝てないという「諦め」が、こころを幾らかでも静かにするのではないか。

今週末も時間があればまたボランティアに参加したい。今度はかみさんもつき合うと言ってくれた。女性にしか分からない気づきもある。夫婦で少しでも役に立てれば幸いである。




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2014年08月24日

また雨・・・。

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また雨である。降り方はさほど酷くはないようだが、緩んだ地盤にはどのような影響が出るか予断を許さないので
被災者の救助と復旧作業が度々中断する。不安な日々を送られている関係者には無情の雨である。

写真は昨日鉄人がお手伝いをした場所である。写っていないが左真横にカメラマン仲間の自宅がある。その前にある道を二台の自動車が塞いでいる。彼の車ではなく何処かから流れて来たと言う。

実はこの二台の車の影響で、山から流れ出た濁流の方向が変わったらしいのだ。この二台が堰になり、行き場を失った濁流が写真左にある彼の家に一気に押し寄せたそうだ。彼はその時「もしかしたら死ぬんじゃないか」と覚悟したと言っていた。

この道路は緩やかで真っ直ぐな下り坂になっているので、この二台が無かったら濁流はそのまま下って行ったはずで、彼にとっては不運であった。ただ彼の家から10mほど離れた場所の家は跡形も無い。まさに間一髪だったことになる。

鉄人は、車の周りの土を掘ってみた。車の下の土を除くことで堰に穴が空けられないかと考えたのである。無駄であった。車どころか車が堰になって止まった流木さえビクともしないのである。

人間一人の力など自然の前では何と脆弱なものであろう。人間は助け合わなければとても生きていけないものだとつくづく思う。

このところの自然災害は地球温暖化と無関係ではない。その温暖化は人間の営みがもたらしたものだ。そして温暖化の影響を受けた自然災害の規模は今後もっと巨大になると専門家は警告している。鉄人も同意である。

原因がありそれに縁が作用して結果を生むのだ。我々は地球から何処へも行けないのにその地球を必要以上に傷つけている。この傲慢な行為への代償は必ず支払うことになるに違いない。
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