2014年10月22日

老舗物語。

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ものごとは続くときは続くもので、昨日また鉄人が撮影した写真が載っている見本誌が送られてきた。本のタイトルは、「ひろしま老舗物語」。最近、広島市を中心に書店で販売されている。

広島ホームテレビの人気番組「あっぱれ熟年ファイターズ」の中で取り上げられた老舗を本にしようと企画されたものだ。

鉄人だけが撮影を担当した訳ではないが、結構携わっている。実はこの企画に参加するまで、「熟年ファイターズ
」をテレビで観たことがなかったのだ。打ち合わせのとき、担当者は当然鉄人がその番組を観ているという前提で話を進められたので、鉄人が観たことがないことを知るとがっかりした表情をされちょっと気まずい思いをした。
それからはテレビでその番組を努めて観る様にしている。

本の内容は、広島県にある老舗の今昔物語と言える。創業当時の苦労話や、その後の発展などの様子を写真と文章で紹介したものである。

広島市には、何百年と続いているような老舗は少ない。原爆で無くなったからだ。だから大体50年以上を基準に「老舗」としている。鉄人、この老舗というのが好きで、仕事ではあったが大変興味深い経験をさせてもらった。

鉄人は広島の生まれではない。広島の老舗に対する思い出や思い入れは少ない。どちらかというと新しい世界を知る楽しみなのである。この本で取り上げられている老舗は、大企業から街の小売店まで大小様々である。小さな店から始まって今や知る人ぞ知る存在になった大企業もあれば、創業当時から何も変わっていない老舗もある。

それぞれが長い歴史を刻みながら生き抜いてきた訳で、それぞれに興味が尽きない。この本で紹介されている老舗は約30余り。まだまだ数多くの老舗が存在する訳で、この本に載っている老舗以外の老舗も何時の日か訪れてみたいものである。


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2014年10月21日

母とのその後。

「地蔵仏」

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ついにかみさんが匙を投げた。母に対してである。かみさんは冷静で優しい人間なのだが、そのかみさんをしても鉄人の母は手に負えない人物の様である。

鉄人と息子たちはとっくに匙を投げていたのだが、かみさんだけは辛抱強く母の世話をしていた。だが限界に来たみたいで、今日初めて母に対して啖呵を切ったらしい。

かみさんが啖呵を切ったのは、つき合い始めてから一度も無かった。そのかみさんが啖呵を切ったのである。相当腹に据えかねることを母に言われたのだろう。

来るところまで来た感じである。で、これからどうすれば良いのかを考えてみた。親子だろうが肉親だろうが、合わないものは合わない。

こちらもストレスが溜まるが相手も溜まっているはずである。この上手くいかない原因は何処にあるのかと考えてみれば、母は集団生活には向かない人間だという結論が出た。

孤独と引き換えに自由気ままに生きてきた人間を、鉄人家族という集団の中に入れ、鉄人家族のルールに従わせるのは基本的に無理なのだ。

掃除はしない、風呂は嫌い、話は聞かない、食事は自分が食べたい時に勝手に摂る。今までこれらのことを、我が家のルールに従わせようといちいち注意をしてきた。

しかしまったく直らない。鉄人は注意しても無駄だと悟ったのである。母は自分自身のルールでこれまで生きてきたのだ。掃除をしないのも、風呂に入らないのも、好きな時に食事をするのも、それが自分にとって都合が良いからやってきたことなのである。

鉄人家族のルールに従わせるのは、母にとっては不都合であり苦痛以外のなにものでもない。そして我が家のルールに従わない母を面倒見る我々も、苦痛以外のなにものでもないのである。

そこで母を好きにさせることにした。掃除はご自由に、汚くても知りません。風呂も誘いません。入りたかったらどうぞ。食事も食べたい時には声をかけてください。と、こちらの都合で世話を焼かないことにした。

その代わり、母の部屋のドアは閉める。匂いが我々のところに来ては困るからだ。こちらも客商売をしているからである。ミーちゃんも我々が家にいる時以外は母の部屋から出さない。放っておくと悪戯が過ぎるからだ。

要するにひとつの屋根の下に世帯がふたつある、いわゆる二世帯住宅にしたのである。食事は母が望めばかみさんが作ってくれる。洗濯物も出せばかみさんがやってくれる。二世帯と言っても玄関がふたつある訳でもない簡易的なものだから、母の様子は分かる。

母は孤独を感じてるだろう。不満もあるだろう。でも引き換えに無くしかけていた自由はある程度取り戻せるはずである。

元々母は幼い頃の孫を可愛がっていた訳ではなし、かみさんに協力的だった訳でもない。だから鉄人家族と仲良く出来ない今の状況は仕方が無いとも言える。因果応報なのだ。

考えてみれば、鉄人は母が老齢になり一人暮らしが心配で同居を決めたのだ。母はそれに応じたのだけれども望むものではなかったのかもしれない。取りあえずこれからはこのやり方でやってみる。結果がどのようになるかは定かではないが、上手くいくことを望むだけである。
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2014年10月20日

光と影。

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今日、鉄人が撮影した写真が載っている経済雑誌の見本誌が届いた。日本酒愛好家なら直に分かる「獺祭」の社長を撮影したものである。

「獺祭」は、旭酒造という山口県にある酒造メーカーが製造している。その人気は天井知らずで、製造が間に合わないどころか日本酒用の米の生産が必要量に届かない状態なのだ。

社長の名前は「桜井博志」。写真で分かる様に、スマートで温厚なナイスミドルという感じの方である。直接お会いしてもイメージそのままの方で、何時もニコニコされていて腰が低い。成功者にたまに見受けられる尊大な様子は皆無である。

鉄人も撮影で旭酒造を訪れることが多い。それだけ注目されている酒蔵だからだ。桜井社長は、飛ぶ鳥も落とす、まさに「時の人」と言えよう。

これだけ人気があり注目されている酒蔵の社長だから、さぞかし輝かしい経歴をお持ちの方だと想像しがちだが、実は全くその反対で、以前は自殺を考えるところまで追いつめられた経験をされているのである。

その経緯は、この雑誌「Associe」や関連本を読んで頂きたいのだが、そのご苦労は尋常じゃない。人生の辛酸を嫌というほど舐められている。

自分も含めてひとは成功者の「光」の部分だけ見ることが多い。そして憧れたり羨ましがったり嫉妬したりするのである。しかしその「光」には必ずと言っていいほど「影」があるのだ。

新規事業に失敗して多額の借金を抱えたり、時代の変化を見誤ったりと、成功の影には様々な困難も待ち受けているのである。

では成功者はその困難をどのようにして乗り越えてきたのか。桜井社長は「道理」の大切さを語られる。「どんなに努力しても上手くいかないときは、何か道理を間違えている」のだと。

鉄人もその通りだと思う。何事も何故か上手くいかないときは「何かを間違えているのだ。」

他人のせいや世間のせいにしても仕方が無いのである。自分の考え方やり方の何処かが間違えているのである。上手くいかない現実を直視して、それを修正していく必要がある。

「光」には「影」はつきものだけれど、自分が光輝く為には「影」が不可欠でもあるのだ。釈尊は、人間に生まれたときにしか修行は出来ないと説かれている。それは人間という生き物は、放っておくと悪いことばかりする生き物なのだが、反省し修正出来る唯一の生き物でもあるからだ。

桜井社長は、悪いことをされていた訳ではないが、結果が出なかったということは、間違っていたのだ。しかしそれを反省し修正されて、今日の成功を掴まれている。

鉄人が自分の人生にまだ満足が行けていないのなら、何か道理を間違えていることになる。反省し修正しなければならぬ。
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2014年10月19日

ドライブ。

「大水車」

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雲ひとつない秋空。爽やかな気候、そして日曜日。これだけの条件が揃えば必ず聞こえてくる悪魔の囁き。そう、かみさんの「何処かドライブに連れて行け」。

家でゆっくり休みたい気持ちもないではなかったが、鉄人もこの青空を逃すのは勿体ないと思い、ドライブに行くことにした。

この気候なら観光地は多いだろう。駐車場を見つけるのも苦労しそうだ。ならば渋滞していないだろう田舎にしよう。と考え山口県錦町にある道の駅「ピュアラインにしき」を目的地に決めた。

廿日市インターで高速に乗り岩国で下りる。そこから道の駅までは小一時間である。かみさんが道の駅に行きたい目的は、主に新鮮な野菜を買うことにある。

野菜は午前中にはほぼ売り切れる。朝の9時に家を出れば10時半には着く。その時間ならまだいろんな野菜が買える、という段取りであった。

ところが人生何が起こるか分からない。のっけから躓く。廿日市インターにあるETC専用のゲートが二つとも閉鎖されていたのである。

渋滞である。渋滞を避けようと思い練りに練った計画は、最初の段階で水泡に帰したのだ。なんとか廿日市インターのETCのゲートを潜り、岩国で下りようとするとまた渋滞。ETCの代わりの用紙で割引の手続きをする為の渋滞である。

ブツブツ言いながら錦川沿いの国道187号を北に走っているとある看板をかみさんが見つけた。「日本一の大水車」とある。行ったことないから観たいと言い出した。今度は寄り道である。

行くと大水車の横にそば屋があった。かみさんは大のそば好き。こんなシチュエーションでそばを食べることもあまりないだろうからと鉄人が薦めた。なかなか美味しかったらしくかみさんはご満悦だったが、還りに一言。「ここ来たことあったわ」。

そんなこんなで目的地の「ピュアラインにしき」に到着したのはお昼前になっていた。野菜ももうわずかしか残っていない。売れ残りなので買う気も失せる。仕方がないので名物らしい「さしみこんにゃく」を購入した。

後は帰るだけである。帰る方角は寂地峡を通り吉和を抜け、湯来町そして我が家のある五日市へのルートを選択する。他の車もほとんどいなくて極めて快適なドライブであった。

途中、野菜の販売所を見つける。近所の農家のおばさんたちが売る気もなさそうに座っていた。やはり売れ残りばかりである。でもかみさん手ぶらで帰るのか悔しいらしく、その売れ残りの野菜を買っていた。

家に戻って、さっき買った野菜の中から柿をひとつ剥いて食べてみた。これが抜群美味かったのだ。百円で五つあったのでひとつたった20円也。

そのたった20円は、今日のドライブを見事に締めくくってくれたのである。
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2014年10月18日

隣の芝生。

「慈雨2」

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「隣の芝生は青く見える。」とよく言う。自分が置かれた状況よりも他人の方が良く見えてしょうがない。仕事もそうである。

我々は自分の仕事で毎日苦労をしている。何か他の仕事の方が楽しそうだ。楽そうだ。儲かりそうだと思ってしまう。

そこで道元は諭した。「我が道にあらず己(おの)が分にあらざらんことを修(しゅ)するは即ち非なり。」とにかく自分の仕事に没入せよ、只今現在にベストを尽くせということだ。

「器用貧乏」は結局大した仕事の実績を残せない。人間性も中途半端の成長しか望めないのである。鉄人には耳が痛い話だ。

鉄人は長く写真の仕事をしているのだが、それ以外の仕事に浮気心が無かったかと言えば嘘になる。知人の「宇宙エネルギー商品」の店に出資したり、出資者を募って「健康食品」の会社を立ち上げたりもした。

そのいずれもが中途半端、儲かりもせず実績も残せず挫折したのだ。「隣の芝生が青く」見えていたのである。

遠藤弁護士は語る。「人間一芸に秀ずれば百芸に秀ず」。ひとつのことを掘り下げて超一流のスペシャリストになれば、人間味豊かな人物になれる。そういう人物は他のことに対しても的確な意見を述べることが出来るのだそうである。

イチローは野球という一芸、白鵬は相撲という一芸、北島三郎は歌手という一芸、その一芸以外は素人である。しかしその一芸を極めた人物は、なんびとも認める偉人になるのだ。

右顧左眄せず自分に与えられた天職を極める。ひとつの道を極めることこそ大切だと今更ながら教えられたのである。
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2014年10月16日

鉄人はいない。

「慈雨」

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道元の言葉に「我が身をだにも真実に捨てぬれば、人によく思われんと謂(おも)ふ心は無きなり」というものがある。

己というものはいないと思えば、人によく思われたいとかという気持ちは起きない。人によく思われようと望むのは、自分というものがあると思っているからだと道元は諭す。

遠藤弁護士は、以前「暴力団対策法」に反対し暴力団の弁護を引き受けたことがある。その為世間から大変な非難を浴びた訳だが、「法の下の平等」は暴力団とて同じだと断固として国家と戦っている。その弁護料は受け取っていない。

遠藤誠という人間は幻でありこの世に存在しない、となればどれだけ世間から非難されても平気なのだと遠藤氏は述べている。

人からどう思われても構わないが、その行為は「人の為に善事をなす」ことでなければならない。しかし見返りは求めない。カネも名誉も命もいらず善事をなす生き方をしている人間には、怖いものなど何もなくなる。これが最も素晴らしい生き方だと道元は説かれたのである。

「諸行無常」すべてが変化するものに実体があるはずもない。鉄人もまた現象であり幻なのだ。遠藤氏は道元に触れそれに気がついた。そしてそれを実践により体現したのである。

鉄人も気づいてはいる。でもなかなか我執を捨てきれないでいる。「人の為に善事をなす」ことでそれを突破していきたいと思う。

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2014年10月14日

貧乏が一番良い?

「夕暮れに咲く」

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最近、遠藤誠氏著の「道元『禅』とは何か」を読んでいる。難解な道元の名著「正法眼蔵随聞記」を現代語に訳してあり、我々にも正法眼蔵のエッセンスを理解出来る様にしてある好著である。

遠藤誠氏とは誰ぞや?彼はあのオウム真理教事件で、教団から弁護を依頼された辣腕弁護士である。若い頃は放蕩三昧で自殺未遂まで起こしているが、仏教に触れ生まれ変わったという。

この本は抜群に読み応えがあるのだが、その中に「貧乏が一番良い」という道元の教えが出てくる。「衲子(のっす)の用心は仏祖の行履(あんり)を守るべし」とある。

「衲子」とは仏教者(禅者)のことで、「行履」とは、生き方死に方のことになる。「仏道を歩む者は、釈尊の生き方を守りなさい」ということだ。

その釈尊の生き方が「第一に、先ず財宝を貪るべからず」なのだ。釈尊は全く財宝を貯えられなかった。その生き方を我々弟子たちも倣うべではないかと道元は問うたのである。

遠藤氏は弁護士である。彼の元に来る依頼のすべてがカネや財産のトラブルだと述べている。要するに持っているから人と喧嘩になるという事実を、彼は職業柄嫌という程思い知らされている。

その彼が同意した道元の言葉には抗い難い真理の響きがある。生きる為に必要な最小限の収入があれば事足りるのだ。

「いまだに財宝に富み豊かにして仏法を行ずるとは聞かず」。金儲けと仏法を実践することは、相矛盾していると道元は喝破したのである。

鉄人も小遣いも貰わないし、買い物もほとんどしない。私物はパソコンと本くらいのものである。そのパソコンも本も他人が見よう思えば何時でも見れる。鍵などないのだ。

何か不足かと言えば、個人的には特に不足は感じない。欲を出せばキリが無いが本当に必要なものは何だろうかと考えれば、物質的なものでは思い浮かばない。もう足りてるのである。小学生より何も持っていないけど。

釈尊は元王子、道元は公家の出、遠藤氏は儲けようと思えばいくらでも儲けられた凄腕弁護士。それぞれがそれを捨てている。「貧乏が一番良い」、う〜む、やっぱりカネは欲しいが分かる気はする。
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2014年10月11日

お神楽。

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今夜は近所の八幡神社でお神楽をやっていた。毎年行こうかどうしようかと迷うのだが、お囃子に誘われてやっぱり今年も観に行くことにした。

まずはワンカップ酒を購入する。約15分ほどの道すがらそのワンカップ酒を飲むことで、日常の感覚を麻痺させ幻想の世界へ誘われていく。

ポケットに入れたスルメをかみさんとふたりで分けながら、お神楽の舞台である八幡神社にゆらりゆらりと向かうのである。

今夜の神社は何時もより観客が多い様な気がした。多分、連休の終わりの方は台風の影響で外出もままないだろうから取りあえず今夜楽しもうという気持ちなのかもしれない。鉄人夫婦がそうだった様に。

鉄人は神楽そのものには特に興味はない。老若男女が神社という場所に集まり、非日常の世界を楽しんでいるのを俯瞰気味に観ているのが好きなのだ。

親子が金魚すくいしている。フライドポテトの夜店に大勢並んでいる。舞台の裾に子どもたちが集まっている。舞台では夜叉が舞っている。それはまるでひと時の幻想の世界である。

今、NHKの朝ドラで外国人の女優が主人公の「マッサン」をやっている。そのドラマではやたら抱擁のシーンが出てくる。鉄人も本名が「正弘」だから「マッサン」である。

なのでドラマの真似をして、酔いにまかせてかみさんの肩に手を回してみた。これがドラマみたいにはいかない。
普段やっていないせいか即座に却下。鉄人の手はお神楽の夜叉の様に宙を舞ったのである。

小一時間ほどして家路につく。還りは二本目のカップ酒を開ける。暗い夜道を小さな子どもを連れた家族が帰っていく。幼子がしきりに親に話しかけている。お神楽の話だろうか。

ほろ酔いでゆらりゆらりとそぞろ歩く。もう一度かみさんの肩に手を回す。やはり却下であった。
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2014年10月09日

ハイテンション。

「秋の陽」

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今、鉄人の仕事は繁忙期の真っただ中なのだが、その分身体がキツイ。疲れが溜まって体中がゴワゴワになっている。

今日は繁忙期の仕事の中でもかなりハードな仕事をしていた。朝から始まり撮影終了予定は、夜の9時か10時。
クライアントの担当者もその仕事時間の長さを思うのか顔が暗い。鉄人も体調が優れない。

予定通りに終われるかどうかも怪しい雲行きである。さて、結果はいかに。結果は何と夕方6時には完全に終了したのである。

鉄人は気持ちを無理矢理ハイテンションに持っていき、ギアを2〜3段上げフルスピードで撮影をすることにしたのだ。疲れた身体でダラダラ仕事をやったら効率が悪くなり時間も掛かり、もっと疲れて結果も良くはならない。

こういうときは気持ちを奮い立たせてテンションを上げるのだ。鉄人は元々撮影のスピードはもの凄く速い。ただ何時もなら万年疲労なのでチンタラやることになる。そこで疲れを感じる暇がないほどギアを上げてみることにした。

ギアを上げるということは集中力を上げるということである。脇目も振らず目の前の商品の撮影に没頭する。不思議なことに集中力を上げると迷いも無くなる。その商品を撮る為のベストな方法が瞬時に出てくるのである。迷いがなければ仕事のスピードは格段に速くなる。従って撮影時間も短くなるという訳である。

手伝ってくれてるかみさんは元々体力は鉄人の比ではない。余裕で仕事をこなしていた。

思いの外撮影が早く済んだのだが、喜んでくれたのはクライアントの担当者である。成果が同じなら時間が短い方が良いのは言うまでもない。でも自由業の鉄人にはそこら辺の感覚が疎い。

仕事が早く済んだのは良いのだがやはりしわ寄せは来た。仕事終了後は完全に腑抜けになったのである。帰りの運転の辛かったこと。集中力が欠けているので事故が心配、法定速度より遅いスピードで、帰宅時間で混んでいる山陽道をソロリソロリと帰還したのであった。





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惨敗。

「人知れず咲く」

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今日、連日撮影していた顔写真がやっと終わった。撮影より人の呼び込みと片言の英語を話さなければならないことにホトホト疲れた。

その英語だが、何とか通用すると思っていた鉄人が甘かった。全然通用しないのである。こちらから外国人に撮影の説明をしている場合はある程度大丈夫だったのだが、質問されると英語が全く聞き取れない。

take a pictureは分かるのだが、took a pictureになるとtookが聞き取れない。というかtookは聞こえているのだが、tookの意味が直に出てこないのである。

後で「ああ、takeの過去形だったなあ」と思い出すのだが手遅れである。そんなこんなで外国人に質問される度に鉄人の顔は赤くなったり青くなったりはたまた白くなったりと、まるで人間カメレオンといった具合であった。このときその無様な様子を近くで見ていた人物がいた。かみさんである。実にカッコ悪い。

考えてみればここは日本なのだからネイティブな英語で質問する方がおかしい。ほとんどの日本人が分かるはずないのだ。ところが不味いことにこの企業の日本人社員は英語が堪能な人が多い。普段から日本人と英語で会話しているのでカメラマンも英語が分かると決めつけている訳である。

この会社が特別なのですよ。外国人の方。周りが皆英語を話していると、英語がとても簡単な様に思えてくる。本格的に英会話を習いたくなったのだが、冷静に考えてみると、英会話を習っても普段それを使う機会はまず皆無である。

金と時間の無駄だ。若くもないから時間は有効に使いたい。従って英会話は諦めた。今まで通り仏道に邁進するのみである。




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