2014年07月12日

最高!!

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これは無類に面白い。今日買った本のことである。タイトルは、「学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶応大学に現役合格した話」とべらぼうに長い。

一昨日「ほんまでっかTV」を観ていたら、この本の著者が出演していた。塾の講師なのだが、心理学も随分学んでいるらしい。他方、会社も幾つか経営している様だ。

彼は学年ビリの生徒を1年半教えて慶応大学に一発合格させている。その彼の話に興味を持った鉄人は、何故彼女が合格出来たのかを知りたくて本を購入したという訳である。

彼女は最初、日本の地図を描けと言われて、丸をひとつ描いた。聖徳太子を「ふとこ」と読んだ。三英傑を「ええケツ」とも読んでいる。そのときの彼女の学力は小3並み。そこから1年余りで慶応に入ったのだ。

彼女が先生の薫陶を受け、学問に引かれて行く流れが実に面白い。鉄人が学生の頃この講師に出会っていたら、鉄人の人生はまったく違うものになっていただろう。

鉄人も勉強が嫌いだったのだ。でも彼女よりは成績が良かった。彼の言葉が有る。「ダメな人間などいません。ダメな指導者がいるだけなのです」至言である。

鉄人の知人は、五十過ぎて広島大学に通っている。それもテレビ局のエリートサラリーマンを辞めてまでの挑戦である。大学院にも行くらしい。将来は海外で子供達に勉強を教えたいと言う。

サラリーマン時代より収入は激減したらしいのだが、彼の顔は生き生きしている。鉄人だって今からでも決して遅くない。「勉強」というより「学問」は、本当は面白いものなのだ。

ともあれ、久しぶりに面白くまた教えられる本に出会えた。本はやっぱり良いのだ。
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2014年07月10日

居場所。

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ミーちゃんは、ひねもすのんべんだらりと暮らしている。人間どもがバタバタせわしく家の中を動き回っていても我関せずの境地である。

誠に羨ましい。ミーちゃんは口は綺麗である。与えられた猫用のペットフード以外口にしない。何も欲しがらないのだ。

たまに「にゃん」と鳴くくらいで基本静かである。そんな高貴?なミーちゃんが我が家に来てから一月半経つが、自分の居場所を見つけている。

母のベッドの上。籠の中。ベランダの二カ所。次男のソファの上。鉄人の布団の上(鉄人がいるときには近づかない)。パソコンが置いてあるリビングの机の上。そして写真の螺旋階段の真ん中辺りである。

これらのお気に入りの場所を毎日順繰りに廻っているのである。特にお気に入りが次男のソファの上と螺旋階段である。

螺旋階段ではいろんなことをする。我々の行く手を遮る様に階段の幅いっぱいに体を伸ばして寝てみたり、しっぽだけだらりと階段の隙間から垂らし、それをゆらゆら動かして我々と遊んでみたり、見てないときに爪を研いだり(音で気づく)と、なかなか悪知恵のある悪戯者なのだ。

我が家に来る前は、たかが猫、畜生じゃないかと高をくくっていたが、どうしてどうして手玉に取られているのは我々人間の方である。

鉄人も冷静を装いながら、最近はスマホでミーちゃんの写真ばかり撮っているのだ。

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更地。

「石見の農家」

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今日かみさんの親戚から電話が掛かって来た。母が5月末まで住んでいた家が取り壊され更地になっているとの内容だった。

40年余り住んでいた家だがその家が既にない。母の人生の半分近くがそこにあった訳だが、何とも儚いものである。

街の中でよく更地を見かけることがある。どんな建物があったのか分からないこともあるが、行きつけの店があったところが更地になっていると、やはり感慨深いものがある。

今でもそこの店主の笑顔や話し声、食べ物の匂い。店内の空間までもが今でもまだ存在しているかの様に鮮明に思い出される。

でも無いのだ。永遠に。もう二度と同じ経験をすることは出来ない。その店は過去のものであるのだが、その店は存在したのだろうか。

その店を知っている者にとっては存在したと言えるだろう。しかし知らない者にとってはどちらとも言えないことになる。

また知っている者にとっても、各人の記憶の有り様は全く異なる。何処までが真実の記憶か言えなくなる。またその記憶が正確かどうかを確かめる基準も実は無い。既に更地になっていれば尚更である。

そう考えれば、過去とは存在しないことになるのではないか。未来も同じである。通念としての過去や未来はあっても、実体としての過去や未来という時間は存在しない。有るのは今この瞬間だけということになる。

すべては流れていくのだ。流れが止まるということは一瞬たりとも無い。終わりは始まりでもある。家という現象が終わって更地という現象が始まったのだ。

「無常」なのである。
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2014年07月08日

アイドル。

「野辺に咲く」

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今夜テレビを観ていたら、「あの人は今」的な番組をやっていた。昔人気があったアイドルを探し出し、その人の現在の様子を伝えるものであった。

鉄人にもアイドルがいた。それも小学校の低学年のときからいたと思う。鉄人の最初のアイドルは、ハワイアン歌手の「日野てる子」である。長い黒髪にハイビスカスの大きな花を一輪飾っていた。

既に故人だが歌も上手く笑顔が優しそうな歌手だったと記憶している。それから酒井和歌子、松原智恵子辺りが鉄人が小学生だった頃のマイアイドルである。古いね。

中高は天地真理と桜田純子。特に桜田純子は何時もブロマイドを持ち歩いていたほどファンだった。絵が得意だったので、授業中勉強もせず彼女達の似顔絵ばかりを描いていた。今のオタクみたいなものだ。

あこがれの天地真理は現在アンパンマンみたいになっていて、以前の面影はなく完全に他人である。何と時間は残酷なものだろう。

大人になってからは特にアイドルはいなかったと思うが、鉄人の永遠のアイドルは女優の「田中裕子」。まさか当時男性アイドルナンバーワンの沢田研二ことジュリーに攫われるとは思いもしなかった。裕子はド面食いだったのだ。残念。

息子達は今回ブログに出て来たアイドル達を全く知らない。どころか、今夜のテレビ番組に出ていた、鉄人にしたら割と最近のアイドルと思われる登場人物達もほとんど知らなかった。鉄人自身が「あの人は今」ってか?


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2014年07月07日

台風接近。

「山雨」

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今回の台風はヤバそうである。瞬間最大風速が75メートルなんてありえない。鉄人が経験した最大風速が40メートルである。その日スタジオで撮影していたのだが、あまりの風の凄さにクライアントと二階のリビングに上がり風に吹っ飛ばされそうに激しく揺れている木々を皆で見物していたことがある。

今回はその倍である。どうなるのか予想もつかない。最近の台風は段々巨大化しているという。将来最大風速100メートル級の台風の出現も可能性としてあるそうだ。

去年フィリピンを襲った台風がそのクラスだったそうで、甚大な被害が出たことは記憶に新しい。

鉄人は長崎県の出身だが、長崎は昔、台風銀座と呼ばれていた。台風の進路が必ず長崎県を通っていたのである。台風が近づくと各家々が雨戸を閉め、その上から板を釘で打ち付けていた。何時も台風が来ていたので慣れたものだったのだ。

台風が近づくと子供だった鉄人は気持ちがウキウキしたものである。家の裏に大きな川が流れていたのだが、水かさが増し濁流となっているその川を観に行ったこともある。川まで下る階段があり水面ぎりぎりまで降りて行ってその濁流になった川を眺めていた。そのときに足を滑らせていたら鉄人はもうこの世にはいない。

危ないことをしていたのだが、外に出られないほどの台風ではなかったことになる。ヤバいなあと思ったことは、子供心に一度もなかったのである。

最近の台風の凶暴さは尋常ではない。マジで危ない。進路がどうなるか分からないが、その進路に沿った地域は大変な被害が出ることは間違いがないと思われる。

巨大な台風の前では人間はなす術がない。可能な限りの備えをしてやり過ごすしか手がないのだ。

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2014年07月06日

決め事。

「夏の日差し」

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今日のランチは、鉄人とかみさん、母と3人で近くのファミレスに出かけた。ドリンクバーに飲み物を取りにいった時のことである。母は足が悪いのだが、なるべく歩かせる様にしている。歩かないと足が萎えてしまうからだ。

今日もドリンクを取りに行くとき、鉄人が序でに母の分を取って来ても良かったのだが、なるべく歩かせようと母に取りに行かせた。ところがかみさんが母に付いて行く。何故かなと思ったら、母はドリンクの種類が書いてある文字が見えなかったのである。

母は糖尿病の合併症で目が悪い。大きな字は何とか読めるのだが、小さい字は見え難いらしい。だからドリンクを自分で取りに行っても字が見えないので、ドリンクを選べず操作も出来なかったのである。店に入る前も車止めの縁石に躓いていた。

目が悪いのも足が悪いのも可哀想だとは思うが現実なので仕方がない。昔は良く見えてたのにと母は悔やんでいたが、それは過去のことである。今は悪いのだ。その現実を直視する必要がある。

そこで母と決め事をした。それは、「見え難ければそれをちゃんと言うこと」。人はそれぞれ助け合って生きているのである。自分の足りない部分を誰かが補う。それで社会というものは成り立っているのだ。

母の目の不自由さの程度は息子の鉄人でも分からない。だから見え難くて不便なときは、それを声に出して周りに伝える必要があると思うのだ。伝えられた者は、母の目の代わりになり淡々とサポートすればいいのである。

無理をすれば逆に迷惑が掛かる。勝手な行動をして躓いて怪我をしたりする方が、自分にとっても周りにとっても困ることになる。

母の老いた姿は、数十年後の己の姿である。誰もが老いて行く。それは必然でありそれを卑下する必要はない。自分が出来ないことが出てくれば、それを素直に言葉にし誰かにサポートしてもらう。勿論感謝は大切だが、それが当たり前の行為であることも大切なことだと思う。

「困ったことがあればちゃんと言葉にして言う」。以心伝心はないのである。



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2014年07月05日

散歩。

「農に生きる」

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今日は久しぶりにかみさんと散歩に出かけた。コースは何時もの道、八幡川に沿って作られたジョギング用の道である。

往復で約3キロ、車も通らず見晴らしの良い道である。この道は川土手にあるので民家がそれより少し低い位置にある。その家々が川土手の法面に様々な花や木を植えている。それが季節ごとに変化する。これを愛でながら散歩するのが楽しいのである。

杏の実が成っている。手が届く位置に成っているのだが、かみさんがその実を本気で欲しがっている。他人の家の杏の木なんですけど。

無花果の実はまだ小さい。合歓の木のふわふわしたピンクの花が風に揺れている。夾竹桃の小さな白い花が一輪静かに咲いていた。以前歩いた時とは同じ様で違う風景。そんな小さな変化に気持ちが豊かになれる。

無趣味な鉄人だけれど散歩は悪くない。タダだしダイエットにもなる。植物の勉強にもなるか。面白いのは道ですれ違う人たちとの挨拶の時である。

鉄人はすれ違い様に相手よりも早く必ず挨拶をする。たまに無視される時もあるが、あっちから来た苦虫をかみつぶした様な表情をした人が、鉄人が先に挨拶をすると見事な笑顔で挨拶を返してくれる時がある。

そのギャップに軽い驚きと共にとても暖かい気持ちになるのだ。やはり笑顔は良い。小一時間くらいの短い散歩だったけれど出かけて良かった。その散歩にケツが重い鉄人を誘ってくれたかみさんに感謝したい。

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2014年07月04日

集団的自衛権のこと。

「胡瓜の花」

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今、世間の最大の関心事は、「集団的自衛権」のことであろう。ある調査によると、その行使について賛成26%、反対26%、どちらとも言えないが41%になっていた。まさに真っ二つに世論が分かれているのである。

仏教的立場で言えば、仏教は武力の行使は容認していないので当然反対の立場になる。どころか、方便として「ノコギリの譬え」というものがあるのだが、たとえ今自分がノコギリで首を切られようとしていようとも、怒りを持って抵抗してはならないと教えているのである。

現実論としてこれは流石に難しい。で、鉄人の意見であるが、集団的自衛権行使の是非は問わない。ただ結果としては日本はそれを認めざるをえない立場なのではないかと思う。

それは日本は米国に戦争で負けたからである。鉄人は最近大河ドラマの「黒田官兵衛」を観ている。もうじき本能寺の変に差し掛かるところだが、そこで殺される信長のそれまでの敵に対する無慈悲ぶりが凄まじい。

君主は当然のこと、負ければ女子供まで打ち首や磔、負けた者に対してその処分は徹底的に冷酷なものである。戦争で負けるとはそういう可能性があるものなのだ。

戦勝国にどんな不条理なことを出されても、敗戦国はそれを無視することはできない。おまけに日米は同盟国である。それが現実なのではないだろうか。

ただ人間とは、つくづく愚かな生き物だとは思う。
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2014年07月03日

ヴィンテージ。

「灯り」

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鉄人は撮影で様々な会社や店舗を訪問する。そのそれぞれに違いがあり面白いのだが、いわゆる「老舗」と呼ばれている会社やお店には特に親しみが湧く。

鉄人自身が昭和の人間であるせいかもしれないが、「時代」を感じさせるものにはこころが何故か和んでしまうのである。

そんな時代を感じさせる会社やお店には、それだけ長く経営を続けてこられた理由があるはず。それは結局、「信用」ということになるのではないだろうか。

地元の人々に信用され愛されて来たからこそ「老舗」と呼ばれ、生き続けてこられたのだと思う。起業しても10年以内で9割以上が倒産する。新しい商売を始めるというのはそれだけ難しいものなのだ。

老舗は、そんな厳しい世界で50年100年と生き続けて来た。その努力は大変なものだったであろう。そんな時間を積み重ねて来て今がある。時間を積み重ねることで信用も積み重ねてきたのである。

だからそんな場所を訪れると「信用」という空気に触れこころが和んでしまうのかもしれない。現代は時間の流れが早い。あっという間に世の中の構造が変わっていく。老舗にとっても生き難い時代に違いない。

ある老舗の喫茶店を仕事で訪ねた。鉄人と同じ歳のお店だった。店内をほのかに照らす灯りは自分が生まれた時から灯っていたのだろうか。老舗でしか味わえない温もりのある灯りであった。
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2014年07月01日

斉藤一人。

「莢豌豆」

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たまたまYouTubeで遊んでいたら、斉藤一人氏の講演会の動画が出て来た。動画というのは相応しくない。彼が映像に映ることはないからだ。音声のみの登場であった。

彼は知る人ぞ知る人物である。何と言っても個人納税額日本一というのが彼の金看板。自らを商人と称している経営者である。

鉄人の以前の人生の師匠なのだ。今ではその師匠はお釈迦様という絶対的な存在に移ったが、それまでは斉藤一人師匠に随分お世話になった。

久しぶりに彼の講演会を聴いてみた。その独特なキーの高めのだみ声と天性のユーモアセンス、そして抜群の頭の切れは健在であった。

しばらく彼の声を聴いているうちに鉄人に変化が起きて来た。気分が明るくなってきたのである。ご存知の様に、ストレス性の十二指腸潰瘍を患っていて体調が優れない。体調が優れないとそれに連動して気分も落ち込み気味であったのだ。

ところが講演会が進むうちに気分がどんどん明るくなり、最後には鉄人すっかり元気になったのである。仏教的論理から見れば、彼の話には辻褄が合わない部分が相当ある。

だが気分は確かに良くなった。何故かなと思ったら、彼の話には世俗で明るく生きていく為の様々なヒントがちりばめられていたからである。

彼の話には、神様や魂、守護霊などがやたら出て来る。その存在は証明はできないのだけれど、その証明出来ない存在が、一人ワールドでは非常に明るい。

彼の講演会は、始めから最後まで、漫才か落語でも聴いている様な徹底した明るさがあるのである。鉄人はその明るい波動に触れ、いつの間にか元気を取り戻していたのである。

流石だと思った。彼の絶大なる人気は、成功した経営者という側面だけではなくて、常に徹頭徹尾明るく生きている太陽の様なその性格にあったのだ。

鉄人はとんでもない成功者にはなれないかもしれないが、「いつでもどんな時でも明るい人」にはなれるかもしれない。鉄人だって明るい人が好きなのだ。

久しぶりに斉藤一人師匠に出会ったのだけれど、確かに魅力的な人物ではある様だ。





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人間の性。

「雨に咲く」

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鉄人は今夜、かなりの長い時間まんじりともせずテレビでワールドカップを観ていた。サッカーにさして興味もない鉄人なのにである。

かみさんは飲み会で家にいない。長男はスタジオで誰かの撮影をしている。バイトの撮影なので鉄人は完全ノータッチ、その様子を伺い知ることはない。

母は自分の部屋で寝ている。次男は自分の部屋でゲームをしている様だ。てな訳で鉄人、何となくひとりぽっちなのだ。最近はそんな様子を「ぼっち」というみたいである。

さしずめ「ぼっちワールドカップ」と言ったところか。で、ぼ〜っと観ていたワールドカップであるが、これが面白いのだ。ダイジェストなので、ゲームのハイライトばかりを繰り返して放送する。人間の喜怒哀楽の極みがそこに映し出される。ゲーム自体も白熱していて面白いのだが、何の演技もないむき出しの感情がテレビの中で爆発している。それが人間臭くて面白い。

その様子は仏教的価値観で言えばまぁ〜アウトである。多くの感情が苦しみを生む原因だからだ。考えてみれば、サッカーはボールを足で蹴ってゴールに入れるという基本的には単純なゲームである。それに世界中の何十億人という人間が熱狂しているのである。

中には死者まで出ているケースもある。そこまで人間を熱狂させるサッカーというゲーム。ワールドカップという舞台。普段の生活では裃を付けて暮らしている様な立場の人間さえも、ここでは裸になってしまう。

ワールドカップは、善かれ悪しかれ人間の「性」を否応もなく曝け出す、そんな舞台の様である。何となく時間つぶしに観ていたが、鉄人にとってはそんな人間の一員である己を知る上でも意外に貴重な時間だった様だ。

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2014年06月29日

里帰り。

「野薊2」

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昨日と今日、鉄人はかみさんの郷に帰っていた。一週間前、かみさんのお義母さんが畑で仰向けに転んで、腰と頭を強打して病院に通っていると、かみさんのお義父さんに電話で聞いたからだ。

大丈夫らしいけど、直接会ってその状態を見た訳ではないのでかみさんがとても心配していた。腰も心配だが頭の方はもっと心配である。実際に会ってお見舞いした方が良いと思い急遽帰省することにしたのである。

鉄人は以前脳出血で緊急入院したことがある。手術をするまでには至らなかったのだが、医者から3ヶ月は様子をみないと最終的な結果は分からないと言われた。

幸い後遺症もなく今日に至っているのだが、その様に頭の病気や怪我は油断ができない。帰省してお義母さんとお会いしたらお元気なご様子であった。腰はまだ痛いと仰っていたが、寝込むほどではなさそうである。

頭の方もCTスキャンを撮ったらしいのだが問題はなかったのこと。取りあえずかみさんとふたり安堵したところである。

帰り際には、何時もの様に野菜を山ほどいただいて広島に戻って来た。鉄人くらいの年齢になると親達も高齢である。体の自由も効かなくなって来る。

仕方がないことだけれど、なるべく元気で長生きしてほしいとは切に願うのである。
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2014年06月27日

のんちゃん2。

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昨日に続きのんちゃんの登場である。これが普段ののんちゃんである。笑顔が本当にくったくがない。鉄人、笑顔になるのが少々苦手である。というかカメラの前で笑顔を作るのが苦手なのだ。

一般的に男性はカメラの前での笑顔が苦手な様だ。皆指名手配犯の様な顔にある。でも笑わせたい。鉄人もプロである。そんなときに男性が笑顔になってくれる決め台詞があるのである。

それは「顔、怖いで〜す」って正直に言うのである。これが不思議なくらい効く。苦笑ではあるがほとんど笑顔を作ってくれる。「笑ってください」って言っても笑顔を作れるものではないのだ。

その点、女性は天性の役者である。大抵直ぐ笑顔を作ってくれる。もっと笑顔にしたい。これにもコツがある。それは「今の笑顔、70点で〜す」ってやるのだ。

女性は役者だからもう少し頑張って満点を取ろうと努力する。この方法は最初から笑顔が作れる女性だから効果があるのだ。男は最初は0点である。いくら点数を付けたくても無理なのである。

のんちゃんの笑顔は満点に近い。営業スマイルではない少しはにかんだ、でも大きな表情が、真っただ中にいる青春を感じさせて実に爽やかである。

こんな笑顔、鉄人絶対に出来ないんだよね〜。

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2014年06月25日

のんちゃん。

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写真の女の子は、「のんちゃん」と言う。近所に住んでる子で高校一年生だ。彼女が小学生からの知り合いで、高校生になったお祝いに写真を撮って上げた。

もう二ヶ月も前に撮ったのだが、近所でも意外と合わないもので、今日たまたま家の前で見かけて写真を手渡すことが出来たのである。

ご覧の様になかなかの美人さんである。制服姿も撮ったのだが、彼女陸上をやってるらしく、その格好も撮らされた。びっくりしたのは、陸上の姿になったとたん目つきが変わり、制服姿にはないキリリとした表情になったことである。

そのドラスティックな変わり様に、鉄人のカメラマンとしての血が騒いだ。こんな表情の「のんちゃん」を今まで見たことが無かったからだ。

何時もはニコニコして話しかけてくれるのんちゃんのこんな一面があったとは。目力が半端ない。カメラマンにとって目力があるモデルは、撮影のやりがいがある。

人物写真で一番印象に残るのはやはり目である。目力が強い分、写真も大変にインパクトのある印象に残る作品になるのである。

彼女自身には、自分にそんな一面があることは多分自覚無しに写真に納まったはずである。本人も気づいていないかもしれないその人の違う一面を切り取るのもカメラマンとしての醍醐味である。

久しぶりに会ったので話も弾み、スタジオで2時間以上もおしゃべりしていた。子供は子供で悩みも多い様で、やはり生きるということは大変なのである。

近々完成する鉄人の新しいホームページに登場してもらえることになった。そこでは制服姿ののんちゃんが登場する。くったくのない笑顔の写真である。これはこれで彼女らしい。お礼に何か奢らなければならんな。
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2014年06月24日

あだ名。

「実る」

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かみさんは鉄人のあだ名を付けるのが上手い。最近付けられたあだ名を紹介したい。鉄人の新しいあだ名は「まさピロリ菌」である。

鉄人は名前を「正弘」と書いて、普通に「まさひろ」と読む。元々は僧侶の名で、仏法を正しく弘めるという意味になる様だ。かみさんはその由緒正しき名前である「まさひろ」の「ひろ」を錑り「ピロリ菌」にしてしまったのだ。

「ピロリ菌」にしたのには訳がある。最近鉄人が患って苦しんでいる十二指腸潰瘍が、ピロリ菌が原因ではないかという彼女の推理から来ているのだ。

ひとが潰瘍で苦しんでんのに何て奴だと憮然としたが、あまりにもタイムリーなあだ名なので不本意ながら苦笑してしまった。

ただ残念なこと今現在潰瘍は快方に向かっている。折角付けてもらったあだ名が過去のものになるのはいささか残念ではあるが、どうせまた鉄人の弱点に託け新しいあだ名を命名することになるだろう。

それもまた何処か楽しみではある。


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2014年06月23日

安全策(柵)。

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昨日はちょっと日曜大工をやってみた。鉄人の家の階段は螺旋階段である。螺旋階段にしたのには訳がある。一階が写真スタジオなのだが、写真スタジオは天井が高い方が良い。

スタジオの中央に被写体になる人間が立って、その上に照明を設置するのには高い天井が必要になってくるのだ。当スタジオの天井高は4メートルである。

その高い天井を持つ家の二階に上がるのには螺旋階段が一番容積少なくて済むのである。友人の建築家がデザインしたこの螺旋階段は、確かに美しい。でも綺麗な薔薇には棘があるのである。

この螺旋階段は極めて危険な代物でもあるのだ。写真のように手摺の柱の間隔が広く空いている。デザイン的にはシンプルですっきりしている。

でもこの隙間から子供の体なら簡単に落っこちるのである。母の体も小さい。小六くらいの大きさなので、やはり簡単に落っこちる可能性がある。

足が悪い母なので、たとえ手摺があっても何かのアクシデントでそんなことが起こらないとも限らない。母は以前自宅のカーペットに足を引っかけて足を骨折した経験がある。

なにせ天井高が4メートルである。落っこちればマジで命も危ない。怪我は自宅で起きる確率が一番高いのである。

という訳で手摺に網を張ることにした。ホームセンターで園芸用の網を買って来て結束バンドで止めた簡単なものだが無いよりはマシである。時間があるときにもう少し補強しようと思う。

長男の友人達に子供ができた者が出始めた。子供を連れて我が家に遊びに来るかもしてない。自分の孫の予定は当分無いが転ばぬ先の杖である。幾らか不安が解消されたようだ。
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誕生日。

「野薊」

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母の誕生日が近いので、祝いとして家族で近所の中華料理店でランチすることにした。この店は知る人ぞ知る名店で当然満席。直前に予約していたのが功を奏し待たずに食べれた。

息子達はいない。主役の母と鉄人、かみさんそして鉄人の妹の四人のメンバー。妹が鉄人の家に来たのは実に十数年ぶり。呉の吉浦に嫁いでいるのだが運転が苦手、鉄人の家まで来るのが億劫だったようだ。

メニューは飲茶のコースを頼んだ。この店は彼の陳健一の弟子が営んでいる。安くて美味いと評判の店である。鉄人の家からは石を投げれば届くほどの近さだが何時も客が多いのでなかなか行けない。

味もボリュームも申し分ない。費用対効果が優れた店だと断言出来る。男の鉄人でも満腹になるほどだが、母はそのコース料理をほぼ完食した。「年寄りだから食が細い」というのが母の日頃の台詞だが、どの口が言ってんのかと突っ込みたくなるほどの食欲である。

他の女性陣も完食。ちなみに彼女らは日頃から食は細くない。当然すこぶる健康的な体格をなされておられる。

行列ができる店なので、やはり日曜である今日も行列ができていた。折角の誕生日会なのでゆっくりしたかったのだが、生来の小心者である鉄人は待ち客が気になって仕方がない。

そそくさと逃げる様に店を後にしたのである。今回の誕生日会でひとつだけ忘れていたことがある。なんと「誕生日おめでとう」の言葉である。皆目の前のご馳走のことしか頭になかったのだ。

一番肝心なことをすっかり忘れていた訳である。人は食事の時に育ちが出ると何かで読んだことがあるが、我々のお里が知れたことになる。まあ、鉄人と妹のお里は母なんだけどね。


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2014年06月21日

ギリシャ戦。

「水田」

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何時もはワールドカップをリアルタイムで観ることはない。昨朝のギリシャ戦は朝食時間と重なり何となく観てしまった。

大して興味がないワールドカップではあるが、鉄人にもナショナリズムはある。勿論日本代表を応援していた。押し気味の試合展開で、おまけにギリシャの選手がレッドカードで退場になった。

当然益々日本が有利になるはずだが、鉄人、そのレッドカードが出た時点でほぼ引き分けを確信したのだ。はたして試合結果はその予想が当たり引き分け。日本にとっては手痛い引き分けになった。

理由は簡単である。ギリシャはレッドカードを出した時点で勝利をほぼ諦める。引き分けに持ち込めれば御の字である。当然ディフェンスを固める。

高身長のギリシャの選手達に10人全員で守備を固められたら逆になす術がなくなる。ドリブル突破も空中戦も効かない。元々堅守で勝ち上がって来たチームである。勝つつもりがなければこれほどやりにくい相手もいなかったであろう。

今回のワールドカップでは、各国の代表チームを動物に例えるというのが話題になっているが、ギリシャはカメレオンだそうである。何とか生き延びる術を知っているというのがその理由らしいのだが、昨朝の試合などまさにその特徴が見事に現れていたと思われる。

猛獣を相手に戦う力はあるが、一度倒れるとなかなか起き上がれないキリンに例えられている我が日本代表。これもまた然りのようである。

ギリシャ戦のように、物事の綾というのはなかなかセンシティブなものである。ここまでは日本には絶望的な展開だがまだ何が起きるか分からない。日本にとってラッキーになるような「綾」に期待したい。
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ミーちゃん2

「美人?」

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ミーちゃんは雌猫なのだが、本当に女性の性質を感じる。甘える。焦らす。拗ねる。怒る。無視。気まま。人間の女性と何も変わらない?

畳には上げない様にしているのだが、隙をみてわざと上がる。それを注意すると畳を2〜3回爪で引っ掻いて悠然と退散する。同じことを何度もやるので間違いなく確信犯なのである。

一日の内に必ず一度、家族の一人一人に挨拶にくる。でも特におべんちゃらはしない。とりあえず顔を出しておこうという態度なのだ。それが終わると次男の部屋に行き、ソファに次男と一緒にしばらく過ごすというのが日課になっている。若くて優しい男が好きなのは、人間の女性と同じである。

ミーちゃんは猫なのに若干たれ目である。でもそこそこ美人なのではないかと思う。鼻が悪いので年中鼻水を垂らしているのがマイナスポイントか。

今まで家に猫が居なかったので、その生態を観察するのは面白い。もうちょっと俺に懐けよ。
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2014年06月19日

観察の危険性。

「慈雨」

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解脱の為には、「無常」「無我」「苦」の観察を徹底的に行うことが必要になる訳だが、仏陀は、その観察に於ける「汚れ」に注意する様説かれている。

我々が目指す解脱にとって観察は必須なのだが、そこには危険性も孕んでいると指摘されているのである。それも真剣に徹底して修行している修行者ほど陥り易い落とし穴なのだ。

観察の汚れは十種類あるらしいのだが、その内容は難しい。それはある地点まで到達している修行者でないとその落とし穴は存在しないからである。

真面目に真剣に修行しているのに汚れる。汚れるのはこころである。このパラドックスを回避しなければ到底解脱には辿り着かないことになる。

ではどういう理由でこころが汚れるのであろうか。スマナサーラ・バンテーが「ブッダの実践心理学 第八巻」で説明されている十種類の「汚れ」の内の2〜3を取り上げてみたい。

ひとつ目は「光」である。瞑想していると、目をつぶっているのにも関わらず、頭の中に光が現れてくる。この現象が現れると、修行者は喜ぶのである。

中にはこれこそが「悟りの光だ」と勘違いする修行者も出てくる。だが光は現象であって、悟りとは無関係なのだ。光が現れたことで喜び、それに執着する。これが「汚れ」なのである。

二つ目は「智慧」。例えば無常を観察する。一切の現象は無常であるという真理をまざまざと理解するようになる。これが智慧である。

その事自体に問題があるのではなく、そのことで「これは解脱である」と解釈してしまうことが「汚れ」になるのだそうだ。無常に対する観察に於ける理解と解脱はまた別もの。ほとんどの優れたヴィパッサナー実践者が引っかかる可能性がある「汚れ」になる。

三番目は「喜」。喜びである。修行が進み、ある地点に来ると勝手に喜びが湧いてくる。これは修行の成果であるのだが、問題はこれも悟ったと勘違いすることにある。

修行の目的は、一切の執着を捨てることであって、喜びに溺れる事ではないとバンテーは説破されている。

鉄人は修行不足で今だこの境地には達していないが、本の内容は何となく理解できる。これからはこの「汚れ」に陥らない様注意して観察して行きたい。


posted by masa at 23:56| Comment(0) | 日記