2014年09月04日

美空ひばり。

「曼珠沙華」

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仕事で疲れた心には音楽がいい。今夜はYouTubeで隠れた名曲を探していた。あまりヒットはしなかったかもしれないが、名曲はそれこそ星の数ほどあるだろう。そんな名曲を探し当てるのは、鉄人にとって楽しいひと時なのである。

今日聴いていた曲は、

黄昏のビギン ちあきなおみ

暗い港のブルース キングトーンズ

ひまわり 前川清

日差しの中で 布施明

など。そんな中で、美空ひばりのJAZZを見つけた。最近TVのCMで彼女が歌っているJAZZの曲が流れているが、本格的にJAZZを歌っていたとは知らなかった。

演歌ではなくJAZZでも、美空ひばりはやはり桁違いの歌手である。聴き惚れてしまって違う歌手の名曲を探すのを止めてしまったほどだ。

女性のJAZZ歌手では、昔からサラ・ボーンが好きだったが、歌の深みは全く負けていない。「魅せる」という点では女優でもある美空ひばりが凌駕している。何を歌わせても超一流なのだ。まさに古今東西、唯一無二の存在だと改めて感じ入った次第である。

お気に入りは、「スターダスト」「プリテンド」辺りか。ジーニアスひばりを久しぶりに堪能した。


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2014年09月03日

緑丘団地。

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「八木蛇落地悪谷」が気になり、ちょっとネットで調べてみた。そこに出て来たのが三枚の写真である。一枚は水害の前と後。もう一枚は水害以前の写真に濁流が通った後を黄色で示したもの。最後は山側から撮ったものである


気がつくのは、濁流が団地をほぼ完全に避けていることである。特に黄色で水の流れを示している一枚は、その様子が明確に見て取れる。果たして偶然だろうか。

水の流れと同じ幅だけ建物を空けて建てている様に見える。またふたつの流れの間にピタリと納まっている様にも見える。鉄人には偶然の様には見えないのだが・・・。

まさか・・・。地名のことといい何か「曰く」がありそうな場所である。
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2014年09月01日

難しい時代。

「午後の語らい」

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「女性にカメラやスマホを向けただけ、シャッターを切らなくても警察に捕まります。」これが今の世相である。

正直カメラマンの仕事が成り立たなくなりそうである。例えば、鉄人お祭りの撮影の仕事を受けることがある。お祭りだから踊り子や見物人でごったがえする。祭りの熱気を捕らえるには、それこそ機関銃の様にカメラを連写する様になる。

そこには多分女性もいるだろう。その女性にカメラを向けている意志がなくても、その女性に訴えられれば鉄人は逮捕される可能性があるのだ。

許可を貰って撮影をする場合も当然あるのだが、そんなときは相手が既にカメラを意識しているので大体面白い写真にはならない。素の表情はカメラを意識していない場合の方が出て来るものだからだ。

残念ながら普通の撮影か盗撮かの線引きは難しい。カメラマンはシャッターチャンスが命なので、その様なチャンスが巡ってくれば、躊躇なくシャッターを押す。それがカメラマンの「性」(さが)である。

そこに盗撮という意識がなくても、相手が不愉快な思いをすれば、結果的に「盗撮」という犯罪が成立することになる。

今日の写真である。カンボジアのアンコールワットで撮影したものだ。若いお母さん同士が楽しそうに談笑している。「いいな」と感じた瞬間もうシャッターを押していた。その間1〜2秒である。そして今、その切り取られた「一瞬」が作品として目の前にあるのだ。

こんなとき、お母さんが鉄人に気がついて、もし訴えたとしたらどうなる。日本なら鉄人、逮捕されるのである。写真を撮られ、不快な思いをさせられたことがある女性も沢山いると思う。訴えたい気持ちも勿論分かる。難しい時代になったものである。

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2014年08月31日

職人。

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写真は一見何の変哲も無いただのドアである。昨日、スタジオに付けてもらった。以前はドアの向こうは事務所でシャワーカーテンで簡易に間仕切りをしていたのだが、母親の部屋になったのでちゃんとしたドアを付けることにしたのだ。

昨朝、建具屋さんに来てもらって付けてもらったのだが、やはり職人は良い。鉄人、職人が好きなのだ。このドア
、枠は大工さんの手による。いわゆる共同作業である。ただのドアではあるが、その仕事の何処にも齟齬がない。
ドアの開閉は極めてスムーズで、母は感嘆していた。

今回お願いした大工さんも建具屋さんも大ベテランの人たちで、職歴は60年と伺い驚く。15歳でこの世界に入り御歳75。今だ現役である。素晴らしいことだ。

彼らベテラン職人の特徴は、技術の高さは勿論のこと、無駄が無い。仕事が早い。時間を守る。ボラない。余裕がある。誇りがある。そして楽しそうである。

鉄人も職人である。彼らの生き様は手本なのだ。実は今回の仕事、最初は別の工務店に頼んでいた。大工の知り合いがいなかったので、友人に紹介してもらったのだ。だが忙しいのか見積もりをくれた後一向に連絡がこない。痺れを切らした鉄人は、近所の世話役の人にお願いし、今回の職人さんたちに来て頂いたのである。

レスポンスも素早く見積もりも随分違っていた。後の方が大分安かった。また見積もりの詳細も明解そのもの、一点の曇りも無い生き方をされている証拠である。

先に紹介してもらっていた工務店がモタモタしていたからご縁が出来たのである。まさに塞翁が馬と言えよう。

今日、直接お金を支払ったのだが、その際お米を少々いただいた。近所で出来た美味しいお米らしい。かみさんのハートを一瞬で掴んでしまった様だ。することがさりげなく気が利いている。

職人は良いのだ。



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2014年08月30日

再訪。

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一週間ぶりのボランティアである。今回はかみさんも同行した。昼過ぎまで撮影をしていたので、現地に着いたのは午後二時を過ぎていた。ただ自分の体力を考えれば、夕方までの3〜4時間が適当だと思われたので妥当な線である。

最初の写真は、一週間前のブログに載せた写真のその後である。カメラマン仲間の家の前の様子を撮影したものだが、車が撤去され、道路に堆積していた土砂も大分除かれていた。道の両側に積み上げられている大量の土嚢は、土砂を運搬するのに都合が良い為である。

今日は土曜日だったので、大勢のボランティアでそれこそごったがえしていた。途中から参加した鉄人夫婦の出る幕は無い。それで知人宅の掃除をすることにした。

土砂は大分取り除かれていたが、家の中はその痕跡でかなり汚れていた。そこで雑巾を使い、壁や床、家具などを綺麗にしていったのである。たいしたことは出来ないが、誰かがいずれしなければならないこと。黙々とやるだけである。

帰り際、道路を塞いでいた堆積物がかなり取り除かれていたので、土砂崩れの上流まで足を運んでみた。その姿は
、息をのむほどの悲惨さで言葉を失った。壊れた家々の様子は、土砂崩れの直前まで普段の生活をしていたことが偲ばれる。その生活は永遠に戻ってはこない。何と無常なことだろう。

被害が大きかった山手の家々は道路の確保がまだ出来ていなくて、ほとんど手つかずである。30mほど下りていった場所で大勢のボランティアが活動しているのと対照的に、ここはまだ深閑としていて災害当時のまま時間が止まっているのだ。

まだすべきことが限りなくある。時間を見つけてお手伝いが出来ればと思う。


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油断。

「出航」

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本日はプロ3名がドジった話。昨日息子にカメラのレンズを買ってくる様に頼んだ。頼んだレンズは、ニコンのフルサイズ用の28〜300ミリ。

今朝、早速仕事に使おうと新品のレンズをカメラに装着したら何か違う。ファインダー内にデジタルサイズの枠が出ている。何と息子が買って来たレンズは、フルサイズ用ではなくデジタルサイズ用のものだったのである。

そのことに、買って来た息子も、売った店員も、昨夜そのレンズを確認していた鉄人も全く気がつかなかったのである。

3名ともその道のプロである。レンズの売買で種類を間違えるはずが無い。安いものならともかく、レンズはそれなりの値段がする。慎重になって当たり前。ありえない話だ。でも現実に間違えたのだ。

息子は注文の内容を間違えてはいない。間違えたのは店員である。でも普通確認するだろう。息子は確認していた
。だが確認したのは試し用のデモ機だったのである。

購入する新品のレンズは箱の中に入っている。商品名が違うので箱に書いてある文字を読めば間違っているのが分かるのだが、店員が間違えるはずがないと信じ込んでいるから特に調べなかったらしい。

鉄人も然り。プロカメラマンの息子が買って来たものだから間違えているなんて思いもしない。息子が箱からレンズを取り出している様子をチラッと見ただけで終わりである。

普通レンズを見たら流石に間違いに気づきそうなものであるが。ましてや鉄人が注文したレンズは、既に一本息子が持っているのである。でも全然気がつかない。そして今朝、ファインダーを覗いてみて初めて間違えていることに気がついたという訳なのだ。

油断である。カメラマンだからレンズの購入は一般人より多いだろう。カメラ店の店員はそれこそ年中カメラやレンズを売っているはずである。誰も間違わないと思っているのだ。

伏線はあった。実は店員は新人だったらしい。鉄人は普段撮影機材を購入する場合、窓口をひとりの店員に決めている。その方が責任の所在やサービス、情報の入手に都合が良いのだ。でも間が悪く休んでいた様だ。それでも鉄人なら頼むときはベテラン店員を選ぶ。新人なら多分若者である。息子は若い者同士話し安かったのかもしれない


人間は間違いをする動物である。多分他の動物より多い。年がら年中写真を撮っている鉄人でも仕事上のミスはある。間違った店員に対して責任を問うのは簡単である。しかし確認を怠ったこちら側にも非はある。レンズが無くて困るのは鉄人なのだ。

困らない為には、大丈夫だと思っていても確認作業を怠らないことに尽きる。その一手間が自分も相手も助かることになるのだから。




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2014年08月28日

ボランティアについての一考察。

「雨地蔵」

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よくボランティアは人知れずするものだ。という考え方がある。しかしボランティアの元々の語源は、「志願兵」とか「義勇兵」といったもので、正規の兵隊ではないが自らが志願して戦場に赴いた者のことを称する。

だから結果的には人知れずするものにはならず、必ず誰かがその人物の存在を知る事になる。ことさら吹聴するものでもないが、さりとて意識して黙するものでもないような気がしている。

鉄人は、自分の行動をオープンにブログに書く事にした。自分が体験してみて気づいた事、失敗した事、予想外だった事、良かった事などを素直に感じたまま書いている。

ボランティアに出かける前にまず準備が必要である。被災地の知人に電話を掛け、現場の状況と必要なものを確認した。次にボランティアをする為の装備である。軍手二枚、手ぬぐい、汗が乾きやすい軍用のシャツ、怪我防止の為の長ズボン、日よけ用ツバのある帽子、泥土用の長靴、命の水が入った水筒、携帯電話を用意した。

現場で迷惑を掛け無い事が肝要だからだ。ところが息子。鉄人のボランティア活動の話を聞いたからか、後日友人達と被災地にボランティアに行ったらしい。そのことは素晴らしい事だが、服装は普段着のまま、現地の天候は雨模様、何もすることはなく帰る羽目になった。

ボランティアも学びの場なのだ。無計画にやればかえって迷惑を掛けたり危険な目にあったりすることにもなりかねない。ボランティアを人知れずやり、周りにその情報を伝えないことは勿体ない事だと鉄人は思う。もっと情報を正確に息子に伝えればよかったと後悔している。

今回ボランティア活動を体験して気がついたことは、ひとつは「老化」である。考えていた以上に疲れた。ひとつは利他的国民性である。また伝承の正しさ大切さ。自然のサイクルについて。無常。空。死。運命。など・・・。

たった半日の活動で、これだけのものを具体性を持って意識する様になった。これが実践のなせる技である。本当の学びは実践の中にしかないと感じるのである。



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2014年08月27日

蛇落地悪谷。

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「蛇落地悪谷」。何とおどろおどろしい、そして意味深な名前だろうか。今回、土砂崩れの被害が最も大きかった八木地区の昔の呼び名である。そしてこの地にある神社には、昔の水害の様子を描いた絵も残っていたのだ。

昔は蛇が落ちてくる様に見える水害が多かったので、「蛇落地」。その様な悪い環境の谷なので、「悪谷」。合わせて「蛇落地悪谷」(じゃらくじあしだに)と名付けられた様である。個人的には(じゃらくじあしや)だと思う


その「八木蛇落地悪谷」(やぎじゃらくじあしや)が、「八木上楽地芦屋」(やぎじょうらくじあしや)と改名され、現在は「八木」だけが残っている。今回土砂崩れがあった場所は、今回が初めてではなく、昔から何度も水害を繰り返して来た場所だということになる。

そう考えれば、今回の水害もたまたまではなく、必然であったのではないだろうか。水害に限らず、地震も津波も火山の噴火も周期的に起きている。先人達は自分達が受けた苦しみ繰り返さない様に子孫に伝えようとして、地名であったり口伝であったり、碑や絵を用いて警鐘を鳴らしていたのだ。

ニュースの映像を観ていると、まさに何匹もの大蛇が山の頂から住宅地に向かって、蛇行しながら一気に落ちて来ている様に見える。言い伝えは真実だったという証拠である。

改名は多分他にもあるに違いない。地名には意味があるのだ。我々は先人達の残した教えにもう一度耳を傾けるべきではないだろうか。





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2014年08月25日

ダメージ。

「ふる里の海3」

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体が痛いのである。明日、整体に行く。わずか数時間スコップで土を堀り土嚢を幾つか積み上げただけなのに体が悲鳴を上げている。情けない話だ。

少々頭も痛い。これは軽く熱中症にでもなった名残りだろうか。とにかくダメージがあるのは確かな様だ。ちょっとしか動かなかった鉄人でさえこの状態なのだから、被災地で毎日作業をしている人たちがどれだけ大変か。体験してみて初めて分かることなのかもしれない。

現地で感じたことがある。とても静かなのだ。正直大惨事が起きた現場とは信じられない。後片付けや二次災害への備え、不明者の捜索など、自分がするべきことを皆が淡々とやっている。

被災された方達も特に深刻な表情ではなく、たまに笑顔も見られた。これからが大変なのは現実なのだが、それで取り乱してはいない。その静かな様子を見て鉄人はとても不思議な気持ちになったのだ。

日本人の特質なのかもしれない。日本人は古から活発な大自然の動きに翻弄されながら生き延びて来た。人間にとって自然は恩恵をもたらすが、反面畏怖すべき存在でもある。人間の力ではどうにもならない相手に対し、一種の「諦め」があるのだと思う。

今回の災害で亡くなられた方の関係者の様子を見ていても、犯罪や事故での落命とは異なり、その「諦め」が表情に出ている気がした。

悲しくないのでは勿論ない。ただ自然には勝てないという「諦め」が、こころを幾らかでも静かにするのではないか。

今週末も時間があればまたボランティアに参加したい。今度はかみさんもつき合うと言ってくれた。女性にしか分からない気づきもある。夫婦で少しでも役に立てれば幸いである。




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2014年08月24日

また雨・・・。

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また雨である。降り方はさほど酷くはないようだが、緩んだ地盤にはどのような影響が出るか予断を許さないので
被災者の救助と復旧作業が度々中断する。不安な日々を送られている関係者には無情の雨である。

写真は昨日鉄人がお手伝いをした場所である。写っていないが左真横にカメラマン仲間の自宅がある。その前にある道を二台の自動車が塞いでいる。彼の車ではなく何処かから流れて来たと言う。

実はこの二台の車の影響で、山から流れ出た濁流の方向が変わったらしいのだ。この二台が堰になり、行き場を失った濁流が写真左にある彼の家に一気に押し寄せたそうだ。彼はその時「もしかしたら死ぬんじゃないか」と覚悟したと言っていた。

この道路は緩やかで真っ直ぐな下り坂になっているので、この二台が無かったら濁流はそのまま下って行ったはずで、彼にとっては不運であった。ただ彼の家から10mほど離れた場所の家は跡形も無い。まさに間一髪だったことになる。

鉄人は、車の周りの土を掘ってみた。車の下の土を除くことで堰に穴が空けられないかと考えたのである。無駄であった。車どころか車が堰になって止まった流木さえビクともしないのである。

人間一人の力など自然の前では何と脆弱なものであろう。人間は助け合わなければとても生きていけないものだとつくづく思う。

このところの自然災害は地球温暖化と無関係ではない。その温暖化は人間の営みがもたらしたものだ。そして温暖化の影響を受けた自然災害の規模は今後もっと巨大になると専門家は警告している。鉄人も同意である。

原因がありそれに縁が作用して結果を生むのだ。我々は地球から何処へも行けないのにその地球を必要以上に傷つけている。この傲慢な行為への代償は必ず支払うことになるに違いない。
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2014年08月23日

ボランティア。

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ボランティアには様々な捉え方や見方がある。例えば、「他人の為の道徳的行為」「自分の為の文化的行為」または「社会の為の公的な行為」などである。

鉄人は頭が悪いのでよく分からないが、結果として役に立てればそれで良しとしたい。まずは実践である。それで様々な摩擦を生む事もあるだろうが、それを恐れていては行動できない。取りあえず動いてみて問題が出てくればその都度是正していくという形が良いのではないだろうか。

今回もボランティアに参加したのだが、元々ボランティア活動という感覚は全くない。客観的に見てボランティア活動の範疇に入るのかなと思うだけである。

今回の土砂崩れの地域にたまたまカメラマン仲間の家があった。彼とは特に懇意にしている訳ではなかったが、活動をする地域を選ぶひとつの選択のきっかけにはなる。それが縁である。

到着した現場は無惨なものであった。今緊急を要する問題は、次の雨対策である。次の雨が来る前に早急に雨の通り道を確保する必要に迫られているのだ。

明日行く予定だったが、天気予報が変わった。今日が曇りで明日が雨になるという。ならば今日動く必要がある。
幸い今入っている仕事が明日に変更出来るものだったので、急遽今日参加したのである。

鉄人が出来た事と言えば、土嚢を数段積み上げただけである。また体力がないので半分は休んでいた。それでもわずかと言えど前よりは安全を確保出来たことになる。

一人が出来る事など悲しいほど高が知れている。でも何もしないよりはましかなとは思う。完全にバテたので周りより早くとっとと切り上げた。まだ先は長い。その時に必要な行動が無理をしない範囲でとれればそれで良いのではないかと考えている。

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2014年08月21日

その後。

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上記の地図の左に出ている数字より、行方不明者の数が遥かに増えている。只只暗然とするばかりである。

災害の規模としては東北大震災とは比べるべくもないが、特徴的なのは、近くに住んでいるのに我々にはその災害が感覚的に理解出来ないところにある。

鉄人の自宅がある五日市にも雨は降ったが不安になるほどではなかった。そして今回災害に見舞われた地域から少し離れた志和辺りにはほとんど雨が降っていない。だから甚大な被害が出ている地域の様子をニュースで観ていてもとても信じられない気持ちになる。

最大の被害が出た八木地区でも国道54号線を隔てて別世界である。東側は何時もと何も変わらない。ところが西側に目を転じるとそこは地獄絵図と化す。青空が広がりまぶしい日差しが射しているその両方の街のあまりの格差に、何か白昼夢を見ている様である。

でも現実なのだ。ボランティアに参加したいのだがかみさんが不安がる。今後の天気予報も雨になりそうで、二次災害の心配があるからだ。

一応明後日日曜の午後から時間が空くので、様子を見て無理の無い範囲で参加出来れば参加したい。
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2014年08月20日

大変なことに。

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早朝、東京に住んでいる従兄弟からメールが届いた。「大雨、だいじょぶ?」という内容だった。大雨?確かに昨夜は雷雨だったが心配するほどの雨量ではなかった。何故だろうと思いネットでニュースを観たら、広島市の安佐南区安佐北区が豪雨で土砂流が発生し大変なことになっていたのである。

昨日のブログで鉄人は心配性だと吐露したのだが、杞憂で終わらなかったのだ。災害現場は鉄人が住んでいる処から15キロから30キロ離れている。でもその地域にあるいろんな飲食店の撮影を何時もしているので地理にも明るく親しみもある。

その馴染みの地域が甚大な被害を被っていたのだ。鉄人はすぐ今回災害に見舞われた地域に住んでいる友人知人に安否確認のメールを出した。ほとんどが大丈夫だったのだが一人だけ土砂崩れをダイレクトに受けた知人がいて、彼は今避難所にいる。

昨今は、集中豪雨が何処で発生するか検討がつかない。今回は自宅から少し離れた場所だったが、15年前の集中豪雨では自宅の近所で土砂崩れが起き死者も出ている。対岸の火事ではないのだ。

今回の災害で亡くなられた方々には心よりご冥福をお祈りする。また二次被害が出ない様に願うばかりである。





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2014年08月19日

心配性。

「ふる里の海2」

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鉄人は少々心配性の様である。今日も一日中ぐずついた天気だったが夕方から本格的に雨が降り出した。おまけに雷鳴も聞こえる。すると急に息子達のことが心配になって来たのだ。

雷雨になった頃はまだ息子達は帰宅していなかった。長男は益田に出張撮影で出かけていて、次男は井口の職場で仕事中である。

益田に行くには戸河内で高速を降りて国道191で一直線である。浜田道で行くより時間が短い。だが高低差があり難所も多い。

で、不安になったのだ。「大雨で土砂崩れ」なんてことにならなきゃいいがと・・・。そこで長男にメール、「遠くても浜田道に廻れ」。そして3時間後息子は帰って来た。浜田道を通って。

次男である。彼は仕事場にバイクで行っている。で、不安になったのだ。「雷に打たれる」なんてことにならなきゃいいがと・・・。そこで次男にメール、「金は出すからタクシーで帰れ」。そして3分後息子は帰って来た。バイクでずぶ濡れになって。ちょっとメールをするのが遅かったか・・・。

かように鉄人少々心配性なのである。鉄人のモットーは悲観論的楽観論なのだ。とことん物事を悲観的に考えて、それに準備をする。自分が出来る範囲内の準備をしたら、それ以上はやりようがないので楽観的になるのである。

これはプロ野球のノムさんこと野村監督の監督業に対するスタンスなのだそうだ。この話を聞いて鉄人なるほどと思った。これこそ究極のリスクマネジメントである。それ以来この考え方を真似している。

結局何事もなかった訳だが、鉄人の心配性は直りそうにもないのでR。
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2014年08月18日

阿修羅の正義。

「ふる里の海」

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盆休み中、一冊の本を読んでいた。タイトルは「いいかげんのすすめ」、仏教学者ひろさちや氏の著作である。

難解な仏教思想を、我々一般人にも理解出来る様に平易な文章で紹介されている。その著書は優に500冊を超えているらしい。

鉄人、難解と言われている仏教書も読んではいるのだが、実はあまり理解出来ているとは言い難い。さちや氏の本を気楽に読むことで、その理解が進むことがよくある。そして今回も「あっ!!」と「目から鱗」状態になった一文というか一言があったのだ。

阿修羅は、日本人にはよく知られた存在である。数年前に開かれた阿修羅展は、日本中で大変な話題になったことは記憶に新しい。

ご存知の様に阿修羅は戦いの神様である。元々は正義の神様であったが、自らの正義にこだわり戦うが故に神々の世界から追放され、魔類に落とされている。

自らの主張が正義だとしても、それで相手を罵倒し争ったり戦えばこころは平安にならない。怒りの炎が燃え上がるからだ。

そのとき己は阿修羅になっているのだ。ここが「正義」の怖いところである。自分は間違っていないという確信があるが故に、それが逆に自らを苦しめるのである。また相手も苦しめることになる。

そして正義の人は「狭量」なのだとさちや氏は説かれる。今回鉄人がこの本を読んで一番こころの琴線に触れたのが、「正義感が強い人間はこころが狭量」なのだという言葉である。

鉄人は、自分自身を正義感が強い人間だと思っていた。ところがこころが狭い人間でもあったのだ。その事実に気づかされ「あっ!!」と目から鱗が落ちたのである。

たとえ相手が完全に間違っていると思っても、その相手に「思いやり」を持って接する。「慈しみ」の気持ちである。その慈しみのこころが気づかないうちに自分からなくなっていた様な気がする。

自分が阿修羅にならない為には、魔類に堕落しない為には、「正義にこだわってはならない」ということを教えてもらったのである。

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2014年08月13日

YouTube。

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昨夜鉄人は一晩中泣いていた。それは「ナイツ」の漫才をYouTubeで観ていたからだ。元々鉄人はナイツの大ファンだったのだが、あまりの面白さに涙は止まらないは呼吸困難にはなるはで、笑いがあんなに苦しいものだとは思わなかった。

鉄人、最近YouTubeにハマっているのである。以前、MacのG4を使っていたときは、YouTubeがまともに映らなくて何も観れなかったのだが、MacBook Proに買い替えてからはそれが観れる様になった。

まずハマったのが歌である。大好きな曲であるプッチーニのオペラ「トゥーランドット」の「誰も寝てはならぬ」をいろんな歌手で聴き比べするのだ。

パバロッティの十八番だが、他の歌手でもなかなか良い。特にあのポールポッツは気に入った。冴えない携帯電話の営業マンから一夜にしてスターになった彼だが、そのスターになるきっかけになった「ブリデンス・ゴット・タレント」というタレント発掘オーデション番組で歌ったのがその「誰も寝てはならぬ」だった。

まあそこまでは素人だったので、歌の基礎とかは出来ていない。オペラ歌手としては一流とはいかないのだが、でも良いのである。ドラマチックなその人生も背景にあるのかもしれないが、それも含めて歌手なのだ。

彼にはオーディエンスを感動させる何かがある。YouTubeは音と共に映像も観れる訳で、彼のドラマ性にさらに拍車をかける。ひとは結局「刺激」を求めているのである。その刺激が強ければ強いほど「感動」という形で現れるのだ。ただ刺激は一過性のものでもある。彼の人気が何処まで続くかは彼次第である。

後は9.11の謎に迫ったドキュメンタリーも良かった。あの事件は詳細を知れば知るほど不可解なものだ。世界は9.11を境にドラスティックに変化している。世界の真の姿を知る為には9.11は看過出来ない。日本で論議の的になっているあの集団的自衛権も無関係ではないのだ。

そんなこともYouTubeで知ることが出来る。今度は何の分野を楽しんでみようか。
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2014年08月09日

不満について。

「罪な頂き物」

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「不満を言ったらはめ変えるブレスレッド」を実践している鉄人だが非常に難儀している。

まずこりゃ駄目だと思ったのは野球中継である。ブレスレッドに頼っていた抑止力が全く効果がなくなるのだ。テレビに夢中になってくるとブレスレッドの存在が何処かに飛んで行く。

「外野フライくらい打たんかい、梵!!」「振り回しすぎなんだよキラ!!」「目ぇつぶって振ってんのかエルド
レッド!!」「中崎は決め球がないんだよなぁ〜。」「脳みそあるんか◯◯!!」

もうぼろぼろである。不満を言う度に始めはブレスレッドをはめ変えていたが、あまりに頻繁なので途中で止めてしまった。

まあカープへの不満は笑い話で済むかもしれないが、家庭だとそうはいかない。鉄人、母親との会話が少なくなって来ているのである。

高校を卒業以来40年ぶりくらいに母と同居しているのだが、やはり摩擦は避けられない。会話をする度に不満の種が出来るのでそれが嫌で無口になるのだ。

鉄人はそんなに不満を漏らす方ではない。不満や愚痴を言うのが嫌なのだ。ただ母とは根本的なところが噛み合わず、口をきけば内心不機嫌になることが少なくない。

一番血が濃い肉親だけになかなか冷静でいることが難しいのである。そこで防衛策ではないが、自然に口数が減ることになる。

人間関係が破綻していくのは大抵不満が原因である。だから不満への対処法は、良好な人間関係を築く為には不可欠なものになる。でもそれを真剣に考え実践している人間は多分少ない。皆相変わらず毎日毎日不満を抱えて生きているのである。

不満とは何だろう。不満は対象が自分の考えや価値観と合わなかったときに生まれて来るものだ。自分の思い通りならすべてに満足で不満が生まれて来る要因がない。だが現実はほとんど自分の思い通りにならないから不満も大きいのである。

そう考えれば、「自分の思う通りにものごとがなる」ということがそもそもの間違いであることに気づかされる。現実の世界で自分の思い通りになることがどれほどあるだろう。

「人生は自分の思い通りに何一つなりません。」と、仏陀はさらに手厳しく説破されている。それが真理なら「自分の思い通りにしたい」という考え自体が最初から現実と乖離していることになるのだ。

だとしたら、ならないことをなそうとして不満を持つということは、実に「愚か」なことになってくる。母に置き換えてみる。母は鉄人の思い通りになるのか。ならない。ならないと分かっているのに何故不満を持つのか。愚かだから。

結論は「鉄人は愚か者」ということになる。言い換えれば「愚か者だから不満を持つ」ということになりはしないだろうか。

ただ知っておくべきことは、「不満を言う」ことと「意見を言う」ことは違うということだ。不満は感情なのだ。それも極めてマイナスの。

「母は宇宙人」だと思ってコンタクトをとってみるか。

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2014年08月06日

8月6日。

「祈り」

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今年も広島は8月6日を迎えた。例年、この日は原爆投下の当日を思い出させる様な晴天の日が多かったのだが、今日は雨の一日であった。

43年振りのことらしい。鉄人は毎年この日の8時15分に黙祷を捧げる。かみさんもつき合う。今年から母が参加してるのだが、彼女は普通に朝飯を食べていた。人それぞれね。

この日を迎える度に、やはり平和のことを考える。鉄人の平和の定義というか基本になる考え方は、まず家庭が平和であることだ。

鉄人はこの日、特に平和公園に行って何か活動をすることはない。勿論原爆のことを考えない訳ではないのだが、爆弾や武器、兵器は原爆だけではない。原爆に限らず戦争に関するものはすべて、平和には不要なものなのだ。

戦争を企てる者、戦争をする者、武器を売る者、それらの者達は皆人間である。他の動物が戦争をすることは決してない。

また残念なことに平和運動をしている組織どうしが反目しあったりしている。それも争いなのだ。鉄人はまずは家庭が平和でなければならないと思う。

家庭を常に穏やかに平和に保つことは考えているより遥かに難しい。家族の間でもそれぞれの考え方や主張がある
。そしてものごとは自分の思い通りになることは少ない。お互いを思いやりながら家族全体としての和を保つ。

世界の平和も基本的には家族の平和と何もかわらない。だから家族の平和を実現しているのなら、それは平和運動に勝るとも劣らない素晴らしい行為だと思うのである。

8月6日は、世界の平和と共に家族の平和を改めて考える、鉄人にとっては毎年とても大切な日なのだ。
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2014年08月05日

ワインショップ。

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写真は知人の店の中である。メールが来ていたので、どうせ商売が不調なんだろうと思い冷やかしに行ったのだ。

鉄人の知人友人には変な奴が多いが、この店の店主も相当変である。いわゆる「健康の為なら命もいらない」という類いの人物なのである。彼はワインと健康に良さそうな食品を扱う店をやっていた。

今日の夕方、彼の店に行ってみたのだがドアが無い。八百屋みたいにオープンなのである。おまけにエアコンも無かった。むっとする様な蒸し暑さの中、彼は奥のレジカウンターで扇風機さえつけず店番をしていた。

彼の店は、一階がワインショップ、二階が居酒屋になっている。以前酒好きだった鉄人が、多分、広島広しといえど、この男ほど酒を熟知している人間はいないだろうなぁと思わせた唯一の人間なのだ。

それほど酒に関して博識であり飲んでも来ているのだが、こういうタイプの人間は大体ヘンクーである。この男もご他聞に漏れず相当ヘンクーなのだ。

店には自分が試してみて気に入った商品しか一切置かない。売れそうだから置くという感覚がないのである。だから今爆発的に売れているあの日本酒も歯牙にもかけない。どうも製造方法が気に入らないらしい。

そんな男の店だから多分そんなに儲かっているとは思えない。思えないが、この男の商品に対する目利きには狂いがないのだ。

鉄人が以前酒を飲んでいた頃は、彼のお薦めのものを何の迷いも無く飲んでいた。そしてその目利きの確かさに驚嘆したものである。事実酒にうるさい人間なら必ず彼の店に連れて行った。そして毎回好評を博したものだ。

蘊蓄も半端ない。こっちが聞いていなくてもそんなの関係なくしゃべりまくる。もう勝手に言葉が出てくるのである。一緒にいたかみさんには顰蹙もんだったが、全然平気、鉄人達が店にいた時間の始めから最後までひとりでしゃべりまくっていた。

冷やかしに行ったのではあるが、何も買わないというのは可哀想である。かみさんがワイン好きなのでワインを買って帰ることにした。

彼の店のワインは安い。それを次々出して来る。一本でいいと言っても、例の蘊蓄を機関銃の如くしゃべりながらどんどん出して来る。予算があれば全部買ってもよかったが、そこはベテラン主婦のかみさん、無表情で一本だけ選んでいた。

そこで彼が放った一言。「しぶちんやなぁ〜。」

ちなみにワインはちゃんと空調の効いた部屋に保管してある。

広島ケイワイン

http://members.fch.ne.jp/kanpai/

082-291-5887

オーナーの蘊蓄が聞きたいというドMな人は遊びに行ってやってくれ。







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抑止力。

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昨日ブログで紹介した「不満を言ったらはめ換えるブレスレッド」を早速試している。写真のパープルのブレスレッドがそうだ。

微妙な色なのでおっさんの鉄人にはちょっと恥ずかしいのだが、おっさんのブレスレッドなど誰も関心がない様で完全にスルーされている。

ところがこの微妙な色のブレスレッドの威力は絶大だったのである。今日鉄人がブレスレッドを左右はめ直したのはたったの4回。これは鉄人にとっては凄いことなのだ。

一日中不満を言っていた鉄人が、今日たった4回しか不満を口にしなかった。不満がなかった訳ではない。不満を言いそうになると、ブレスレッドのことが気になりそれを我慢したのである。

そして我慢するだけではなく、どうしたら不満な気持ちにならないかを懸命に模索し始めた。そうしたら今日一日最近になく穏やかな気持ちで過ごせたのである。

ブレスレッドが強力な抑止力を発揮したことになる。でもわずか4回といえどクリアできなかった訳で、また振り出しである。

三週間目のその日に不満を言っても振り出しに戻る。これは手強い。ただこの「不満を言わない」刷り込みを続けていたら、間違いなく人格が変わる様な気がする。それも良い方に。

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