2014年02月15日

奚仲造車 無門関 八則

「小商い8」

画像 088.jpg

月庵和尚が、ある僧に尋ねた。「奚仲は百台もの車を造ったのだけれども、彼はその両輪を外し、車軸もとってしまった。彼は何を明らかにしようとしたのか。」

奚仲は、古代中国の夏王朝の人物で、車を発明したとされている。その彼がせっかく造った車をバラバラにしてしまった行為は、何を象徴しているのかと、月庵和尚は僧に尋ねたのである。

我々も普段車(現代なら自動車か)を見ている。道路を走っている鉄の塊は明らかに自動車だと認識している。ではその自動車を形成している部品をバラバラにしたらどうだろう。それはもう自動車とは呼べなくなる。

しかしその部品は増えもしていないし減りもしていない。自動車を形作っていたときと同じだけの数量である。自動車は何処に行ったのだ?

ではどのくらい組み立てれば自動車なのか。その線引きは何処で行う?そう考えると、我々が当たり前の様に見ている自動車という実体は無くなってくる。そして各々の部品もまた小さな部品の集合体である。

このことを我々の体に置き換えてみる。自分のだと思っているこの体も、様々な部品の集まりである。骨、皮、筋肉、血管、内蔵など様々な部品が合わさった集合体なのである。

そして車と同じ様に、その部品もまた小さな部品の集合体なのだ。おまけに何一つ自分の意思では造れない。自分の体という実体は何処にあるのか。その様なものは何処にもない。「無」である。ということを、この公案で月庵和尚は伝えたかったということである。

更に進めば、実体のないものに執着をしない様に。となってくる。この「奚仲造車」の公案は、「無我」を理解するのに比較的分かり易い喩えではないかと鉄人は思っている。





posted by masa at 23:34| Comment(0) | 日記
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