2013年11月16日

母のこと2。

「晩秋」

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また始まった。母が我が家に来ないと言い出したのだ。直接の理由は実に簡単である。体調が良くなったのである。

元々自由気ままな一人暮らしを選択していた母であるから、可能ならその暮らしを維持したいと思っていたはず。それとひとりで暮らすには充分な広さの今の家から、鉄人が提供出来る八畳ほどの部屋に住み替えるのも気が進まないのであろう。

この気変わりは今に始まったっことではない。鉄人が今の家を建てる時も、父母同居の予定だった。設計もそれに合わせて進めていた。ところが突然一緒には住まないと言い出したのだ。何か霊能者に意見を訊いてそう決めたのだそうだ。

困ったのは鉄人である。設計のやり直しはまだ良いにしても、住宅ローンの変更が不可能だったのだ。同居を条件に両親からの援助を多少期待し、月の支払いをかなり高めの返済条件にしていたのだ。それが来ない。住まない人間に援助してもらう訳にもいかず、支払いに苦労したのである。(途中からローンを組み直した。)

まだある。鉄人がお坊さんの見習いをしていた頃、スタジオのスペースが空いていた。それを知った母は、そこを自分達夫婦の部屋にしようと改築を提案してきた。その頃鉄人は本気でお坊さんになろうと思っていたので、その提案を受け入れ近くの工務店に設計と施行を依頼した。

幾らか作業が進んでいたところでまた来ないと言い出したのである。工務店には多少の違約金みたいなものを払い了承してもらったのだ。ところがその母の気変わりでスタジオが存続したお陰で今、写真の仕事が再開出来ているのである。まさに「塞翁が馬」といったところである。

鉄人の家の近くに住みたいと言い出し、鉄人夫婦で近所の借家を探し回ったこともある。他にも数え上げたら切りがない。その度に我が家は母に振り回されていたのだが、まあ実母だから仕方がない。結局のところ、母は独りで気ままに生きたいのである。

鉄人は息子であるから心配は心配だが、一緒に住んで上手くいく保証はない。家族にとっても母にとっても負担が増えるかもしれない。それは何とも言えないところである。

取りあえず母には、一緒に住む気になったら何時でもどうぞと伝えた。終の住処があるという安心感があれば気持ちも違うだろう。人生の終わりが何時になるか誰にも分からない。仏陀も「死は場所と時間を選ばない。」と説かれている。

高齢の一人暮らしで何かあっても、それは仕方がないことかなと諦めているのである。彼女は自由を選択したのだから。

posted by masa at 09:55| Comment(0) | 日記
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