2013年09月16日

コンタクト。

「ホームシアター」

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最近ホームシアターにハマっている。先日、映画「2012」のDVDをアマゾンで買って鑑賞したらこれが結構面白い。それに味をしめて、「ディ・アフター・トゥモロー」、「2001年 宇宙の旅」、「レッド・クリフ」と立て続けに観ている。「2012」は連日の様に観ているのだがこれには少々訳がある。

映画も面白いのだが、英語の勉強になるのだ。アメリカのコメディが英語の勉強には良いと聞いて、いろいろ購入して観ていたのだが、どうも面白くない。安っぽいアメリカンジョークに付いていけないというか。

その点好みの映画なら観てみようかという気にもなる。鉄人はSFものや特撮ものが好きなので、その様な映画を観るのである。今回、購入した映画は「コンタクト」547円也、とってもリーズナブルである。アマゾンの評価が高かったので買ってみた。

原作は彼のカール・セーガン。鉄人も彼の本は持っているので期待した。SFもので、地球外生物と「コンタクト」し、特殊な装置で彼らの星に行き生還するというもの。主役はジョディ・フォスター。

真面目な映画で、「何故、我々はここにいるのか。我々はいったい何者なのか。」という誰もが一度は自分に問いかけるテーマをこの映画は取り上げている。

それで遠い宇宙の生命体とコンタクトし、自分達がひとりではないことを知るのだが、仏教的答えはこの映画の導きだしたものとは異なる。

「何故、我々はここにいるのか。」 仏教の答え「我々は何処にもいない。」、「我々はいったい何者なのか。」仏教の答え「何者でもない。我々そのものが存在しない。」要するに無我であるということだ。

遥か遠くの宇宙にその答えを探しに出かけても、宇宙はもっと遥かに広い。その先のことはどうなるのだ。真理を外に求めてはいけない、それは無駄なことであるというのが仏陀の教えになる。

答えは、真理はすべて己の中にある。答えを探しにいくなら内なる宇宙、自分を旅しなければならない。「我々はいったい何者か。」己を観察していけば、自我を見つけることが出来ない。我がいなければ何者もへったくれもなくなる。最終的には我々は何処にもいないのだ。と、鉄人は解釈している。

大宇宙に満遍なく存在すると思われる生命体の特徴は須く皆同じである。出生し歳を取り壊れ死ぬ。宇宙の果てまで行ってもそれは同じである。そのことは自分を観察することにより確信出来る。そしてその事実を変えることは誰にも出来ない。体があっての思考である。その体なくして思考は出来ない。しかしその思考で体をコントロールできないのなら、我という実体としての存在はありえなくなる。すなわち、我々は何者でもなく何処にもいない。というのが答えになってくる。

大宇宙に憧れはある。しかし自分も大宇宙も実体としては存在しないという真理は変えられないと鉄人は思うのである。
posted by masa at 22:40| Comment(0) | 日記
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