2013年09月09日

Not-Self 無我2

「赤の残像」

赤の残像.jpg

Buddha made a distinction between ultimate truth and conventional truth. The idea of a self is merely a concept, a conventionーAmerican, Thai, teacher, student, all are conventions. Ultimately no one exists, only earth, fire, water, and airーelements that have combined temporarily. We call the body a person, my self, but ultimately there is no me, there is only anatta, not-self in your heart, the burden of life will be lifted. Your family life, your work, everything will be much easier. When you see beyond self, you no longer cling to happiness, and when you no longer cling to happiness, you can begin to be truly happy.

仏陀は最終的な真実と習慣的な真実を区別した。自分の考えというのはただの概念に過ぎない。アメリカ人、タイ人、教師、生徒などすべては習慣的なものである。それは最終的には存在しないものだ。大地、火、水、空気なども、ただ一時的に役に立つ要素なのである。我々は人間の身体を自分自身と呼ぶ。しかし最終的にはそれは自分ではない。それはアナッタ(無我)に過ぎないのだ。あなたのこころが無我を理解すると、人生の重い荷物をを持ち上げられるだろう。家族との人生、仕事、すべてはよりやり易くなる。あなたが自分自身を超えることを理解したら、あなたは幸福に長くは執着しない。そしてあなたが長く幸福に執着しなければ、本当の幸福になることを始められる。

無我を理解することは大切だと思う。自分が実体として存在しないと解れば、何事にも執着する必要がなくなるからだ。言ってみればこの世は幻の様なものである。最終的には何も掴めない。掴んだと思ってもそれはすぐにまたはやがて必ず消えていく。結局は何も残らないのである。

それならば何事にも囚われず静かに穏やかに生きていくことを説かれた仏陀の言葉に従うべきではないだろうか。我々が手に入れようともがいている幸福は一時的なものに過ぎない。それを得んが為に常に戦い悩み苦しんでいる。何事にも執着しないということは問題の種がないということ。問題が何もないとなれば苦しみは生まれないのである。それこそが本当の幸福だと仏陀は説かれた。

自分があると思うから、信じるから自分の身体へに執着が起きるのである。自分のものではない無我だと理解できればその執着は消えていく。消えれば苦しみも消える。それが出来るかどうかは自分次第だが、仏陀の教えには真理に対しての抗い様の無い論理性があることは確かだと思う。
posted by masa at 00:28| Comment(0) | 日記
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。