2013年07月03日

The Wrong Road

「プノンペンの夜」

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A wandering ascetic, having heard of the Buddha, traveled everywhere looking for him. One night he came to stay in a house where the Buddha was also staying but, not knowing the Buddha's physical appearance, he was unaware of his presence. The next morning he arose and continued on his way, still searching for the Buddha. To search for peace and enlightenment without correct understanding is like this.

Duo to a lack of understanding of the truth of suffering and its elimination, all the subsequent factors on the path will be wrongーwrong intentions, wrong speech, wrong actions, and wrong practice of concentration and tranquillity. Your likes and dislikes are not a trustworthy guide in this matter either, although foolish people may take them for their ultimate reference. Alas, it is like traveling to a certain townーyou unknowingly start out on the wrong road, and since it is a convenient one, you travel it in comfort. But it will not take you where you want to go.

仏陀を探し回っていた行者が、ある夜、仏陀が滞在されていた家に泊まることになる。ところが行者は仏陀の外見を知らない。翌朝、彼はまた仏陀を探しに旅に出る。

正しい理解なしに平安と覚りを探すということはこの様なことだとアーチャン・チャーバンテーは説かれる。ものごとを正しく理解していないとその後の行為や努力は間違ったものになるということだ。それは好き嫌いで決めることではない。好きなことでも間違いはある。否、間違いだらけかもしれないと思う。

間違っているから苦しみも大きいのではないか。一見楽しそうなことでもそれが貪欲や執着に繋がり苦しみ続ける。だから正しい理解が必要だと思うのだ。そこが間違っていれば、傾いた土台に家を建てる様なもので、その家が大きい程危険が増す。苦しみに対しての正しい理解はそれほど大切なことだと鉄人も思う。


                                                    〜A Still Forest Pool〜
posted by masa at 23:41| Comment(2) | 日記
この記事へのコメント
鉄人様   こんばんは
ですね間違いだらけなんですね
平らだと思っても傾いていたり
日々手探りで穏やかな平らを探してますが
それも間違いの始まりで
いつもありがとうございます
見つめ直すのは何度でも良いですか?
Posted by かくれんぼ です at 2013年07月06日 21:35
かくれんぼ様 いらっしゃいませ。

何時もコメント、どうもありがとうございます。

自分を見つめ直すのには基準が必要だと思います。その基準が大切だと仏陀も仰っています。平安に生きて行く為の土台ですね。

仏教では「三毒」と言いまして、人生で最も毒になるものが三つあるとしています。

ひとつは「貪欲」または「渇愛」(もっともっとという激しい欲望)、ふたつ目は「怒り」、最後は「無知」(真理を知らないで生きること)です。

自分を見つめ直す時は、欲しがりすぎていないか。怒っていないか。無知ではないかを見ます。

「無知」とは、すべては「無常」(留まるものは何一つない)であるということを知らない。すべては「苦」であるということを知らない(仏教での「苦」の定義は、思い通りにならないものという意味合いがあります)。自分およびすべてのものは現象であって実体はない「空」である。ということを知らないという意味になります。

この三つを見つめ直します。というより常にこのことに気づく様にします。

この基準により明確にその時の自分の状態が分かります。欲張っているなら控える。怒っているならそれにすぐに気づき怒らない様に努力する。何かにこころが動揺しているなら、すべては無常なのだと諦観する。

この様に自分を見つめていけば、穏やかで落ち着いたこころを取り戻します。

実践あるのみだと思っています。
Posted by 鉄人 at 2013年07月07日 01:17
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