2013年06月05日

ゴキちゃんとブリちゃん。

「地蔵尊」 〜小豆島八十八カ所第四十四番札所 蓮華寺〜

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ゴキブリの季節がやってきた。鉄人の家にも当たり前の様にこの季節になるとゴキブリが何処からともなく登場する。そして食べ物がないはずのスタジオにも現れる。

スタジオに現れるゴキブリは、不思議なことに毎年2匹である。ゴキブリの成虫の寿命は半年だと聞いたことがあるので、それが本当なら毎年違うゴキブリのはずである。だが鉄人の前に現れるゴキブリは毎年2匹なのだ。そんな2匹に鉄人あだ名を付けている。「ゴキちゃん」と「ブリちゃん」。そのゴキちゃんとブリちゃんが今年も現れた。

鉄人の場合、「五戒」(五つの戒め)の中のひとつである「不殺生戒」を守っているので、自分の意志で生き物を殺すことはない。勿論ゴキブリも殺さない。というか殺せなくなっている。

「五戒」の中で一番仏陀が重要視されたのが、この「不殺生戒」なのである。すべての生命は平等であるので、殺生は許せる行為ではない。と仏陀は説かれている。

動物は本能的に自分の生命の危険を感じたら逃げる(植物に関しては、仏教では別の考え方である)。当然動物の仲間である人間の鉄人も、身の危険を感じたら逃げたり抵抗したりする。

その逃げる生命を追いかけ殺すのは、自分自身がそれをされても何も文句は言えない。という理屈になる。そこには、他の生命を憐れむ慈悲の心が生まれない。人間も生きる為に殺生を繰り返す他の動物と何も変わらない。どころか、生きる為に必要な数量以上に殺生を繰り返しているのが我々人間である。

現実論としては、全く殺生をせず生活して行くのは不可能である。しかし必要以上に殺生しているのが我々人間ではないだろうか。殺生には大きな問題がもうひとつある。それは殺生を「怒り」のこころで行う場合があるからだ。

ゴキブリ、気持ち悪い。蚊に刺された。痒いから腹が立つ。蛇が嫌いだ。そんな自分勝手な怒りで殺生をする。怒りが殺生のエネルギーなのである。これは自分にとっても甚だマズい心理状態である。怒りの感情で行うことは結局自らを滅ぼす行為だからであると、仏陀は警告される。

猟師は魚を獲る。これも殺生ではある。しかし生活の為に魚を獲っている猟師には「怒り」の感情はない。またその魚がいる豊かな海に感謝し、今まで獲ってきた魚に対して供養をする。生活の為だからといっても殺生が善行為にはならないが、そこに違いがあるというのが仏教の見方である様だ。

今はゴキブリに対して嫌悪感は生まれない。それを察してかどうかゴキちゃんもブリちゃんも鉄人からあまり逃げない。昔からゴキブリは鉄人の周りにいた。ゴキブリを見つけたものならカーペットをひっぺがしても殺虫剤を噴射していた。

ゴキブリはゴキブリである。今も昔もその姿や生態は何も変わっていない。何が変わったのか。鉄人のこころが変わったのである。
posted by masa at 10:38| Comment(0) | 日記
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