2010年02月18日

仏教的幸福論no.1

Photo 白木蓮の咲く頃
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相変わらず忙しい。有難いことなのだが、やはり体力的にも精神的にも余裕がなくなってくる。 
 
端的に言えば「苦しい」のだ。逆に仕事が無いという状態も、商売人にとっては当然「苦しい」。

要するに、仕事が有っても無くても「苦しい」ということになる。

仏陀の有名な教えに「一切皆苦」(いっさいかいく)という言葉がある。

多少仏教を齧っている人間なら誰でも知っている教えだ。意味は、「すべてのものは苦しみである」ということ。

「人生の上でのあらゆる存在も経験も現象も「苦」そのもので ある」。二千六百年前、仏陀はその「真理」を発見した。

「苦」という言葉の響きは、何とも辛く悲しい。とてもペシミスィックに感じられるし、厭世的な匂いもする。

でも仏教でいう「苦」は、そのようなイメージと少し違う。仏教でいう「苦」とは、「自分の思い通りにならないもの」というような意味合いになる。

「四苦」という言葉がある。

・生まれて来たこと。
・老いること。
・病むこと。
・死ぬこと。

以上の「生老病死」。

また、

・愛別離苦・・・大切な人との別れ。
・怨憎会苦・・・嫌な人間との付き合い。
・不求得苦・・・求めても手に入らない苦しみ。
・五蘊盛苦・・・エネルギーが盛ん過ぎる苦しみ。

「四苦」と足して「四苦八苦」。

このように、人生とは自分の思い通りにならないことばかりなのだ。経験上「真理」としか言いようがない。(まだ死んでないが)

では何故、仏陀は自分の教えの中で、この「苦」を、ことさら大きく取り上げていたのか。

「悲観的に生きなさい」と言いたかったのか。「人生を諦めろ」とでも言いたかったのか。当然「否」である。

この「一切皆苦」を捉えて、「仏教は暗い」というようなイメージがある。逆である。

スリランカやカンボジア、タイなど初期仏教の国を訪ねてみると分るのだが、それらの国のお坊さんは皆大変に明るい。(鉄人はカンボジアしか行ってないが)

それは人生の問題を解決している明るさなのだ。今回ブログで取り上げた「一切皆苦」に対しての、処方を知っているからあんなに明るい。

ではどうすれば、この「苦」から逃れることが出来るのか。残念ながらそれは無理。「自分の思い通りにならないもの」から逃れることなど出来るはずがない。

逃れられないのならどうするか。それは「受け入れる」ことしかない。自分ではどうしようもならないということを、現実を観て、ちゃんと認めて受け入れる。

でも皆がやっていることは、すべてを自分の思い通りにしたい。と考えながら生きているのだ。

残念ながら自分の思い通りにはほとんどいかず、その理想と現実とのギャップで、絶えず苦しむことになる。

それを「人生、自分の思い通りにいかないのは当たり前」という人生観で生きていると、様々な「苦しい」ことが起こっても、「それって当たり前ね」って、認めて納得することが出来る。そうすれば少々のことでは腹が立たなくなるし、うろたえなくなる。

この人生観、自分の人生を幸福なものにする為にも、大変有意義なものだと思う。

最近、鉄人は以前よりは多少腹を立てなくなった。怒りが少なくなった分、相対的に穏やかな時間が当然増える。穏やかな時間が増えれば、幸福な時間が増えるのも、また当然であると思う。

仏陀が説いた「一切皆苦」。認めて受け入れてこそ素晴らしい人生になると確信している。
posted by masa at 22:33| Comment(2) | 仏教夜話
この記事へのコメント
始めまして、「石内の四季」のたっちゃんです。
ときどき拝見しています。
今日のご意見に共鳴するところがありコメントしています。
若い一時期お寺で育ち、正信偈などを勉強しましたが、現在、般若心経や聖書に真理を求め人生の集大成を模索しています。ダライラマに直接お会いしたこともありますが、未熟者の自分を思い知りました。
Posted by たっちゃん at 2010年02月19日 10:12
たっちゃん様 いらっしゃいませ。

はじめまして。コメントどうもありがとうございます。

石内地区は、以前私のジョギングコースでした。市内では数少ない土の路がありますので、毎日のように八幡から走っていました。

現在は走り過ぎて膝を悪くし、散歩にはさすがに遠いのでご無沙汰しています。

私もたっちゃん様の「石内の四季」は度々訪問させていただいておりますが、石内地区の美しい自然が、見事に写真で表現されていて、素晴らしいブログだと感心致しております。

たっちゃん様は、「仏教」や「キリスト教」などに、大変造詣がお深いご様子。私のような駆け出しのブッディストのブログにコメントをいただけますのは、申し訳ない気持です。

ただ私も浄土宗の僧侶の孫として生まれ、天台宗のお寺で修行の真似事をしていたこともあり、「仏教」には自分なりに感心を抱いております。

そこで思いましたのは、一度「仏教」の原点に還ってみるべきではないか。ということです。

それが今私が学んでいますところの「初期仏教」になります。

「初期仏教」は、広島ではほとんど無名の存在です。しかし「無名」だからといって、「偽物」だとは限らない。

現に私の中では、今まで疑問に感じていたことが、「初期仏教」に触れたことで、ほとんど解決致しております。(まだ勉強不足の為、すべてではありません)

私の人生も「真理」を知る為にあったようなものです。その答えが見つかった今、後はその「真理」に基づいた正しい生き方を実践するだけだと思っております。

今後とも宜しくお願い致します。
Posted by 鉄人 at 2010年02月19日 13:41
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