2010年02月05日

朝青龍という男。

Photo 神楽面
kaguramen.jpg

あの横綱朝青龍が引退した。突然のことだったので多少驚いたが、流れからして予測の出来るものであった。 
 
鉄人は別に朝青龍のファンでもアンチでもない。ただ今時の日本の男にはいないタイプの男であった。いわゆる「荒ぶる魂」とでも言おうか。公私において常に荒ぶっていた。

「郷に入れば郷に従え」という諺があるが、荒ぶる魂の彼には、結局それが出来なかった訳である。

人と云うものは、好むと好まざるとにかからわず、何かの組織の中で生きていかなくてはならない。

それは大きく見れば、国家であり、小さく見たならば家庭である。勤めていれば職場。学生ならば学校。それこそいくらでもある。

自分ひとりで生きていると思っている人間でも、何かの組織に属さずに生きて行くのは不可能なのだ。

組織というものは、その形態を維持していく為に、当然ルールがある。逆に言えばルールがなければ組織とは言えない。

そのルールが守れない人間には、その組織にいる資格がなくなる。今回の突然の引退劇も、客観的に観ればしごく当然のことだ。

相撲人気がなくなるとか、興行に差し支えるとか、そういう次元の問題ではない。厳然たるルールを守ってこそ、その組織は生き延びて行けるのだ。

鉄人は感情的に朝青龍を攻めるつもりはない。ただ自分が属している組織のルールが守れなかったら、その組織を出て行くというだけのことなのだ。

二千六百年前、仏陀を中心とする出家者の集団「サンガ」という組織があった。その組織のルールはことの外厳しいものであった。

仏教の世界では、よく「戒律」という言葉が使われるが、「戒」と「律」は内容が違う。「戒」は文字通り「戒め」である。

これは自分に課すものだ。それに対して「律」は、ルールということになる。組織を健全に運営して行く為の、皆で守る決め事である。

「律」は罰則を伴う。ルールを守れなければ、しかるべき罰が与えられ、それでも態度が改まらなかったら、最後は破門になる訳である。

今回、朝青龍は角界を破門になった訳だ。ただサンガと違うのは、サンガには戻れる可能性が残されている。人は変われるからだ。

横綱朝青龍には、その可能性はない。身から出た錆とはいえ、取り返しがつかない出来事ではあったようだ。
posted by masa at 00:33| Comment(0) | 仏教夜話
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。