2009年12月17日

ああ年賀状。

Photo 雪のほむら
yukinohomura.jpg

今年も悩ましい時期になって来ました。そうあの年賀状を書く時期にです。 
 
毎年なるべく早く書いて出そうと思うのですが、ずるずると年末ギリギリまで引っぱり、最後に慌てふためいてやっつけ仕事をするというのが、お決まりのパターンです。

何故毎年そんなことになってしまうのか。鉄人の場合ですと、クリスマス過ぎないとお正月を迎える気分になれない。字が下手である。肉体労働者なので、机に向かってする作業が苦手。送り先の整理が面倒といったところでしょうか。

年賀状の風習は、お隣韓国や中国にもあるようですが、元旦に必ず着くようにするというのは日本独特のようです。

これで困っている。締め切りに追われる漫画家みたいなものです。漫画家はまだその状況に慣れていますが、普段手紙一枚書いたことがないような鉄人みたいな人間が、突然大量の執筆活動を余儀なくされる。筆が進まない訳です。

字が下手な鉄人ですが、極力自筆で書くようにしています。表の宛名と、裏に短いのですが文章を書くようにしています。

書き始めの頃は、その文章も丁寧なのですが、作業が進むに連れ、何時の間にか「お元気?」の一行で終わり。やっぱりやっつけ仕事なってしまいます。(苦笑)

初期仏教では、この年賀状のような文化や風習は「世俗締」と言います。その国や地域、地方など限られたところで、そこに住んでる人達やリーダーが、言ってみれば勝手に決めたもの。

そういったものを「世俗締」と呼んでいます。ですから人間として必ず必要不可欠なものではないのです。場所が変わればその決まり事は全く無意味になります。必要不可欠なものは、場所が変わっても関係ない。

「世俗締」は物凄く沢山ありますね。年中行事としては、正月、節分、節句、七夕、お盆、クリスマスなど。お中元やお歳暮も「世俗締」。花見や夏祭り、秋祭りも「世俗締」。結婚式やお葬式も「世俗締」。そしてそれらはさらに細々とした決めごとに埋め尽くされています。

ホント我々の生活は、この何となく周りで決まっているルールに、悪く言えば振り回されている。ただこう言った「世俗締」を無視して生活するというのも、周りから浮いた存在になってしまう可能性もある。

でも周りがやっているから自分もやる。誰でもしているから自分もする。というのではちょっと勉強不足かも。初期仏教では、皆がしているからということで、特に考えず同調することを、「疑」と言って注意します。

本当に必要なものなのだろうか。大切なものなのだろうか。自分の為になるものなのだろうか。

まず疑ってみる。そして自分なりに考える。最後に自分にとっての答えを出す。この一連のプロセスが大切だと思うのです。

年賀状の話しから随分脱線しましたが、年賀状も形式的に誰彼出すのではなく、ご無沙汰している方に、こころを込めて出したいと鉄人は思っています。
posted by masa at 00:31| Comment(2) | TrackBack(0) | 仏教夜話
この記事へのコメント
アタクシ、来年の年賀状は出さないんですの。
2月の挙式を終えてから、転居と結婚を一緒にお知らせしようと計画中。

あきませんかねぇ?
Posted by かえる at 2009年12月17日 18:10
かえる様 いらっしゃいませ。

髪が大分伸びられて、イイ女に磨きがかかってきましたね。

かえるさんのブログの方も、毎日ラブラブ模様。鉄人、気が付きました。
ブログを書く人が超ハッピーな時には、コメントが出し難いものだと。(笑)

二月がご結婚式ですか。只今佳境ですね。髪を伸ばしているのもその為なんですね。

またコメントします。何かやらかしてもらえたら、コメント出しやすいんですけど。(笑)
Posted by 鉄人 at 2009年12月17日 21:12
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/34238460

この記事へのトラックバック