2009年12月10日

「悟り」への階段。

Photo 田園
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「悟り」って何に?

仏教の目標は「悟り」であることは、誰もがご存知ですが、じゃあ「悟り」って一体何よ。となったら意外に知らない。ましてやどうしたら悟れるか、ということになると全く分らない。というのが現実ではないでしょうか。 
 
「悟り」という言葉は、仏教以外の宗教や哲学には、全く登場しません。仏教独自のもので、また肝心要のものなのです。

僧侶は日本中に数多いると思いますが、本気で「悟り」を目指している僧侶なんかほんの一握り。何の為に僧侶になっているのでしょう。

おシャカさまは、「別に僧侶にならなくても悟れますよ」と、仰います。我々一般人、普通の人間でも十分に「悟り」を開くチャンスはあると説くのです。

「悟り」って何か分らなくても、何となく憧れるなあと感じる方も多いでしょう。最初に「悟り」を開いた人、おシャカさまが、二千六百年たった現代でも、あれだけ世界中で褒め讃えられておられるのだから、きっと素晴らしいことには違いない。と皆が思っているからなのです。


「悟り」のタイプ

「悟り方」にはふたつの形があります。

一、パッと一瞬で悟る。
二、段階を経て徐々に悟る。

このふたつ。一、の「パッと一瞬で悟る」というのは特別なケース。例えばおシャカさま自身が、菩提樹の下で一瞬にして悟られたようなケースです。

二、は悟りまでのステップを一段ずつ、その段階ごとの目標をクリアしながら上がっていくやり方。

二、のやり方なら誰でも「悟り」を開くことが出来ますよ。とおシャカさまは説くのです。


「悟り」は四段階

「悟る」為の段階は四段階あります。比較的悟り易い段階から、おシャカさまと同じレベルの段階までの四段階。

全ての段階で、悟りは悟りなのですが、完成度が違います。我々一般人が悟れる段階は二段目まで。それ以上になるには、出家するしか方法はないそうです。

今回はその一番開き易い「悟り」の段階のお話。これを「預流果」(なった人を、預流者と言います)と言いますが、この段階に至るだけでも、大変な特典があります。

それは死後、三悪には転生しないということ。三悪とは「地獄」「畜生」「餓鬼」の三つ。「預流果」という最初の「悟り」の段階に達していたら、「三悪」には絶対に転生しませんというお墨付きをいただけるのです。

これは有難いことです。「三悪」は苦しみだけの世界ですから、そこに転生しなくて済むのなら、是非「預流者」にはなってみたいと思いませんか。

逆に言えば、この「預流者」になっていないと、死後「三悪」に落ちてしまう可能性があるということ。ビビリます。

それと七回生まれ変わる間に、必ず最高の「悟り」、「阿羅漢果」に至ることが出来るそうです。そうしたら「解脱」出来ますから、輪廻転生の渦の中から抜け出すことになるのです。それで終了。ですから「預流者」になるというのは実は大変なこと。それは「解脱」への第一歩だからです。

ではどうすれば成れるか。それではそれを具体的に説明してみます。


どうすれば悟れるか

一、「諸行無常」を「体感」する。

「諸行無常」は日本人なら誰でも知っている言葉です。意味は「生まれたものはすべて消えますよ」ということ。それは物質もこころも。「あ〜そうだよなあ」と『体感」する。

二、「一切行苦」を「体感」する。

「生まれたものは、すべて苦ですよ」という意味。生まれたものは必ず消えますから、結局何も残らない。残らないものを日々求めて、四苦八苦している訳です。「あ〜そうだよなあ」と「体感」する。

三、「諸法無我」を「体感」する。

「自分だと思っている存在はありませんよ」という意味。身体もこころもどんどん変化していく。これが私だ。という確固たるものは何処にもありません。「あ〜そうだよなあ」と「体感」する。

この三つを一瞬でも「体感」したら、「預流者」の仲間入り。聖者の仲間入りをする訳です。


悟れる理由

何故成れるのかと言いますと、「無知」から起こる煩悩が完全に断たれるからです。もう「無知」ではなくなったということ。最初の「悟り」は、無知から起こる三つの煩悩が断たれたら「預流果」です。

ここまで来ると、おシャカさまの教えが、真実だという確信が生まれます。後は教えを信じて、「悟り」の流れに入っていく。そうして何時かは(今生とは限りません)、最終的な「悟り」まで達するという訳です。

鉄人はその段階に行きかけている「預流道」にいる段階。でも流れには入っていますので、そこから無知の岸に上がることはありません。

この段階の人は、傍目フツーの人と変わりません。同じように生活している。しかしものの見方が完全に変わっています。

おシャカさまは、「悟り」は誰でも開けます。と仰っておられます。このように具体的に知れば、誰でも出来るような気になりませんか。

難しいお経が読めても、何とか如来や何とか菩薩を拝んでも、きらびやかな法衣を着ても、絶対に「悟り」を開くことは出来ません。「真理」を「体感」することが大切なのです。


初歩の「悟り」、「預流果」の価値

おシャカさまは、我々一般人でも開ける初歩的な「悟り」、「預流果」の価値について、次のように経典で仰っています。

「大地の唯一の支配者となるよりも、天に至るよりも、全世界の主権者となるよりも、預流果の方が勝れている」

法句経「ダンマパダ」百七十八


           参考書 藤本 晃著 「悟りの階梯」
posted by masa at 21:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教夜話
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