2009年08月21日

思い出の一枚  「家族の肖像」

Photo 家族の肖像
kazokunosyouzou.jpg

この写真は三年前仕事でカンボジアを訪れた時に撮影したものです。撮影場所は首都プノンペンの大きなお寺の境内。 
 
カンボジアの大きな寺院は、日本の寺院と少し感覚が違います。広い敷地の中には本堂や講堂、僧侶達の住まいなどありますが、また多くの一般人も住んでいるのです。

貧乏学生や傷痍軍人など、社会的弱者が多い様です。その中には今回「思い出の一枚」に取り上げた家族のような人達もいます。

彼らは日本で言うところの浮浪者になります。仕事をしないかありつけず、日がな一日、境内ですることもなく暮らしています。

現在の日本のお寺では考えられませんね。「駆け込み寺」という言葉があるのをご存知の方も多いと思うのですが、元々お寺というのは、庶民が何か困った問題が起きた時、お寺に
「駆け込む」ことで、一時的に何とかしてもらう、という役目もありました。

そのために信者は日頃お布施をしたり、お寺の手伝いをしていた訳です。お寺は皆のためのものだったのですね。拝観料を取って普段は誰も入らせない、みたいなお寺が日本には数多く存在しますが、本来のお寺の目的からは、随分かけ離れていることになります。

写真の家族、皆少なくても楽しそうではありません。両親など虚ろな眼をしていますね。これは麻薬を吸っているからだそうです。もちろん麻薬を買うお金などありません。タイヤのチューブを燃やすと神経を麻痺させる成分が出るそうですが、それを吸って神経を麻痺させることで空腹感を紛らわせるのだそうです。ほとんどの日本人には考えられないことですが、このような光景はプノンペンの多くの場所で見受けられます。

もうひとつ。この写真には子供が写っています。実は子供にとって親がいる方が食べられない、という現実がカンボジアでは存在します。

親がいない子供は施設に預けられます。施設の運営も楽なものでは決してありませんが、寝るところはありますし、食事も出てきます。「生きる」ということに関しては安心出来る
環境に入れる訳です。でも親がいるとそれが出来ません。働ける親ならいいのですが、仕事がない親の場合、ことは深刻です。

当然国からの援助はありません。ですからこのようにお寺の境内に住むことで雨露をしのぎ、お寺を訪れる信者からの幾ばくかのお布施によって、何とか生きているという訳です。

このような家族が存在するのは悲しいことではありますが、お寺が持つ本来の意味、ということに関しては思いを新たにした出会いでした。
posted by masa at 11:16| Comment(2) | TrackBack(0) | 思い出の一枚
この記事へのコメント
『駆け込み寺』という言葉を、忘れかけておりました。

お寺も寺院も教会も、みな、生きる勇気を与えてくれる場所であると存じます。
Posted by ラブピアノ at 2009年08月22日 13:44
ラブピアノ様 いらっしゃいませ。

そうなんですよねえ。お寺や教会というのは、本来庶民のために
存在しているものだと思います。鉄人のスタジオも急ぎの仕事や予算のない撮影でも、頼めば何とかしてくれるので、クライアントからはよく「駆け込みスタジオ」と呼ばれています。・・・普通の仕事もちょうだいなあ〜!!

生きとし生けるものが幸せでありますように。
Posted by 鉄人 at 2009年08月22日 15:09
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