2008年11月16日

アダンの木


アダンの木.jpg

この絵の題名は「アダンの木」という。田中一村という画家の作品である。彼をして「あの世まで持っていきたい唯一の絵」と言わしめた渾身の作品で、一村の最高傑作として知られている。 
 
田中一村は長い間、その名を忘れられていた画家である。明治41年栃木県に生まれている。幼少の頃より「神童」と呼ばれていた程絵の才能に恵まれ将来を嘱望され、自身東京美術学校の日本学科に進み中央画壇で活躍をみせていたが、絵に対する純粋性のゆえ周りとの摩擦を生み画壇を追われる。以後、世に認められることなく画業を続けていたが、50才の時残された人生で納得出来る最後の絵を描く為、奄美大島に移り住む。そして島の紬工場で染物工をしながら、生活困窮の中全身全霊で絵を描き続ける。しかし認められることなく69才でその孤高の生涯を終えている。

一村が再び世間の注目を集めるようになったのは、没後新聞やNHKの「日曜美術館」で紹介されてからである。その独特の画風から日本のゴーギャンとも呼ばれ、2001年には奄美に「田中一村記念美術館」も開館した。

さて「アダンの木」という作品である。これは鉄人が一村が再評価され始めた頃、広島であった一村の美術展で観たのが最初であるが、衝撃的というより、静かで眩しいという印象であった。静かで眩しいという表現は少々陳腐であるが、そう感じたのである。作品は4対1の割合の非常に縦長の比率で、アダ ンの木を広角気味に中央に大きく置き、背景に夕方近くの空と海を描いている。

静かだと感じたのはこの海である。眩しいと感じたのは雲間の太陽の光である。「あの世まで持っていきたい」と一村が何故言ったのか。それはこの絵がそのあの世を描いている絵であるからだと鉄人は推測している。

アダンの木がある手前の海岸は此岸、すなわちこの世である。海を隔てた空は彼岸、すなわちあの世である。アダンの木は一村自身であろう。木はその場所から離れることが出来ない。しかし風雪(南国は雪は降らないが)に耐えながらも、やがて花を咲かせ実をつける。そして役目が終われば彼岸に帰っていくのである。

鉄人の目から見るとこの絵は極めて仏教的な絵なのである。浄土宗や浄土真宗ではこの世の命が終わって往くところを西方極楽浄土と呼び、仏が住むところだといわれている。その浄土とは「光の国」なのである。絵の中の雲間の光の輝いている場所は、まさしくその西方浄土を彷彿させるのである。静かな海は悟りを開いた寂静の心境を表現しているように思われる。

老境の中で彼はやっと満足出来る絵を描くことが出来たのである。この絵も一村が生きている間は世間に知られなかったし、売れなかった。しかし彼は間違いなくこの絵を売らなかったであろう。彼にとって絵は売り物ではなく自分の分身、否「アダンの木」などは自分自身であったからである。
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