2014年10月16日

鉄人はいない。

「慈雨」

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道元の言葉に「我が身をだにも真実に捨てぬれば、人によく思われんと謂(おも)ふ心は無きなり」というものがある。

己というものはいないと思えば、人によく思われたいとかという気持ちは起きない。人によく思われようと望むのは、自分というものがあると思っているからだと道元は諭す。

遠藤弁護士は、以前「暴力団対策法」に反対し暴力団の弁護を引き受けたことがある。その為世間から大変な非難を浴びた訳だが、「法の下の平等」は暴力団とて同じだと断固として国家と戦っている。その弁護料は受け取っていない。

遠藤誠という人間は幻でありこの世に存在しない、となればどれだけ世間から非難されても平気なのだと遠藤氏は述べている。

人からどう思われても構わないが、その行為は「人の為に善事をなす」ことでなければならない。しかし見返りは求めない。カネも名誉も命もいらず善事をなす生き方をしている人間には、怖いものなど何もなくなる。これが最も素晴らしい生き方だと道元は説かれたのである。

「諸行無常」すべてが変化するものに実体があるはずもない。鉄人もまた現象であり幻なのだ。遠藤氏は道元に触れそれに気がついた。そしてそれを実践により体現したのである。

鉄人も気づいてはいる。でもなかなか我執を捨てきれないでいる。「人の為に善事をなす」ことでそれを突破していきたいと思う。

posted by masa at 00:08| Comment(0) | 日記
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