2014年08月28日

ボランティアについての一考察。

「雨地蔵」

雨地蔵.jpg

よくボランティアは人知れずするものだ。という考え方がある。しかしボランティアの元々の語源は、「志願兵」とか「義勇兵」といったもので、正規の兵隊ではないが自らが志願して戦場に赴いた者のことを称する。

だから結果的には人知れずするものにはならず、必ず誰かがその人物の存在を知る事になる。ことさら吹聴するものでもないが、さりとて意識して黙するものでもないような気がしている。

鉄人は、自分の行動をオープンにブログに書く事にした。自分が体験してみて気づいた事、失敗した事、予想外だった事、良かった事などを素直に感じたまま書いている。

ボランティアに出かける前にまず準備が必要である。被災地の知人に電話を掛け、現場の状況と必要なものを確認した。次にボランティアをする為の装備である。軍手二枚、手ぬぐい、汗が乾きやすい軍用のシャツ、怪我防止の為の長ズボン、日よけ用ツバのある帽子、泥土用の長靴、命の水が入った水筒、携帯電話を用意した。

現場で迷惑を掛け無い事が肝要だからだ。ところが息子。鉄人のボランティア活動の話を聞いたからか、後日友人達と被災地にボランティアに行ったらしい。そのことは素晴らしい事だが、服装は普段着のまま、現地の天候は雨模様、何もすることはなく帰る羽目になった。

ボランティアも学びの場なのだ。無計画にやればかえって迷惑を掛けたり危険な目にあったりすることにもなりかねない。ボランティアを人知れずやり、周りにその情報を伝えないことは勿体ない事だと鉄人は思う。もっと情報を正確に息子に伝えればよかったと後悔している。

今回ボランティア活動を体験して気がついたことは、ひとつは「老化」である。考えていた以上に疲れた。ひとつは利他的国民性である。また伝承の正しさ大切さ。自然のサイクルについて。無常。空。死。運命。など・・・。

たった半日の活動で、これだけのものを具体性を持って意識する様になった。これが実践のなせる技である。本当の学びは実践の中にしかないと感じるのである。



posted by masa at 00:05| Comment(0) | 日記
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