2014年07月23日

初音ミク。

「夜店」

夜店.jpg

夕方のんちゃんがスタジオに遊びに来た。鉄人がスタジオで仕事をしていたら、ドアを壊れるんじゃないかと思うくらいドンドンと叩く音がする。

そのときドアのカーテンは閉じられていたのだが、そんなことするのはのんちゃんくらいしかいない。遊びに来た理由はすぐに分かった。夏休みになったのだ。

鉄人もそんなに忙しくなかったので、この突然の訪問を歓待した。ちょっと会わない間にのんちゃんのかわいい顔は真っ黒、陸上部の練習で日焼けしていたのである。

雑談の中で好きな音楽の話になった。のんちゃんは「初音ミク」が好きだった。「初音ミク」?、鉄人その名前くらいは知っていたが何者かは知らない。そこでのんちゃん、自分の携帯を取り出し「初音ミク」を聴かせてくれたのである。

初初音ミクである。まず彼女は人間ではなかった。いわゆるデジタルコンテンツのキャラクターになる。のんちゃんのような若いジェネレーションなら当たり前に知っている存在のようだ。

音楽を聴いた感想だが、これがサイコーなのである。実に面白い。特に「初音ミクの消失」は、超速サウンドで、これは本物の人間のボーカルなら不可能な世界。こんな切り口もあったのかと新鮮であった。

のんちゃんは鉄人が興味を持ったので気分を良くしたのか、次々に類似の音楽を聴かせてくれた。最近の音楽は、その音楽と同じくらいのウエイトで映像にも力を入れている。

のんちゃんが見せてくれた映像は、すべてがアニメだったがこれも実に面白い。画面が次々に展開していく。そのスピードに老眼の鉄人は付いて行くのがやっとである。

初めは若い世代向けの楽しいだけのものかと思っていたが、意外に重いテーマや哲学的な内容もあり、彼らの深層心理が透けて見えたのである。

結局はこのようなアーティスティックな世界の根底にあるものは「死」なのである。クリエイターの創造性も、己の理解の範疇での「死」を表現しようとしているのだ。

それはまた真理を踏まえた理解ばかりではないので、様々な作品がこの世にうまれることになる。作品はクリエイターの創造性を超えることは出来ない。だから彼らの悩みや苦しみが手に取るように分かる。鉄人も同じように悩み苦しんで来たからだ。

若者に彼らの作品が受け入れられているのは、表現の斬新さだけではないはずだ。クリエイターと同じように迷っているから、いわゆる共同幻想として共鳴共感するのである。

のんちゃんも同じなのだ。ただ幻想は何処まで行っても幻想である。「初音ミク」も今という時代の幻想としてのあだ花に過ぎないと言える。

デジタルサウンドというか電子音楽みたいな世界は鉄人大好きである。Y・M・O、喜太郎、冨田勲などはレコードやCDを何枚も持っている。そのせいか「初音ミク」の世界もあっさり受け入れられた。

のんちゃん、謝謝。



posted by masa at 00:28| Comment(0) | 日記
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