
プンジャン(パパジ)の教えを編集したこの「覚醒の炎」という本は、鉄人にとって第二の「アーチャン・チャー
」として、これからの人生に多大な影響を与えそうだ。
たまたま観たYouTubeのパパジの映像に興味を引かれた鉄人は、早速パパジの教えを扱った本を取り寄せた。YouTubeの教えは、和訳の字幕スーパーがあるのもあるのだが、多くはそれがない。折角縁があってパパジを知ることが出来たのに、英語が分からずその教えを深く理解出来ないのはあまりにも勿体ない。
ということで和訳の本が一冊あったので購入することにしたのだ。四百ページに近い結構分厚い本だが、問答形式で書かれてある。質問者がパパジに質問して、パパジがそれに答えるものだが、これは釈尊の説法にも通じるものである。
質問者はそれぞれ生きてきた背景も経験も知識も能力も異なる。それぞれの個性に合わせて行う対機説法は、質問者を納得させる為には最も適した方法だと鉄人は思う。
遠くインドまで出かけて質問する人間のタイプの多くは「こころ」「精神」に関心が高い人々である。その彼らの最大の関心事は「わたしは誰」というものだ。
自分自身が分からないのである。鉄人もそうだ。小学四年のとき「自分は誰なんだ?」という疑問を抱いてから今日まで、その答えを求めて生きているのである。
仏教に触れ、その答えは見つかってきている。理論的にはかなり理解しているつもりである。だがまだ自家薬籠中にはなっていない。こころがまだ平安ではないからである。
相変わらず悩み苦しみ怒り動揺する。「瞑想」も「禅」も自分なりにやってはいるが、瞑想や座禅の最中だけこころが平安でもあまり意味が無い。常に平安でなければならないと思うのだ。
パパジは、「何もしてはいけない。ただ静かでいなさい。」と説かれている。これがパパジの教えの結論である。でもまだその真意が理解出来ていない。現在四分の一ほど読んだ。読み続けているうちに鉄人に何が見えてくるのか。
パパジもアーチャン・チャーバンテーも最高の笑顔をされる。この笑顔、信じられるのである。