最近、遠藤誠氏著の「道元『禅』とは何か」を読んでいる。難解な道元の名著「正法眼蔵随聞記」を現代語に訳してあり、我々にも正法眼蔵のエッセンスを理解出来る様にしてある好著である。
遠藤誠氏とは誰ぞや?彼はあのオウム真理教事件で、教団から弁護を依頼された辣腕弁護士である。若い頃は放蕩三昧で自殺未遂まで起こしているが、仏教に触れ生まれ変わったという。
この本は抜群に読み応えがあるのだが、その中に「貧乏が一番良い」という道元の教えが出てくる。「衲子(のっす)の用心は仏祖の行履(あんり)を守るべし」とある。
「衲子」とは仏教者(禅者)のことで、「行履」とは、生き方死に方のことになる。「仏道を歩む者は、釈尊の生き方を守りなさい」ということだ。
その釈尊の生き方が「第一に、先ず財宝を貪るべからず」なのだ。釈尊は全く財宝を貯えられなかった。その生き方を我々弟子たちも倣うべではないかと道元は問うたのである。
遠藤氏は弁護士である。彼の元に来る依頼のすべてがカネや財産のトラブルだと述べている。要するに持っているから人と喧嘩になるという事実を、彼は職業柄嫌という程思い知らされている。
その彼が同意した道元の言葉には抗い難い真理の響きがある。生きる為に必要な最小限の収入があれば事足りるのだ。
「いまだに財宝に富み豊かにして仏法を行ずるとは聞かず」。金儲けと仏法を実践することは、相矛盾していると道元は喝破したのである。
鉄人も小遣いも貰わないし、買い物もほとんどしない。私物はパソコンと本くらいのものである。そのパソコンも本も他人が見よう思えば何時でも見れる。鍵などないのだ。
何か不足かと言えば、個人的には特に不足は感じない。欲を出せばキリが無いが本当に必要なものは何だろうかと考えれば、物質的なものでは思い浮かばない。もう足りてるのである。小学生より何も持っていないけど。
釈尊は元王子、道元は公家の出、遠藤氏は儲けようと思えばいくらでも儲けられた凄腕弁護士。それぞれがそれを捨てている。「貧乏が一番良い」、う〜む、やっぱりカネは欲しいが分かる気はする。