2014年07月10日

居場所。

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ミーちゃんは、ひねもすのんべんだらりと暮らしている。人間どもがバタバタせわしく家の中を動き回っていても我関せずの境地である。

誠に羨ましい。ミーちゃんは口は綺麗である。与えられた猫用のペットフード以外口にしない。何も欲しがらないのだ。

たまに「にゃん」と鳴くくらいで基本静かである。そんな高貴?なミーちゃんが我が家に来てから一月半経つが、自分の居場所を見つけている。

母のベッドの上。籠の中。ベランダの二カ所。次男のソファの上。鉄人の布団の上(鉄人がいるときには近づかない)。パソコンが置いてあるリビングの机の上。そして写真の螺旋階段の真ん中辺りである。

これらのお気に入りの場所を毎日順繰りに廻っているのである。特にお気に入りが次男のソファの上と螺旋階段である。

螺旋階段ではいろんなことをする。我々の行く手を遮る様に階段の幅いっぱいに体を伸ばして寝てみたり、しっぽだけだらりと階段の隙間から垂らし、それをゆらゆら動かして我々と遊んでみたり、見てないときに爪を研いだり(音で気づく)と、なかなか悪知恵のある悪戯者なのだ。

我が家に来る前は、たかが猫、畜生じゃないかと高をくくっていたが、どうしてどうして手玉に取られているのは我々人間の方である。

鉄人も冷静を装いながら、最近はスマホでミーちゃんの写真ばかり撮っているのだ。

posted by masa at 23:20| Comment(0) | 日記

更地。

「石見の農家」

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今日かみさんの親戚から電話が掛かって来た。母が5月末まで住んでいた家が取り壊され更地になっているとの内容だった。

40年余り住んでいた家だがその家が既にない。母の人生の半分近くがそこにあった訳だが、何とも儚いものである。

街の中でよく更地を見かけることがある。どんな建物があったのか分からないこともあるが、行きつけの店があったところが更地になっていると、やはり感慨深いものがある。

今でもそこの店主の笑顔や話し声、食べ物の匂い。店内の空間までもが今でもまだ存在しているかの様に鮮明に思い出される。

でも無いのだ。永遠に。もう二度と同じ経験をすることは出来ない。その店は過去のものであるのだが、その店は存在したのだろうか。

その店を知っている者にとっては存在したと言えるだろう。しかし知らない者にとってはどちらとも言えないことになる。

また知っている者にとっても、各人の記憶の有り様は全く異なる。何処までが真実の記憶か言えなくなる。またその記憶が正確かどうかを確かめる基準も実は無い。既に更地になっていれば尚更である。

そう考えれば、過去とは存在しないことになるのではないか。未来も同じである。通念としての過去や未来はあっても、実体としての過去や未来という時間は存在しない。有るのは今この瞬間だけということになる。

すべては流れていくのだ。流れが止まるということは一瞬たりとも無い。終わりは始まりでもある。家という現象が終わって更地という現象が始まったのだ。

「無常」なのである。
posted by masa at 00:19| Comment(0) | 日記