2014年07月06日

決め事。

「夏の日差し」

水、光る.jpg

今日のランチは、鉄人とかみさん、母と3人で近くのファミレスに出かけた。ドリンクバーに飲み物を取りにいった時のことである。母は足が悪いのだが、なるべく歩かせる様にしている。歩かないと足が萎えてしまうからだ。

今日もドリンクを取りに行くとき、鉄人が序でに母の分を取って来ても良かったのだが、なるべく歩かせようと母に取りに行かせた。ところがかみさんが母に付いて行く。何故かなと思ったら、母はドリンクの種類が書いてある文字が見えなかったのである。

母は糖尿病の合併症で目が悪い。大きな字は何とか読めるのだが、小さい字は見え難いらしい。だからドリンクを自分で取りに行っても字が見えないので、ドリンクを選べず操作も出来なかったのである。店に入る前も車止めの縁石に躓いていた。

目が悪いのも足が悪いのも可哀想だとは思うが現実なので仕方がない。昔は良く見えてたのにと母は悔やんでいたが、それは過去のことである。今は悪いのだ。その現実を直視する必要がある。

そこで母と決め事をした。それは、「見え難ければそれをちゃんと言うこと」。人はそれぞれ助け合って生きているのである。自分の足りない部分を誰かが補う。それで社会というものは成り立っているのだ。

母の目の不自由さの程度は息子の鉄人でも分からない。だから見え難くて不便なときは、それを声に出して周りに伝える必要があると思うのだ。伝えられた者は、母の目の代わりになり淡々とサポートすればいいのである。

無理をすれば逆に迷惑が掛かる。勝手な行動をして躓いて怪我をしたりする方が、自分にとっても周りにとっても困ることになる。

母の老いた姿は、数十年後の己の姿である。誰もが老いて行く。それは必然でありそれを卑下する必要はない。自分が出来ないことが出てくれば、それを素直に言葉にし誰かにサポートしてもらう。勿論感謝は大切だが、それが当たり前の行為であることも大切なことだと思う。

「困ったことがあればちゃんと言葉にして言う」。以心伝心はないのである。



posted by masa at 22:11| Comment(0) | 日記