2014年07月01日

斉藤一人。

「莢豌豆」

えんどう豆.jpg

たまたまYouTubeで遊んでいたら、斉藤一人氏の講演会の動画が出て来た。動画というのは相応しくない。彼が映像に映ることはないからだ。音声のみの登場であった。

彼は知る人ぞ知る人物である。何と言っても個人納税額日本一というのが彼の金看板。自らを商人と称している経営者である。

鉄人の以前の人生の師匠なのだ。今ではその師匠はお釈迦様という絶対的な存在に移ったが、それまでは斉藤一人師匠に随分お世話になった。

久しぶりに彼の講演会を聴いてみた。その独特なキーの高めのだみ声と天性のユーモアセンス、そして抜群の頭の切れは健在であった。

しばらく彼の声を聴いているうちに鉄人に変化が起きて来た。気分が明るくなってきたのである。ご存知の様に、ストレス性の十二指腸潰瘍を患っていて体調が優れない。体調が優れないとそれに連動して気分も落ち込み気味であったのだ。

ところが講演会が進むうちに気分がどんどん明るくなり、最後には鉄人すっかり元気になったのである。仏教的論理から見れば、彼の話には辻褄が合わない部分が相当ある。

だが気分は確かに良くなった。何故かなと思ったら、彼の話には世俗で明るく生きていく為の様々なヒントがちりばめられていたからである。

彼の話には、神様や魂、守護霊などがやたら出て来る。その存在は証明はできないのだけれど、その証明出来ない存在が、一人ワールドでは非常に明るい。

彼の講演会は、始めから最後まで、漫才か落語でも聴いている様な徹底した明るさがあるのである。鉄人はその明るい波動に触れ、いつの間にか元気を取り戻していたのである。

流石だと思った。彼の絶大なる人気は、成功した経営者という側面だけではなくて、常に徹頭徹尾明るく生きている太陽の様なその性格にあったのだ。

鉄人はとんでもない成功者にはなれないかもしれないが、「いつでもどんな時でも明るい人」にはなれるかもしれない。鉄人だって明るい人が好きなのだ。

久しぶりに斉藤一人師匠に出会ったのだけれど、確かに魅力的な人物ではある様だ。





posted by masa at 22:11| Comment(0) | 日記

人間の性。

「雨に咲く」

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鉄人は今夜、かなりの長い時間まんじりともせずテレビでワールドカップを観ていた。サッカーにさして興味もない鉄人なのにである。

かみさんは飲み会で家にいない。長男はスタジオで誰かの撮影をしている。バイトの撮影なので鉄人は完全ノータッチ、その様子を伺い知ることはない。

母は自分の部屋で寝ている。次男は自分の部屋でゲームをしている様だ。てな訳で鉄人、何となくひとりぽっちなのだ。最近はそんな様子を「ぼっち」というみたいである。

さしずめ「ぼっちワールドカップ」と言ったところか。で、ぼ〜っと観ていたワールドカップであるが、これが面白いのだ。ダイジェストなので、ゲームのハイライトばかりを繰り返して放送する。人間の喜怒哀楽の極みがそこに映し出される。ゲーム自体も白熱していて面白いのだが、何の演技もないむき出しの感情がテレビの中で爆発している。それが人間臭くて面白い。

その様子は仏教的価値観で言えばまぁ〜アウトである。多くの感情が苦しみを生む原因だからだ。考えてみれば、サッカーはボールを足で蹴ってゴールに入れるという基本的には単純なゲームである。それに世界中の何十億人という人間が熱狂しているのである。

中には死者まで出ているケースもある。そこまで人間を熱狂させるサッカーというゲーム。ワールドカップという舞台。普段の生活では裃を付けて暮らしている様な立場の人間さえも、ここでは裸になってしまう。

ワールドカップは、善かれ悪しかれ人間の「性」を否応もなく曝け出す、そんな舞台の様である。何となく時間つぶしに観ていたが、鉄人にとってはそんな人間の一員である己を知る上でも意外に貴重な時間だった様だ。

posted by masa at 00:25| Comment(0) | 日記