2014年05月26日

新生活。

アザミの咲く頃

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母親が昨日我家に越して来た。家族五人の新しい生活が始まる。前の家はまだ片付けが済んでいない。月末までに何とかしなければ。

母の新しい部屋の整理も当然済んでいない。電化製品の購入、銀行や年金の手続きなどを今日かみさんと息子がやってくれたようだ。鉄人は仕事である。

家族五人全員がまだフワフワした感じだが、息子達ももう成人して勝手気ままにやっているので、これからもそれぞれの人生を楽しんで行ってもらいたい。

今夜鉄人は治療師である母から治療をしてもらった。以前は五百人の弟子がいたほどの実力の持ち主である。何時ものとぼけた母が治療を始めたとたん人間が変わる。まさにゴッドハンドと呼べるような技術なのである。

炊事洗濯料理まるで駄目。物は忘れるしそれをとぼける。前の家の片付けも丸投げ。呆れてしまうほどの性格なのだが、治療師としては確かに一流。その一点だけで彼女の存在感は揺るぎないものとなる。

糖尿病などの持病はあるが一応元気である。鉄人の方がバテてるかも。取りあえず仲良くやっていきたい。
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2014年05月21日

「したいこと」と「しなければならないこと」

「畦に咲く」

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スマナサーラ・バンテーの著書「つまずかない生き方」からもうひとつ、なるほどと思った言葉があったので紹介してみたい。

我々の人生には、「したいこと」と「しなければならないこと」があると述べられている。そして「したいこと」より「しなければならないこと」の方が多い。

また「したいこと」をする為には、まず「しなければならないこと」が先んじる。「しなければならないこと」は、我々が生きる為に必要な事だからである。

生き延びる為に我々は「食べる」ということが必須になるが、食べる為には働かなくてはならない。肉食動物は狩りをして食料を手に入れる訳だが、それこそ命がけである。狩りを失敗すれば待つのは死だからである。肉食動物にとって狩りは「しなければならないこと」になる訳である。

我々人間も必死で働いている。ストレスを貯め込んでも過労で栄養ドリンクのお世話になっても、兎に角働くのである。働かないと最終的には死ぬかもしれないと不安だからだ。

ならば「しなければならないこと」に対してどういうスタンスでいればいいのかを考える必要がある。「しなければならないこと」は、大抵の場合あまり楽しい事ではないからである。

生きていく為の行為すべてが仕事だとスマナサーラ・バンテーは説かれる。生きていく為に「しなければならない」ことなら、そこに意味を求める必要はない。ただ「しなければならないことをするだけ」である。

だが我々は生き甲斐のある仕事をしたいとか、望む職業に就きたいとか考える。しかしそれはなかなか成就しない。それは能力の問題であったり環境の問題だったりする訳で、「したいこと」はなかなか出来ないということを思い知らされるのである。

職業に就くということは生きる為にお金を稼ぐ必要があるからである。端的に言えばお金が稼げるならどんな仕事でも良いのである。それで生きていけるから。

例えば戦時中ならどうだろう。自分がやりたい仕事などほとんどなかったはずだ。お金が稼げるならどんな仕事だって厭わず選んだはずである。

バンテーは環境に適応することの大切さを説かれる。自分の置かれた環境で自分が何をしたら生きていけるか。その柔軟性が、「しなければならないこと」ばかりの人生を逞しく生きていけるコツになると。

鉄人も、広島というこの環境に適応した仕事をして何とか生きていかなければならないのだ。



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2014年05月20日

つまずかない生き方。

「小雨の旋律」

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久しぶりにスマナサーラ・バンテーの本を買った。ちょっと仕事で悩んでいたので、そんなときには仏教書が役に立つ。バンテーは深遠な仏陀の教えを我々凡夫にも分かる様に現代にマッチした方便で説明してくださる。

日頃から仏教に親しんでいる鉄人でも忘れていることもあれば、当然まだ理解していない事も多々ある。理解しているのであれば仕事で悩んだりしないはずだが、現実はそうはいかない。迷いに迷いジクジクと悩み苦しむのである。

今回は仕事上の悩みであるから、それに相応しい答えが見つかる様な本を探す。そこで見つけたのが「つまずかない生き方」という本である。

その中で一番印象に残った言葉がある。それは「自分のフォーマットを作らない」というものである。自分はこうでなければならないという形を作るから苦しむとバンテーは諭される。

世間というのは様々な考えを持つ人々で構成されている。自分と全く同じフォーマットを持つ人間などいない。なのに相手が自分の形にそぐわないと不満を持つのだ。

だから自分のフォーマットに縛られている限り、何時まで経っても満足を得ることはなく苦しみ続けるという図式になる訳である。

そこで鉄人ピンときた。自分のこうでなければならないというこだわりを捨て相手に合わせてみようと。自分は誠実にやっている。技量も低いとは思わない。向上心もあるつもりだ。

しかし相手はそう思っていないかもしれないではないか。相手の立場に立ってものごとを見てみる必要がある。要は仕事がスムーズに上手くいけば良いのだ。

ねばならないを止めてみる。自分の思い通りでなくても生活できているのならあまり気にしない。自分のフォーマットにこだわらなければ、こころは随分軽くなる様だ。

「つまずかない生き方」のコツはそこら辺にあるのかなあと得心しているのである。
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2014年05月19日

実家の片付け。

「森の気」

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さて今日は、我家に越してくる母の現在住んでいる家の片付けのクライマックスである。

鉄人の家族四人全員で参加する。我家は息子ふたりなので、こういう力仕事が必要なときには結構役に立つ。片付けの流れとしては、男どもがタンスなどの大型の家具を運び出し、庭でそれをぶち壊す。

我家の母の部屋には入らないし、家具も古く価値はない。それらをぶち壊し、例の変な友人がトラックに乗せ易い様板状にバラバラにするのである。

役割分担は指示しなくても自然に決まる。鉄人と次男が家具を庭まで運ぶ役。長男とこれまた次男がぶち壊し役。鉄人はぶち壊した家具を整理する役である。

かみさんは、母が必要なものと要らないものを分ける仕事をする。母は、鉄人達が勝手に必要なものを捨てやしないかと見張り役をしていた。猫は自分の居場所がなくなり右往左往している。猫の手も借りたいけどやっぱり猫は役に立たない。

何せ四十年近く住んでいた家である。家具を退かした後の埃や汚れが尋常ではない。母は掃除、洗濯、料理、主婦が通常やりそうな事はすべて苦手である。実家に遊びに行っても手料理が出て来たことは近年皆無という有様だ。

掃除も苦手だが、結構おしゃれで洋服などは鉄人家族四人分より多分多い。だから散らかる。そして捨てたがらない。物理的に全部は持って行けないので頭が痛いのだ。

でも勝手に捨てると機嫌が悪い。そこで取りあえず服関係はあらかた我家に持って行くことにした。後でかみさんが適当に捨てるという案配である。

台所には怪しげな食品が多数あった。賞味期限などとっくに過ぎている。変な匂いもする。鉄人だんだん限界に近づく。堪えられないのである。普段それなりに清潔な生活をしているので、この環境はちょっと堪えられない。

他の家族も同じであった。作業を初めてわずか2時間余りで四人全員限界を迎えたのである。大型家具はほぼ解体できたので、後は友人にまかせるしかない。彼がプロだからこんな環境にも多分慣れているだろう。

昼飯を一緒に食べないかと母に誘われたが、きっぱり断り逃げる様に実家を後にしたのである。

母が我家に来ても、掃除洗濯料理一切やらせるつもりはないし母も望んでいないに違いない。母には家族の健康管理をしてもらうつもりだ。母は東洋医学の治療師なのである。現在は引退しているが、以前は500名の弟子を持つほどの一応大先生なのである。

一回につき、千円でも払えば母の小遣いにもなるし、ボケ防止にも役立つだろう。まあ取りあえず片付けの第2ラウンドは何とか終了したのである。

ああしんど・・・。
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2014年05月17日

雀の住処。

「蕺草の花」

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近頃、鉄人の家の前の電線に雀が二羽何時も停まっている。チュンチュンというよりギーギーといった感じの鳴き声で結構五月蝿い。

何処か近くに雀の巣でもあるのだろうかと思っていたら、何と我が家のベランダの下に巣を作っていたのである。我家のベランダは木製なのだが、長年の間風雨に晒され隙間ができている。そこに巣を作っている様だ。巣自体は見えないのだが、梁と床板の隙間から雀が出入りしているのを見つけたのだ。

ベランダの下が駐車スペースなのだが、最近やたら鳥の糞が車に付いている。やはりベランダの隙間が雀夫婦の住処に間違いない。

去年の話しになるが、6月の13日のブログに「小雀の訪問」というタイトルでブログを書いている。やけに人懐っこい雀のことを取り上げたのだが、今ベランダに巣を作っている雀がその時の小雀ではないかと思っているのだ。

違うかもしれないけど、そう思った方が楽しいではないか。かみさんは糞も汚いしと嫌がっているのだが、レイチェル・カーソンの「沈黙の春」の世界よりはよっぽど良い。

最近は雀達の少々五月蝿い会話を聞きながら、毎日朝掃除をするのが楽しみである。

一句

朝掃除 巣引雀は 近く鳴き あさじたく すびきすずめは ちかくなき

                               鉄人
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2014年05月14日

落城す。

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写真は、スタジオの片隅にある現在の我が城である。実家で一人暮らししていた母が、我家に越してくるので城を明け渡してしまった。

母は足が弱い。我家は一階がスタジオなので、住居は二階になるのだが、足が悪い母には我家の螺旋階段はかなり危ない。そこで一階のスタジオの横にある事務所を、母の部屋にすることにしたのだ。

事務所には当然机や椅子本棚などの家具やパソコンを始めとする機器が溢れていた。それをどうにかしなければならない。狭い我家で一部屋分のものを確保するのは大事である。

で、写真の様に我が城はスタジオの片隅に追いやられたのである。息子の分は、息子の部屋と居間の片隅に逃がした。不便にはなったが、それはそれで知恵を使えば何とかはなるのである。

我家は大分片付いたのだが、実家の片付けが全然進んでいず頭が痛い。母は戦争を体験しているからかものを捨てられない。一人暮らしのくせに大変な荷物なのである。

洋服ダンスだけで四棹。整理ダンスが6。食器棚三つ。ベッドが2。本棚2。後、冷蔵庫、テレビ、など小さな家にどんだけ詰め込んでいるのだ。

これを鉄人が処分しなければならない。我家の部屋には到底入らないからだ。憂鬱なのである。

そこに協力な助っ人が現れた。友人でこの様な廃棄物を処分する仕事もしている。「も」としたのには理由がある。他にもいろいろやっているからだ。

ライターでもあり、翻訳家でもある。プロの料理人であり、ミュージシャンでもあるらしい。彼の蔵書は三万冊を数える。田舎に古民家を借り改装しながら、彼女と暮らしている。何とも羨ましい奴である。

その変な彼が手伝ってくれているのだ。勿論タダではないがかなり安い。プロなので当然手際も良い。彼がいなかったら万歳してたか、引っ越し屋に高い料金を払いやってもらっていたところである。

今月中にケリをつけなければならない。仕事の合間の作業であるから、結構しんどいのである。
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2014年05月06日

ああ、ゴールデンウィーク。

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今日でゴールデンウィークが終わる。人によっては11連休という夢の様な話しもある。鉄人はどうか。何と休みはゼロだったのである。

勿論本日も仕事をしている。終日かかる。そのささやかな抵抗として、仕事の合間にこうやってブログを書いているのだ。昨日は撮影はなかったのだが、かみさんの実家に帰省をしていた。これも鉄人にとっては仕事みたいなものだ。

往復の運転、スーパーへの買い出し、家の中でも一見のんびりしてそうでもやはり気を使う。パンツ一丁でうろうろする訳にもいかないのだ。

かみさんの実家からの帰りに母親の家に寄った。実は今月中に母が我家に越してくる。それでどのくらい荷物が片付いているか見に行ったのだ。

が、これが全く片付いていない。もう引っ越しも近いというのに母は呑気なものである。最後は息子がやってくれると高をくくっている節がある。結局鉄人がやるしかない訳で、雑然とした部屋を見渡し暗澹たる気持ちになった。

フラワーにも行けてない。カープの勝ち試合も見逃した。どころか一日たりとも家でのんびりできなかった。ああ、ゴールデンウィークとは何ぞや。

でも元気に働けている。かみさんの実家からは、大量のはっさくやネーブルをいただいた。休めなかったけどそれはそれで良かったのかも。

追伸

写真は、かみさんの実家の門から見た風景である。この坂道を100メートルほど下り、最初の角を右に曲がると映画「東京家族」のロケ地である。美しい場所なのである。



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