2014年04月13日

里親。

「屋根の上の吾輩」

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かみさんとテレビを観ながら、子供達が家を出て行ったらペットでも飼いたいねえと話しをしていた。考えてみればそう遠くない未来のことである。

根本仏教では、生き物の売買を禁じている。このことについては反論がお有りの方もいらっしゃると思うが、鉄人は修行者の身であるから、当然その教えには従う。

ペットをお店で買えない訳だから、それ以外の方法として里親になるということを知った。早速、それはどんなものかとネットで調べてみたのだ。

我家はかみさんが猫が苦手なので、自然と犬を求めることになってくる。広い庭などないので、家の中で飼うことになるから大型犬は難しくなる。

小型で幼い犬を探してみた。そういった里親を世話するサイトには多くの犬達が紹介されていた。そしてその中には赤文字で「緊急」と、書かれた犬達の紹介もあったのだ。

この「緊急」と赤文字で紹介されている犬達には時間がないのである。期限を過ぎたら殺処分されるからである。その犬達の無邪気な可愛い顔、あるいは寂しそうな顔の写真を見ていたら堪らなくなってきた。

これら殺処分されるかもしれない運命に犬達をしたのは、すべて人間の責任である。そしてそれを鉄人は救えない。数日後数週間後には、ここに写っている犬達の多くは殺されると思うと、何だか堪らなくなってきたのである。

たとえその中の一匹の里親に鉄人がなったとしても、それ以外は救えない。そしてその一匹を選ぶのはどんな基準で選ぶのかを考えたとき、結局は嗜好で選ぶのではないかと・・・。

ただ一匹でも救えれば、それはひとつの「縁」である。縁とは人間同士だけのものではない。数えきれないほどの輪廻転生の中で、我々は人間にも生まれ、また違う生命体にも生まれ変わっている可能性がある。

仏陀は、人間に生まれるのは極めて稀であると説かれている。ということは人間であるとき以外は、極めて長い時間人間ではない生命体として生きていたことになるのだ。

里親探しのサイトに出ている犬達も、前世の何処かで人間であったのかもしれない。我々と何処かの前世で出会っていれば、それは「縁」である。その様な縁のある犬をきっと選ぶのであろう。

またサイトで紹介されている犬達が前世の何処かで人間だったのかもしれないと思えば、殺処分とは何と残酷なことであろう(勿論犬としても残酷)。生きる為に食用として仕方なく他の生命の命を奪うこととは次元の違うことだと思う。

人間の責任として、ペットを飼うなら殺処分されないように最後まで面倒を見ることが大切なのではないか。鉄人はそうつくずく感じるのである。

posted by masa at 23:37| Comment(0) | 日記