2014年01月09日

結婚とは、夫婦とは。

「つがい」

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今朝、居間で朝ご飯を食べていた時ふとベランダを見たら、電線につがいの鳩が停まっていた。二羽はぴったりと寄り添いお互いの毛繕いなどを長い間やっていた。

それを見ていて何か良いなあと感じた鉄人は、カメラが手元に無かったのでスマホでパチリ。それが本日の写真である。

朝からほのぼのした気分になったのだが、その時に観ていたテレビ番組がNHKの「あさイチ」。皮肉なことに今日のテーマは「シングルマザーの生活苦」であった。

離婚した子供のいる女性の大変さを伝えるその内容に、鉄人もいささか同情したのだが、人生とは本当に思い通りにいかないものだと、あらためて感じ入った次第である。

昨今の日本人の離婚率は三割だそうだ。結婚した三分の一の夫婦は、その結婚が上手くいかなかったことになる。離婚までは行かなくても、夫婦仲があまり良くないケースもあるだろうから、かなりの確率で多くの夫婦は、その結婚生活が破綻、もしくはそれに近い状態にあるのかもしれない。

大抵の人間は、離婚しようと思って結婚はしない。最初は皆仲が良かったのである。ところがいつの間にかそれが上手くいかなくなる。人は変わるのだ。昨日の自分は今日の自分ではない。同じ様に目の前のパートナーも変化していることを意識する必要はある。

夫婦は元は他人なのである。育って来た環境が全く異なるふたりが一緒に生活をするのである。上手くいく夫婦の方が貴重なのではないかとも思えてくる。一方的に自分の価値観だけを相手に押し付けても、相手にも自分の価値観があるのだからそこに乖離が生まれるのは仕方がないことだと言えるのではないか。

ある時、デニヤーイェ・バンテーが仰ったことがある。「相手の苦しみに寄り添う様に。」と・・・。

生きることは「苦しみ」の連続である。それはすべての生命に言えることだ。結婚とは、夫婦とは、自分の幸福のみを求めるのではなく、結婚相手の生きる苦しみに寄り添う為にあるのだと思う様になってきた。

これはまさしく、仏陀が説かれた「慈悲」の「悲」のこころである。相手の自分では届かないところの毛繕いをしている鳩のつがいに、そのこころを見た様な気がした。



posted by masa at 21:52| Comment(4) | 日記

本物の瞑想実践。

「雪の峠」

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仏陀は、瞑想実践の助けになる為に、それに相応しい生活環境を整えることの大切さを説かれた。

具体的にはリラックス出来る環境、適切な食事、精神生活上の善き仲間である。このことは確かに瞑想実践をする為には有意義だと思われる。しかし、アーチャン・チャー師は、その様な生活環境を手に入れることはそんなに簡単なことではないと述べられている。

その環境を得る為に方々彷徨い歩くことになるし、縦んばそれを手に入れたとしても、逆に甘えが出てくることもあるそうだ。

我々は、それぞれに自らの瞑想実践に必要だと思われる生活環境に対する多くの考え方や欲望が有るのだが、前出の様にその理想的な環境は手に入り難いし、手に入れたとしても思った様な成果が出るとは限らない。

師は「小欲知足」こそが大切なのだと説かれる。理想的な環境ではないかもしれないけれど、欲を出さずその環境の中で出来ることをする。

瞑想実践の成果の基準は簡単である。自分のこころが「平安」であるか否かである。常にこころが「平安」であるのなら、どのような環境で瞑想実践しようとそれは「本物」なのだ。

逆に、瞑想実践に相応しい生活環境を手に入れたと思っても、こころが「平安」でないのなら、その実践は「本物」でないことになる。我々は青い鳥を何処か遠くに探し求めてはいないだろうか。

今この瞬間、この場所に青い鳥はいなければならない。その為には「小欲知足」のこころで「執着」を手放さなければならないはずだ。瞑想実践の為の理想的な生活環境を求め続けるのも「執着」なのかもしれない。

アーチャン・チャー師の教えは鉄人にとっては、大変現実的であり明快である。これからも「小欲知足」のこころで瞑想実践を続けていきたい。





posted by masa at 00:46| Comment(0) | 日記