2014年01月30日

マンガ。

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また俳句をやりだしたので、松尾芭蕉に関する本を本棚で探してみた。確か数冊あるはずだと記憶していたのだが、欲しいときには目的のものがなかなか出て来ないのが常である。

そうしているうち一冊芭蕉関連の本が見つかった。それはマンガである。あの一世を風靡した釣りマンガ「釣りキチ三平」の作者、矢口高雄氏が芭蕉を題材にして描き下ろした本で、タイトルが「マンガ 奥の細道」というものだ。

芭蕉と曾良が東北と北陸を旅したときの様子と、そのときに詠んだ俳句の成り立ちが、矢口氏独特の真面目で精巧なタッチで描かれている。

鉄人はこんな感じの古典や仏教に間するマンガを幾らか持っている。これが意外に面白いし、結構役に立つ。

古典や仏教関連の本は難しいものが多い。道元の「正法眼蔵」などものっけから「百尺竿頭如何進歩・・・云々」、鉄人には難しすぎて先を詠む気になかなかなれない。それがマンガなら読んでみようかという気にもなれるのだ。

マンガと言えど内容の本筋は変わらないから簡単ではないのだけれど、マンガにしていることで、取りあえず読み進められるし、そのお陰で道元が伝えたかったことも何となく理解できる。

同じ様に「禅問答」なども、普通の本なら字面を追うだけで意味がさっぱり分からないが、マンガならその様子を分かり易く描いているので、鉄人の頭でも幾らかは理解できるのだ。

日本のマンガの水準は世界一だそうである。普段、マンガを読む事はあまりないが、これを機会にまたマンガを楽しんでみようと思う。


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2014年01月29日

ミス。

「市場6」

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今日、身体のメンテの為に、行きつけの整体院に出掛けていた。ここの先生、今家を建てている最中である。商売繁盛で結構な話しなのだが、請け負っている住宅メーカーがミスをしたらしいのだ。

外壁の色が注文したものと違っていたのだそうだ。聞けばこのメーカー、有名な会社である。注文した色は既に2年前に生産中止していたのだが、注文を受けた担当者がそのことを知らず工場に発注したそうだ。無い色を発注したのだから、間違いだと工場側も分かりそうなものなのだが、どういう行き違いか違う色の外壁が来たそうである。

最近の住宅メーカーは工場で外側を作り、現場ではそれを組み立てるだけだそうで、途中での変更も利かないらしい。家は一生の買い物である。何十年もそこに住む訳だ。好みの色でない外壁の家に住み続けなければならないことになり、先生出鼻をくじかれたことになる。一流と言われるメーカーでもそれをやるかというところだ。

20年前の話しになるのだが、鉄人が家を建てたときにもミスがあった。それも大ミス。友人の建築家に設計を頼んだのだが、街の中ということもあり、隣との境界線ギリギリに基礎を作った。やけに隣と近いなあと感じたのだが、街の中は皆境界線ギリギリに建てるから大丈夫と、友人の建築家が言ったので、そのまま棟上げをしたのだ。

ところが、柱が立った我が家を隣家の人が観て、境界線に近過ぎるので家をずらしてくれと苦情を言われたのである。設計図の線を消しゴムで消して、描き直すのと訳が違う。もう実際に建っているのである。

しかし法律上隣の人が言う事に逆らうことは出来ない。何と、梁を短く切って、柱を移動させたのである。それだけで百万円以上の費用が掛かったのだ。更に、柱を移動した分家が小さくなる。当然設計の変更を余儀なくされ、住むにはいささか無理のある家になってしまった。鉄人も先生と同じく、出鼻を強烈にくじかれたという訳だ。

友人が一言隣に確認していれば済んだことなのである。隣の人には何も間違いはない。隣の家族とは、その後ずっと野菜や果物などをお裾分けし合ったり大変仲良くさせていただいている。しなくていい嫌な思いをさせたものである。

他にも小さなミスは沢山有る。外壁に穴が空いてて雨水が入ったり、デザイン優先で使ったベランダの木の柱が一年で根元が腐ったりと、家というものは厄介なものだとつくずく思う。施工した工務店に文句のひとつも言いたいけど、とっくに倒産している。何だかなあ〜。

まだ9年ほど家のローンが残っている。それまで家が保つかどうか心配になってきた。
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2014年01月28日

角砂糖。

「朝食」

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昨夜、たけしのTVタックルを観ていて、鉄人、震撼してしまった。昨夜の内容は、極論と銘打って、マイノリティな見解だが無視出来ない理論を、学者が語るというものだった。

そのひとつが、「炭水化物を止めたら長生きができる」という極論。その理論の是非は、医学には全く素人の鉄人には分からない。しかしその理由として見せられた映像に非常にショックを受けたのである。

その場面とは、成人男子が一日間で摂取する糖の量である。分かり易い様に、一個が1gの角砂糖で表していた。その角砂糖の数、何と80個。要するに成人男性は、毎日80g、角砂糖80個分の糖分を口の中に入れているのである。

両手いっぱいに盛られたその角砂糖の山を見た時、「これはイカン!!」と、絶句した。医学的な根拠は分からないが、角砂糖80個を水に溶かし、それを飲んだ時の気分を想像したのである。

とても飲めない。その圧倒的な甘さのイメージが口の中に広がる。しかしこれは現実なのである。我々は毎日毎日、男は80g、女性は70gの糖分を身体に摂取しているのだ。

そしてその糖質が最も多く含まれているものが、炭水化物なのである。困ったことに炭水化物は美味い。ご飯、パン、ラーメン、うどん、み〜んな鉄人が最も好んで食べているものばかりなのだ。

けれどあのえぐいほどの角砂糖の山を見せられると、とても今までの様に無節操に炭水化物を摂る気にはなれなくなる。それほどあの場面にはインパクトがあった。

あれだけ糖分のあるものを毎日食べてたら、そりゃ糖尿病にも高血圧にも肥満にもなるわなと、医学的知識がない鉄人でも確信が持てる。そこで早速今朝から炭水化物を減らした食事を始めた。

学者の極論では、炭水化物は全く必要がないと論じていたが、それが正論かどうかはともかく、炭水化物が大好きな鉄人が全部止めるというのはありえない。減らすのである。

感覚的には、あの角砂糖の甘さを一日何個までなら耐えられるかというものだ。その感覚で、一日に食べる炭水化物の量を決めてみようという試みである。

医学的根拠は分からないが、今より摂取量が減っていくのは疑いない。今日は、パンを半分にし、うどんを半分にした。ご飯は食べなかった。何時まで続くかは分からないが、炭水化物を沢山食べたくなったら、あの角砂糖の山を思い出す様にしたい。


まあ炭水化物を減らせば、確実にダイエットにも繋がる。体重が何時までも減らなかったら、炭水化物の摂取量も減っていないという証しにもなるのである。ヘボな俳句、ペン字に続きまた楽しみが増えた鉄人なのだ。
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2014年01月27日

バカヤロー!!

「一休み」

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今日はちょっと痺れる撮影をしていた。あるクライアントからバスの撮影を頼まれたのだが、街の中の指定された場所を背景にして撮影しなけらばならない。

田舎ならいざ知らず、街の中だから車がバンバン走っている状態で撮らなければならないのだ。バスが撮影ポイントを通るのは30分に一度だけ、後は寒い中ひたすら待つだけである。

シャッターチャンスは、1回につき0、1〜2秒、1秒ではない。バスがその背景の理想的な位置に来るのは一瞬しかない。走っているからである。

その瞬間に別の車がバスの前にいたいたらアウト。そして街の中であるからその確率は相当高い。技術ではどうすることも出来ないので、後はカメラマンに運があるかどうかだけである。

指定された四つのポイントのうち、三カ所は鉄人の強運により撮影が出来た。奇跡に近い。残りは一番イージーだと思われるポイントだけである。

そこは交差点なので、その手前にあるバス停からバスが出て来ても、前に車がいないし、他の車が駐車も出来ない。横断歩道の一番前でカメラを構えていれば子供でも撮れるのだ。

そしてその目的のバスがバス停に停まった。後は交差点にバスが侵入したときに撮れば終わりだ。ところがである。停めてはいけないはずの交差点に、1台のトラックが停まったのだ。それもバスの目の前に。

慌てたのは鉄人である。停まるはず無いトラックが停まり、バスはバス停を今まさに出ようとしている。仕方がないので、道路まで飛び出し撮影したのだが、そんな時は良い写真が撮れるはずも無い。失敗である。

そのトラックは、違法駐車している自転車の撤去をする為の車だったのだ。

「悪いねえ〜。こっちも仕事だから。」と。係のおっさん。

こっちも仕事なのだ。寒い中じっと待って、0、1秒の為に、命を懸けて仕事をやっているのだ。「バカヤロー!!」と、鉄人は思わず叫んだのだ。心の中でだけど・・・。

いくら仕事の車だって交差点の中はマズいだろう。とは思ったが、さっきの瞬間は永遠に戻っては来ない。過ぎたことはどうにもならないのである。

「成事は説かず、遂時は諌めず、既往は咎めず」。なってしまったことは、言っても仕方がない。やってしまったことは、いさめても仕方がない。過ぎてしまったことは、とがめても仕方がない。 論語。

という心境である。ちなみにその場所での撮影は、別の日に仕切り直しにした。運がなくなったからね。
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2014年01月26日

基礎。

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「基礎」とは、「知識」や「技能」、「基本」とは、「認識」や「価値観」と、いうことらしい。なら、今鉄人がペン字を学ぼうとしているのは、「基礎」になるかな。

漢字は5万字ほどあるらしい。その全ての漢字を書くこともないし、知る必要もないだろう。鉄人が、渡邉の「邉」の漢字や渡邊の「邊」の字を書いたことがなかったのも、普段使いの漢字ではないので、むべなるかなである。

そして、その「邉」や「邊」の漢字が上手く書けなかったのは、結局のところ、字を書く基礎が出来ていなかったからである。一見難しそうな字も、縦横斜めの線の集合体だから、まずは縦横斜めの線を正確に書くことが、綺麗な字を書く為の最初の段階になると思われる。

鉄人、普段は「行書」風の字を書いているのだが、先に「楷書」で線の練習をすることが上達の近道の様である。実は面白いことに、歴史的に見れば、「楷書」より「行書」の方が歴史が古い。さらに「行書」よりも「草書」の方が古いそうである。

これは意外であった。しかし一番新しい書体である「楷書」が、全ての書体の練習にとって、基本となるのだそうである。で、写真の様に、まずは線を引くことから始めたということなのだ。

これがチョー難しい。たった一本の線がまともに引けない。今まで何をしていたんだろうと思ってしまう。小学校の低学年の気分かな。

これこそまさに五十の手習いである。しかしやりたいと思った時がスタートなのだ。英語も細々と続けてはいる。何事も、上達するということは悪いことではない。

「パズドラ」じゃあないが、自分を成長させて楽しむゲームの様なものである。


一句。

永の字を 書き続けてや 小正月 えいのじを かきつづけてや こしょうがつ

                                  鉄人
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2014年01月25日

推敲再び。

「市場5」

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大寒の 二の句を継げず 腕を組む  読み返すと我ながら意味が分からない。で、推敲してみる。

連歌の座 脇句迷いて 雑魚と知る れんかのざ わきくまよいて ざことしる

最初の句とは全く違ったものになってきた。共通する言葉がひとつもない。でも良いのである。鉄人にとっては「俳句」は単なる遊びである。楽しめれば良いのだ。

連歌は誰かが五七五の長句を詠んだら、違う読み手が七七の短句を詠む。それを繋げていく遊びらしい。彼の松尾芭蕉は、この俳諧の名手であった。

最初の句は、大寒の・・・と俳句を詠み始めたのだが、次の七文字が浮かんで来ない。それを思案するのに腕を組んで悩んでいる。という句を詠んだつもりだったのだが、知らない人にはさっぱりその状況が伝わらない。

そこで舞台を、勝手に連句会にしてしまった。発句を出されたのだが、次に詠む七七の脇句がなかなか出てこない。「雑魚」は、凡人とか初心者の意である。夏の季語になる。自分は初心者で下手なんだなあと嘆息した。という句でる。

自己満足であるが、俳句の面白さは、ひとつの言葉やイメージから、次々に違うものが展開していくところにもある。ちなみに最初の長句と次にくる短句は、言葉を繋げながらも違うイメージにしなければならないらしい。

単なるお遊びだが、それはそれで面白くはある。
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2014年01月23日

コロッケ。

「待ちぼうけ」

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今日の晩飯はコロッケであった。昨夜テレビ番組でコロッケを作っていて、早速今日、かみさんがその作り方を真似てやってみたのだ。

美味かったのだが、何時も不思議に思うことがある。何でコロッケをおかずにしてご飯が食べられるのか。ということである。芋と米は、炭水化物と炭水化物の組み合わせである。鉄人にはありえない組み合わせ。到底無理なのだ。

かみさんは全然平気。理解不能である。「コロッケ定食だってあるじゃない。」そりゃそうだが、そっちの方がおかしいと鉄人。かみさんはかみさんで、鉄人のことが理解不能らしい。

そこでこんな時、必ず鉄人が求めるものがある。例のかまぼこである。今日は魚肉ソーセージもあった。それらをおかずにして、ものすごく美味しそうに、嬉々として残っていたご飯を食べたのである。

やっぱりこれも、かみさんには理解不能の様だ。


今日の一句  

大寒の 二の句が継げず 腕を組む 

だいかんの にのくがつげず うでをくむ

                              鉄人 てつと
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ペン字。

「市場4」

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ペン字の練習を始めた。勿論金が掛かる通信などではない。ただの独学である。正月過ぎたらペン字の教材のチラシがやたら新聞に入ってくる。年賀状で、己の字の拙さに凹んだ人間が、少しでも字が上手くなりたいという心理につけ込んでくるのだ。

鉄人も同じ様に年賀状で凹んだ口である。実は大分昔独学でペン字の練習をしたことがある。稀代の悪筆であった鉄人が、人並みの字を書ける様にはなったのだが、落とし穴が待っていた。

その時に練習しなかった字が全然上手く書けないのである。鉄人は年賀状の宛名を直筆するのだが、普通に書けている字の中に飛び切りヘタクソな字が混じるのである。

他が普通に書けているので、その飛び切りヘタクソな字が飛び切り目立つ。全部下手な方がマシだと思えるくらいである。今回閉口した文字は、渡邉の「邉」の文字。もうひとつ、これも渡邊の「邊」の字である。

普段全く書くことのない漢字である。もう全然上手く書けない。年賀状を何枚もダメにする。焦った鉄人は「邉渡」と書いてしまったこともある。

到頭まともに書けないまま年賀状を出すハメになってしまった。出来ないことは練習するしかない。そこで再びペン字の勉強を始めたのである。

やり出すと不思議なもので、上手く書けていると思っていた文字さえ見本とは大分違うことに気が付く。いつの間にか変な癖が付いているのだ。いわゆる自己流というやつである。

適当に崩して書くので一見上手く書いている様だが、自己流なので、間違った崩し方をしている訳である。ちょっと字を勉強している人にはすぐバレる。これは恥ずかしいことである。

かくなる上は一から勉強をし直すしかない。ペン字も繰り返し練習するしか上達の道はない。で、取りあえずまたやり始めたという訳なのだ。別に嫌々やっている訳ではないので、俳句の次にまた楽しみがひとつ増えたのである。
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2014年01月21日

推敲。

「雪林」

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昨日の俳句で、「寒雲を 頂きに載せ 伯耆富士」と詠んだ。そんなに悪い出来だとは思わないが、風景描写で終わっている。心理描写がないのだ。

写真を撮ろうと思ったら山頂に雲が掛かっていた。「残念」。その残念さが昨日の俳句には出ていなかった。そこで推敲してみる。出来たのがこれである。

凍雲で 頭隠すか 伯耆富士    とううんで あたまかくすか ほうきふじ

冬の寒々さがもっと欲しかったので、「寒雲」を「凍雲」にしてみた。「頭隠すか」で、折角写真を撮ろうとしたのに、どうして雲で山頂を隠すのか、大山さんよ。と、嘆いてみたのだ。ただの風景描写から心理面も出て来た様な気がする。

彼の松尾芭蕉も、自分の俳句を何度も推敲したそうである。俳句は文字数も少ないので推敲しやすい。これも俳句の楽しみである。また変わるかも。



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2014年01月20日

写真教室。

「伯耆富士」

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昨日は、写真教室の講師で鳥取の大山まで出掛けていた。旅行会社の企画で、冬の大山を撮影に行くバスツアーの講師である。おひとり専属のベテラン講師がいらっしゃるのだが、参加人数が多いと鉄人にお呼びが掛かる。

なにしろ自然が相手なので予定が読めない。昨日も、雪はふんだんにあったのだが、肝心の天気がぐずついていた。おまけにバスの駐車スペースがなかなか見つからない。ある意味ハラハラドキドキのユニークなツアーなのである。

それでも参加者の皆さんは写真が大好きな訳で、お年を召した方が多いのにも関わらず、雪道をものともせず撮影に熱中しておられた。

鉄人は撮影のアドバイスはそこそこに、参加者の安全の方に神経を使っていた。ひとりでも転んで怪我をしてしまえば、このツアーは不成功になる。撮影は基本自己満足でも良いのである。安全に旅行を楽しんでもらうことが先決なのだ。

もう講師というより添乗員である。天気はいまいちだったが、時おり射す日光が雪化粧した大山の山肌を横切る。「今がチャンスですよ。」と参加者に伝える。そうするとバネ仕掛けの様にカメラが一斉に指示の方向を向くのだ。良い写真が撮りたいんだなあ〜とつくづく感じた。

大山を一望できる近くのパーキングエリアからラストチャンスを狙う。山頂に撮影には邪魔な雲がかかり、それがなかなかどかない。山頂が見えていた方が写真的にはいい。そう判断した鉄人は、バスの出発を遅らせても粘りに粘る。粘りも良い写真を撮る為の大切な要素なのだ。

粘っているうちに陰っていた山も段々日が差し始めいい感じになってきたが、それでも山頂は隠れたままであった。そして最後は、専属の講師が到頭しびれを切らし我々を迎えに来られた。

結局山頂は見えなかったが、参加者は風景写真の面白さをある程度楽しめたのではないだろうか。

写真は、その時に鉄人が撮ったものである。また、その時の状況を俳句にしてみた。


寒雲を 頂きに載せ 伯耆富士   かんうんを いただきにのせ ほうきふじ     

                              鉄人 てつと
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2014年01月18日

ギター。

「市場3」

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夜8時からテレビで「うたへた選手権」みたいな番組をやっていた。ハーフのタレント達が、歌のへたくそさを競う風変わりな番組だったが、かみさんと涙を流しながら笑って観ていた。

タレントは、自分の弱点も武器にしてしまうものだと感心したのだが、その下手な歌を聴いていたら、何だか自分も歌いたくなってきた。

最近、テレビに出て歌っている人間は、素人でも相当上手い。ああいうのを見せつけられると、到底敵わないと凹んでしまうのだが、今日のタレント達の歌だったら、鉄人の方がマシではないかと気を良くしたのだ。

そこで埃まみれのギターを引っ張り出し、チューニングをした後、事務所で「独りライブ」をやったのである。久しぶりでもコードは指が覚えている。だが難しいコードはすっ飛ばす。弦が錆びてて指が痛い。それでも久しぶりのギターと歌はなかなか楽しいものである。

夜なので、大声は出せない。蚊の鳴くような声でボソボソ歌う。それでも気分は歌手である。数曲歌って終わる。ラストソングは決めてある。それは「真夜中のギター」である。鉄人が小六の時の歌で、修学旅行のバスの中で歌って、喝采を浴びた思い出の曲なのだ。

普段はカラオケにも全く行かず、ギターも弾かなくなったが、たまには良いものであるな。
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2014年01月17日

俳句。

「交渉」

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今日、俳句のコンテストに応募してみた。例の「お〜いお茶」のボトルの後ろに書いてある俳句である。

正式名は「お〜いお茶新俳句大賞」となかなか格式が高い(感じがする)。今回が二十五回目である。

鉄人、元々俳句が好きで、ブログにも以前は駄作を載せていたこともある。狙いは賞金である。最高の賞は、「文部科学大臣賞」、紫綬褒章で勲章でも貰えそうなほど厳めしい。この賞金がなんと!50万円なのである。

この50万円に目が眩んだ鉄人は、今まで書き貯めていた作品の中から上限である6点を厳選して応募した。

俳句にしたのには理由がある。以前は小説でも書いて、芥川賞か直木賞を貰うつもりでいた。ところが書き始めて1ページ分も進まない。小説は諦めた。

次に、作詞を選ぶ。最近の歌謡曲の詞は酷い。鉄人にも書けそうだ。印税で食べていける。老後も安心である。で、書いてみた。自分的には悪い出来ではないと思ったのだが、はたしてそれがヒットするかというと我ながら疑問符が付いた。作詞も一時棚上げに。

それで以前から好きで書いてもいた俳句にしたのである。五七五のわずか十七文字の中にあらゆる要素を入れなければならない。季節、時間、色彩、温度、風、空気、感情、感動、侘び寂び、など果てしなくイメージが膨らむのである。

仏教の影響を受けていると思われる俳句も数多ある。例えば、良寛和尚の辞世の句、「散る桜 残る桜も 散る桜」。人生の無常をわずか十七文字の中にものの見事に表現している。

桜の艶やかさと儚さ。そこには季節も時間も色彩も無常も、こころの動きも余すことなく描き尽くしていると思う。良寛和尚の辞世の句に相応しい傑作である。

わずか十七文字でもこれだけのことができるのだ。鉄人も何時かこんな作品を書いてみたい。内容はともかく十七文字なら書ける。これからも気が向いたら俳句を楽しむつもりである。

発表は七月七日。次男の誕生日でもある。何か良いことありそうな・・・。



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2014年01月16日

珈琲。

「市場2」

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今日、結婚して初めて珈琲を入れてみた。夕食の後、かみさんに「珈琲が飲みたい。」と言ったら、「たまにはそっちが作って飲ませてくれ。」と返された。

鉄人、「たまには」どころか、一度も珈琲を入れたことがない。でもかみさんが言うことも尤もなのだ。何十年も日に数度、毎日の様に珈琲を入れてくれていたのだ。

やりたくない時も当然あっただろう。それでも朝食時に一杯、来客があったらついでに一杯。かみさん本人が珈琲を飲みたくなったら、これもついでにと、毎日毎日珈琲を入れてくれていたのだ。

そこで、遅ればせながら鉄人も珈琲を入れてみることにした。我家はドリップ式だが、当然やり方が分からない。かみさんに横に付いてもらいながら、恐る恐るやってみたのだが、結構上手くやれた。美味しかったのである。

それと、鉄人は料理を作ったことも一度もない。これも近い内にチャレンジしてみるつもりである。

一昨日のブログで、かみさんの「専業主婦宣言」のことを書いたが、家事すべてをやって貰おうという気持ちは毛頭ない。逆に家事という仕事は大変なんだなあと思うのである。手伝える時は当然手伝う。

また家事という仕事は、意外に面白いのではないかと思いだした。そこにある程度の楽しみがないとなかなか続かないと感じるからである。義務だけでそれをやるのは、やはり辛いと思うのだ。

鉄人、掃除と食器洗いは全く苦にならない。逆に料理と洗濯は全くやらない。でも、ひょっとしたら料理も面白いかもしれないし、意外に才能があるかもしれないではないか。バカ舌だから無いか。

仕事は鉄人にとって人生の一部だが、プライベートな時間もしかりである。かみさんは撮影の仕事を手伝う時もある。鉄人が家事を手伝うのは当たり前だと思うのだ。家事はかみさんの仕事だからである。

恩着せがましく、「俺は仕事で忙しいのだ。」というのは自分の奢りだと思う。お互い出来ることを手伝う。そうすることで仕事も家庭も円滑に行くのではないかと思うのである。




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2014年01月15日

リンゴ。

「兄弟」

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最近鉄人がハマっている食べ物が、「リンゴ」である。朝ご飯と夕食の時、毎日二度必ず食べる。特別好物でもなかったリンゴを、何故突然食べ出す様になったのか。

それはある日、皮付きのまま食べたのがきっかけである。それまでは皮を剥いて食べていた。それはそれで美味しかったのだが、その時かみさんが身体に良いからと、皮付きのまま四分の一個、鉄人に手渡したのである。

これがやたら美味く感じた。丸かじりも良いのだろうが、四分の一個、というのは、皮のある部分と実だけの部分の食感のバランスが実に良い。

量も、一度で食べるには、丸々一個や半分、三分の一は、ちょっと量が多い。四分の一が鉄人には適量なのだ。それで朝晩二回、四分の一個ずつ現在毎日食べているのである。

「医者要らず」というくらいリンゴは身体に良いらしい。おまけに栄養の多くは皮の部分にあるらしい。思わぬことから健康的な食生活を鉄人は始めたことになる。

このマイブーム、しばらくは続きそうである。
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2014年01月14日

専業主婦宣言。

「市場」

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今年からかみさんが専業主婦になった。週三回、七年間務めていたパートを辞めたのである。決して我が社が儲かっているからではない。理由はこうだ。

かみさんはパートをすることで、月数万円の収入があった。家計の足しにでもするつもりでやっていたのだが、その足しにする予定だった収入分が、何と税金として取られたのである。

パートをしたことで、税金が上がる基準をわずかに上回ってしまったのだ。その差が随分とあった様で、パートの収入分がそっくりそのまま御上に召し上げられたらしい。

実にバカバカしい話しではないか。家計の助けにするつもりがならず、身体もしんどい思いまでして頑張って働いていたのに、実質赤字なのだ。そこで、かみさんの「やぁ〜めた。」宣言が出たのである。

で、そのかみさんの専業主婦宣言を聞いた鉄人はどう思っただろうか。何と俄然やる気が出て来たのである!かみさんの飯ぐらい俺が喰わせてやる!と、気合いが入っているのだ。

現実もうパートはしない訳だから、本業以外の収入はない。鉄人が頑張るしかない訳だ。スマナサーラ・バンテーが仰られた「不安定だからやる気が出る。」というのは真理だと思う。

今のやる気と体力が何処まで持つかは不明だが、本来「娘さんを幸せにしますから。」と、かみさんをいただいた訳だから、もっと楽をさせたいという気持ちは元々あったのだ。気持ちは・・・。

それを実現させるチャンスではあるな。








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2014年01月13日

成人の日の思い出。

「冬眠」

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今日は朝早くから晴着の撮影をしていた。本日は成人の日である。珍しく好天に恵まれ新成人も良い一日になったことだろう。

鉄人にも勿論成人の日があった。もう三十六年も前のことになる。その日のことはまるで昨日のことの様に鮮明に覚えている。当時、東京に住んでいた鉄人は、その日アルバイトをしていて、成人式の欠席は勿論、記念写真も撮らず、誰からも祝いさえされなかったのである。というか成人の日のこと自体ほとんど意識がなかったと思う。

バイト先は、新宿に建つ高層ビルのひとつ三井ビルの五十階にあった大きな焼肉レストランである。元々繁盛していた店だったが、その日は晴着姿の新成人の客も大勢食べに来ていて、眼が回るくらいてんてこ舞いだったことをよく覚えている。

自分がその日から成人になった感覚は皆無であった。ただ食べに来ている客の晴着姿を見て、「ああ〜、今日は成人の日だったんだなあ〜。」と思ったぐらいであった。

まさに何にも無い成人の日だったのである。家族に祝福されながら、鮮やかな晴着で身を包み、記念写真に納まっている今日の新成人とはえらい違いだなあと、自分の昔を思い出し内心苦笑していた。




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2014年01月11日

好み。

「音楽」

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家族とテレビの歌番組やバラエティなどを観ている時、そこに出演している歌手やタレントの話題になる。

息子達とは、男通し好みの女性芸能人の話しになる。最近の鉄人の一押しのタレントは、「剛力彩芽」と「あまちゃん」こと「能年玲奈」なのだが、これが息子等のタイプと一致するのである。

これが何か悔しい。さらに昔のアイドル「南野陽子」の全盛期の映像がテレビで流れていたら、「めっちゃカワイイ〜!!」と長男。隠れナンノファンだった鉄人は、自分の元カノを取られたみたいで、オイそこまでやるかと非常にご不満であった。女性の好みまで親子は似てくるものなのか。

世の中には「サユリスト」という熱狂的な吉永小百合のファンがいる。タモリもそうであるが、実は鉄人、熱狂的な「田中裕子」のファンなのである。それは二十歳の頃から変わらない。

具体的に何処がとなると、「好みですから。」としか言えないのだが、以前誰かに「奥さん田中裕子に似てますね。」と言われたことがある。

それは鉄人がキムタクに似ていると言われるくらい違いがあると思うのだが、何となく雰囲気が似ていると感じたのかもしれない。そうなると、かみさんは「好み」になる?

ちなみに鉄人がかみさんに似ていると思う芸能人は、「南野陽子」である。ただし前歯二本だけであるが・・・。ついでに鉄人は誰に似ているかと言えば、「郷ひろみ」である。眉だけであるが・・・。

かみさんは、若いときから熱狂的な「郷ひろみ」ファンである。ということはお互い「好み」ということになるのかな?(暴)
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2014年01月09日

結婚とは、夫婦とは。

「つがい」

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今朝、居間で朝ご飯を食べていた時ふとベランダを見たら、電線につがいの鳩が停まっていた。二羽はぴったりと寄り添いお互いの毛繕いなどを長い間やっていた。

それを見ていて何か良いなあと感じた鉄人は、カメラが手元に無かったのでスマホでパチリ。それが本日の写真である。

朝からほのぼのした気分になったのだが、その時に観ていたテレビ番組がNHKの「あさイチ」。皮肉なことに今日のテーマは「シングルマザーの生活苦」であった。

離婚した子供のいる女性の大変さを伝えるその内容に、鉄人もいささか同情したのだが、人生とは本当に思い通りにいかないものだと、あらためて感じ入った次第である。

昨今の日本人の離婚率は三割だそうだ。結婚した三分の一の夫婦は、その結婚が上手くいかなかったことになる。離婚までは行かなくても、夫婦仲があまり良くないケースもあるだろうから、かなりの確率で多くの夫婦は、その結婚生活が破綻、もしくはそれに近い状態にあるのかもしれない。

大抵の人間は、離婚しようと思って結婚はしない。最初は皆仲が良かったのである。ところがいつの間にかそれが上手くいかなくなる。人は変わるのだ。昨日の自分は今日の自分ではない。同じ様に目の前のパートナーも変化していることを意識する必要はある。

夫婦は元は他人なのである。育って来た環境が全く異なるふたりが一緒に生活をするのである。上手くいく夫婦の方が貴重なのではないかとも思えてくる。一方的に自分の価値観だけを相手に押し付けても、相手にも自分の価値観があるのだからそこに乖離が生まれるのは仕方がないことだと言えるのではないか。

ある時、デニヤーイェ・バンテーが仰ったことがある。「相手の苦しみに寄り添う様に。」と・・・。

生きることは「苦しみ」の連続である。それはすべての生命に言えることだ。結婚とは、夫婦とは、自分の幸福のみを求めるのではなく、結婚相手の生きる苦しみに寄り添う為にあるのだと思う様になってきた。

これはまさしく、仏陀が説かれた「慈悲」の「悲」のこころである。相手の自分では届かないところの毛繕いをしている鳩のつがいに、そのこころを見た様な気がした。



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本物の瞑想実践。

「雪の峠」

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仏陀は、瞑想実践の助けになる為に、それに相応しい生活環境を整えることの大切さを説かれた。

具体的にはリラックス出来る環境、適切な食事、精神生活上の善き仲間である。このことは確かに瞑想実践をする為には有意義だと思われる。しかし、アーチャン・チャー師は、その様な生活環境を手に入れることはそんなに簡単なことではないと述べられている。

その環境を得る為に方々彷徨い歩くことになるし、縦んばそれを手に入れたとしても、逆に甘えが出てくることもあるそうだ。

我々は、それぞれに自らの瞑想実践に必要だと思われる生活環境に対する多くの考え方や欲望が有るのだが、前出の様にその理想的な環境は手に入り難いし、手に入れたとしても思った様な成果が出るとは限らない。

師は「小欲知足」こそが大切なのだと説かれる。理想的な環境ではないかもしれないけれど、欲を出さずその環境の中で出来ることをする。

瞑想実践の成果の基準は簡単である。自分のこころが「平安」であるか否かである。常にこころが「平安」であるのなら、どのような環境で瞑想実践しようとそれは「本物」なのだ。

逆に、瞑想実践に相応しい生活環境を手に入れたと思っても、こころが「平安」でないのなら、その実践は「本物」でないことになる。我々は青い鳥を何処か遠くに探し求めてはいないだろうか。

今この瞬間、この場所に青い鳥はいなければならない。その為には「小欲知足」のこころで「執着」を手放さなければならないはずだ。瞑想実践の為の理想的な生活環境を求め続けるのも「執着」なのかもしれない。

アーチャン・チャー師の教えは鉄人にとっては、大変現実的であり明快である。これからも「小欲知足」のこころで瞑想実践を続けていきたい。





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2014年01月06日

スグレモノ。

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写真は超小型のファンヒーターである。これがなかなか良い。貯金箱ほどの大きさだが結構暖かいのだ。

北向きの我が社の事務所は冬非常に寒い。エアコンで暖房するのだが、足元が冷たく毛布を敷いたりして毎年難儀していた。電気ストーブは電気を喰うし邪魔である。何か良いものがないかとアマゾンで探していたら、この超小型のセラミックファンヒーターを見つけたのだ。

値段も1500円ほど。送料もいらない。安いのでハズレでも良いかと思い購入したのだが当たりだった。音は少々うるさいがそう気にならない。温度調節など全くできない。ただ温風が出るだけの極めて単純な代物である。

小さくて軽いので何処にでも持ち運べる。普段は机の下、トイレでも使用する。電気代も安く重宝している。ただ難点は小さくて軽いのですぐひっくり返る。足がちょっと当たっただけでも倒れてしまう。倒れたら電気が切れるので安全なのだが、起こすのに面倒臭くはある。

しかし長年の懸案だった足元の寒さが解決出来たのは鉄人的には大きい。元は取れそうである。

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