2013年11月14日

忙中閑あり。

「寂秋」

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11月は繁忙期のひとつだが今年もやはり忙しい。出張が多く撮影している時間より車を運転している時間の方が長いかも。高速の運転は神経を使うので相当疲れる。ブログの更新もままならない有様である。

そんな中、今日は撮影がない。原稿整理の仕事はあるが「忙中閑あり」といったところである。先日ブログで紹介したアーチャン・チャー・バンテーの本「無常の教え」を読み進めている。寝床に入ると速攻で寝てしまうのだが、それでも毎日少しでも読む様にしている。というか疲れてても読みたいのだ。

それほどこの本は鉄人にとっては貴重なのである。バンテーの教えは実にシンプルである。美辞麗句など皆無。ものごとの本質をストレートに伝えてくださるのだ。

そこに鉄人は惹かれる。贅肉を削ぎ落とした文章は、読む時の迷いを消してくれる。ただ素直に読めば良いからである。

現在、350ページあるこの本の130ページほど読み進めた。「無常の教え」のタイトル通り、「無常」について説かれている。初期仏教では、「無常」「苦」「無我」を三つの真理、「三相」として最も重要視している。

簡単な話、この三つを覚れば「覚者」なのである。で、「無常」はその「三相」の最初に位置され、「森羅万象は常に変化している」という意味になる。

そしてこの「無常」が、「三相」の中で最も比較的理解しやすいとされているのだ。それでこの「無常」の理解から入るとそれ以外の二相も理解しやすくなるらしい。

アーチャン・チャー・バンテーはこの「無常」を徹底的に弟子達に教育されるのである。バンテーは「無常」を「常ならず」という言い方で教えられている。

「すべては留まることはない、常ならず」なのである。我々の経験値としてもこれを否定できない。三相の中でも比較的理解しやすいとされている所以なのだ。

では何故「無常」を理解する必要があるのだろうか。例えば「良いことも悪いことも永遠には続かない、常ならず」と理解していれば、良いことが終わってもそれは真理として当たり前、悪いことが起きても、常ならずだからその悪いこともいずれ終わりまた良いこともあるだろうと、こころを常に平静に保つことができるのである。

このことを我々は理解できると思うのだが、表面的に理解するだけでは、感情に勝てない。落ち込んだりぬか喜びしてしまう。そこで日々の修行により理解したその感覚を自分に刷り込ませていく必要があるとバンテーは説かれるのである。

その感覚を養う為には、「常ならず」を日々常に観察する必要が出てくる。森羅万象は常ならずという目の前の現実を観察し、価値観としてそれが当然のことになっていく。それが大切なことだとバンテーは教えられるのだ。

すべては変化するのである。永遠に。抗えない現実を感情を交えず観察することの大切さ。本当の幸福、本当の平安はそこにあるとこの本は我々に伝えるのだ。




posted by masa at 12:04| Comment(0) | 日記