2013年11月30日

ドリミネーション。

写真.jpg

今、平和大通りでドリミネーションをやっている。かみさんが連れてけと言うので、納品がてら行ってみることにした。

広島の冬の風物詩にもなっているドリミネーションだが、今まで一度も見物したことがなかった。たまに車中からチラ観することはあったが、ゆっくりと観ることは初めてである。

午後五時半、すべてのイルミネーションが一斉に点灯される。その瞬間を待っていた見物人から方々で歓声が上がった。鉄人、アメリカンドッグを頬張っていた最中だったので、「お〜!!モゴ、モゴ、お〜!!」

土曜ともあって凄い見物人の数である。交通整理も出ている。寒いが風がないので凌ぎ易い。鉄人夫婦も人の流れに身を任せながら、イルミネーションを楽しんだ。途中アイフォンで記念撮影を試みたが意外に難しい。何度も失敗する。とてもカメラマンには思えない。

小一時間ほどそぞろ歩きを楽しんで家路に着いた。

普段見慣れている場所も演出が入ると世界が一変するものだ。まるで幻想の世界である。皆穏やかな顔をしている。誰も急がない。幼子達は本当に楽しそうである。

イベントがある訳でもなく、出店が出ている訳でもない(焼き芋屋はいた)。ただ光の中を歩くだけである。でも祭りにはない面白さがある。それは多分見物人すべてが主役で、自らが光の中でその場を演出できるからではないだろうか。

posted by masa at 22:07| Comment(0) | 日記

2013年11月26日

鴨鍋。

「枯木寒巌」

2003_0213_152020AA.jpg

本日の夕食は鴨鍋であった。年に一度くらいの頻度で、このちょっと贅沢な鍋を楽しむ。と言いたいところだが、あまり楽しめなかった。

折角の鴨鍋だから、休日にでもゆっくりと家族皆で楽しみたいではないか。ところが、息子達はいない。かみさんは晩飯食べたらママさんバレー。鉄人はまだまだ仕事が残っている。

そんなシチュエーションで楽しめるはずがない。なので今日は鴨鍋は止めとこうとかみさんに談判したのだが、すでに口が鴨鍋になっているかみさんは聞き入れない。

作るのはかみさんである。鉄人は立場的に弱い。仕方なく同意し鍋を突つくことになった。流石に鴨鍋は美味しかったが、鍋を食べ終わるや否や、そそくさとかみさんはバレーに、渋々ながら鉄人は事務所にと散じた。

何か喰った気がしないんだよね〜。
posted by masa at 23:12| Comment(0) | 日記

2013年11月24日

再読。

「点火」

2002_0112_155417AA.jpg

今日は、昨日の撮影の疲れで完全に電池切れ、テレビを観たり本を読んだりゆっくりしている。夕方からは整体に行くことにしている。

アーチャン・チャー・バンテー著の「無常の教え」は、既に読了したのだが、直ちに再読にかかっている。本当に素晴らしい教えなのだが、鉄人の頭ではまだ理解出来ていない部分が少なからずあるのだ。

気に入った本は七回読めと聞いたことがある。七回読めばその本の内容が自家薬籠中のものになるそうである。

例えば、「問題を解決する人は存在しない。それゆえ、問題も実際には存在しない。」「空(くう)を理解するものを、死王は追うことができない。」「人というものは、本当は何処にも存在しない。」など論理的に理解ができていない訳ではないが、なかなかストン、とまだ腹に落ちて来ない。感覚的な意味に於いての理解不足なのだ。

巻末には、我々俗世に生きる人間の為の仏道についても説かれていた。人は本来は悟りを開く為に出家するのだが、考えようでは、我々俗世に行きている人間の方が、悟りを開き易いともいえるのだそうだ。(悟りのレベルはある)

というのは、我々が生活している俗世とは、「火宅」の世界である。我々は欲望という炎に包まれた家に住んでいる訳で、ある意味出家者よりも苦しみが大きいのである。「悪人正機説」ではないが、「苦しみ」が大きいほど、それに気が付き手放していくことで、大悟する場合もあるのだそうだ。

決して出家することだけが悟りの道ではないと説かれるのである。今この瞬間、この今自分がいる場所が、すべてなのである。「そのうちに・・・。」という姿勢では、永久に仏道は成就しないともバンテーは教えられるのだ。

再読することで、もっと深く理解していきたい。
posted by masa at 16:41| Comment(0) | 日記

2013年11月22日

いい夫婦の日。

写真.jpg

今日、11月22日は「いい夫婦の日」らしい。鉄人もそれに習い、美味しい晩飯を食べに行こうとかみさんを誘ってみた。

「今日はママさんバレーの練習日でダメ。」

俺よりママさんバレーの方が大事なのか。と訊こうと思ったが、傷が深くなるので止めた。これで「いい夫婦の日」の話題は終了。

次の話題は「香水の話。」、先日、香水がマイブームになりそうだとブログに書いたが続いている。写真の様に試供品を買い漁り、あれやこれやと試しているのだ。

何しろよく寝れる様になった。香りは侮れないと覚った鉄人は、もっと自分に合う瞑想などにも効果的な香水がないか探しているのだ。

元々寺院などでは線香やお香を焚く。古くからの風習であるが、やはり香りには精神を落ち着かせる作用が働くから利用していると思うのだ。

慈しみ寺でも勿論使う。良い線香の香りは確かに穏やかな気持ちにさせてくれる様である。

以前も紹介した「武蔵野ワークス」という香水メーカーがあるが、ここの会社が面白い。何と60種類もの香水を作っている。そしてそのすべての種類の試供品があるのだ。しかも安い。

キツい香りのものはなく、日本人好みに作られている。試供品を注文すると、丁寧に梱包してそれが送られてくる。誠意を感じるメーカーである。

いろいろ試しているが、どれも良い香りである。逆に数が多くて選ぶのに迷ってしまう。サンダルウッド系も捨て難いが、鉄人の今のお気に入りは「樹海」という香水である。この商品にはメーカーも自信を持っている様で、メンズでは一番の人気者だそうである。

ひょんなことから香水に興味を持ったのだが、奥は深いかも。
posted by masa at 18:54| Comment(0) | 日記

2013年11月21日

化粧直し。

写真.jpg

家も建てて20年も経つと、至る所にガタが出てくる。写真の螺旋階段の手摺も色が剥げ悲惨な状態であった。

今日、次男が家にいた。バイトが休みらしい。話しは逸れるが、次男は以前やっていた介護福祉士の仕事を辞め、今は洋風居酒屋でバイトをしている。

父親としては勿体なあとは思うのだが彼の人生である。飯だけは喰わしてやるから、やりたいことが見つかるまでゆっくり考えろと言ってある。そんな時期も人生の中であってもいいと思っているのだ。

で、しばらくゆっくりと過ごしていたので、何かしなければと思い始めたのだろう。その手始めが螺旋階段の手摺のペンキ塗りになった様だ。

鉄人は下手ながらも大工仕事はやるから、それなりの知識はある。だか息子達はそんな興味はまったく持ち合わせておらず何も知らないのだ。工業高校出身なんだけどね。

ペンキにはツヤありとツヤなし、油性水性があること。周りが汚れない様に新聞紙などで養生をすること。汚れたらシンナーやベンジンで落とすこと。など、勿論本職ではないので、一般的な範囲でしかアドバイスできなかったが、それに素直に従って作業をしていた様だ。

まだ半分残っているが、意外にキレイに塗ってある。記念にブログに写真を載せてやると言ったら、「アホか。」っていう眼で見られた。

次は何処をやらせようか。直す処は幾らでもあるのだ。



posted by masa at 21:20| Comment(0) | 日記

2013年11月20日

夕食。

「バッタ!?」

DSC_0255.jpg

痩せたシシャモが数尾。次男が作った肉料理がちょびっと。何故か大量のポテトサラダ。以上が本日の夕食のメニューである。

鉄人   「こんだけ?」

かみさん 「だってお腹空いてないんだもん。」

鉄人   「ないんだもんって!」

かみさん 「お腹空いてないと、料理作る気にならないんだよねぇ〜。」

あなたのお腹が空いてなくても、わたしのお腹は空いてるんですけどー。どうもお昼が遅かったらしい。おまけに「疲れた疲れた。」を、これ見よがしに連発する。

大量のポテトサラダも食べ飽き、仕方がないのでカップラーメンを自分で作ることにした。昼もインスタントラーメンを自分で作った。まあ、こんな日もあるか。

ちなみにかみさんのお昼は、次男と人気のラーメン店に食べに行ったそうである。

誘えよ!!
posted by masa at 22:19| Comment(0) | 日記

2013年11月19日

イチチ・・・。

「傷」

写真.jpg

朝目覚めたら右腕の内側がヒリヒリする。見ると引っ掻き傷みたいな線が三本、腕に付いていた。「?』何だこれ?鉄人、その傷に記憶がないのである。

でもヒリヒリしてそこそこ痛い。何時怪我したんだろう?原因を探ってみた。鉄人が寝ているベッドの枕の上に壁がある。そこに一本、釘の頭が1pばかり出ていた。多分それだ。その釘で寝ている間に腕をガリガリやったんだ。

どのような寝方をすれば、三度も腕を傷つけられるのか不思議だったが間違いない。寝相は自分では分からないものだと思うが、この様な有様を見ると、鉄人の寝相は相当暴れん坊の様である。

posted by masa at 21:22| Comment(2) | 日記

2013年11月18日

年賀状作り。

「冬の訪れ」

冬の訪れ.jpg

鉄人は今日、年賀状を制作していた。今日入る予定だった(と、勝手に思っている)仕事の連絡がなくポカリと時間が空いてしまった。今までの仕事も全部済ましている。さて何しよう・・・。

そこで思いついたのが年賀状の制作なのである。毎年年賀状のデザインを自分でやる。写真スタジオの年賀状なので当然写真は使う。勿論写真は鉄人が撮ったものを使う。

ところが今回はそれを止めた。息子の撮った写真にしたのである。最近の彼の写真の上達は眼を見張るものがあり、分野によってはもう敵わないのもある。なので主役交代と、今回は息子に譲った訳である。

それと年賀状のテーマを毎年決めている。鉄人のことだから当然題材は仏教に関わってくる。ちなみに去年は「実践」であった。今年のテーマは正月のお楽しみだが、簡単な文章を付ける。

後は社名や住所、電話番号などを適当に紙面に散らす。素人なのでなかなか上手くはいかないが、自分で作るのはそれなりに楽しくはある。

取りあえず完成した。まだ11月だというのに年賀状を作っているのは何か変な気分である。でも毎年ギリギリか年を越してしまうので、ちょっと気は楽になったかな。
posted by masa at 23:43| Comment(0) | 日記

2013年11月17日

遠出。

「柿」

2002_1122_132453AA.jpg

何となくジョギングがしたくなった。昨日は休み、秋晴れの空に誘われ午後から家を出た。

ジョギングも随分ご無沙汰である。当然足も鈍っている。遠くへは行けない。ところが鉄人遠出をしてしまったのだ。

目的地は以前マメにジョギングをしていた頃の折り返し地点である。片道6キロある。往復12キロ。鈍っている今の足では無理な距離である。でもどうしても行きたくなったのだ。

くだらん意志であるが、今の自分の体力を確かめたくなったのである。まずソロリソロリとゆっくりスタートした。小走り程度の速さである。ところがすぐにしんどくなり100メートルくらい走った地点で、早くも歩き出してしまった。

それから200メートル走っては100メートル歩く。次に500メートル走っては100メートル歩く。と徐々に走る距離を延ばしていった。

結構暑い。無理をしなかったことが功を奏したのか、段々足が走ることに慣れて来た。何とか目的地にも無事到着。目的を成就したのだが還りがあるのである。

それなりに頑張って走っていたのだが、残り2キロの時点で到頭ギブアップ。ふくらはぎが吊りそうになったのである。もう走れない。2キロの道のりを挫折感に苛まれながらトボトボと我が家に帰還した。

今日は階段を上がるのさえ辛い。まったくアホな行為をしたのであるが、気分は不思議に悪くはない。それは「無常」「苦」「無我」をを冷静に観察できたことにある。

粗い呼吸、足の痛み、筋肉の痙攣、もう少し走りたいのに身体がまったく思い通りにならない。自分の意思が通じないのでる。命令を聞かない身体の何処が自分のものなのか。

「苦」もそうである。足が痛くてたまらない。しんどい。「苦」そのものではないか。身体も心も一瞬もそこに留まらない。すべてが移り行くものに「自我」を見つけることは不可能だ。

昨日の遠出は「無常」「苦」「無我」の「三相」を確認する為の修行でもあった様だ。
posted by masa at 13:49| Comment(0) | 日記

2013年11月16日

母のこと2。

「晩秋」

2001_1027_145734AA.jpg

また始まった。母が我が家に来ないと言い出したのだ。直接の理由は実に簡単である。体調が良くなったのである。

元々自由気ままな一人暮らしを選択していた母であるから、可能ならその暮らしを維持したいと思っていたはず。それとひとりで暮らすには充分な広さの今の家から、鉄人が提供出来る八畳ほどの部屋に住み替えるのも気が進まないのであろう。

この気変わりは今に始まったっことではない。鉄人が今の家を建てる時も、父母同居の予定だった。設計もそれに合わせて進めていた。ところが突然一緒には住まないと言い出したのだ。何か霊能者に意見を訊いてそう決めたのだそうだ。

困ったのは鉄人である。設計のやり直しはまだ良いにしても、住宅ローンの変更が不可能だったのだ。同居を条件に両親からの援助を多少期待し、月の支払いをかなり高めの返済条件にしていたのだ。それが来ない。住まない人間に援助してもらう訳にもいかず、支払いに苦労したのである。(途中からローンを組み直した。)

まだある。鉄人がお坊さんの見習いをしていた頃、スタジオのスペースが空いていた。それを知った母は、そこを自分達夫婦の部屋にしようと改築を提案してきた。その頃鉄人は本気でお坊さんになろうと思っていたので、その提案を受け入れ近くの工務店に設計と施行を依頼した。

幾らか作業が進んでいたところでまた来ないと言い出したのである。工務店には多少の違約金みたいなものを払い了承してもらったのだ。ところがその母の気変わりでスタジオが存続したお陰で今、写真の仕事が再開出来ているのである。まさに「塞翁が馬」といったところである。

鉄人の家の近くに住みたいと言い出し、鉄人夫婦で近所の借家を探し回ったこともある。他にも数え上げたら切りがない。その度に我が家は母に振り回されていたのだが、まあ実母だから仕方がない。結局のところ、母は独りで気ままに生きたいのである。

鉄人は息子であるから心配は心配だが、一緒に住んで上手くいく保証はない。家族にとっても母にとっても負担が増えるかもしれない。それは何とも言えないところである。

取りあえず母には、一緒に住む気になったら何時でもどうぞと伝えた。終の住処があるという安心感があれば気持ちも違うだろう。人生の終わりが何時になるか誰にも分からない。仏陀も「死は場所と時間を選ばない。」と説かれている。

高齢の一人暮らしで何かあっても、それは仕方がないことかなと諦めているのである。彼女は自由を選択したのだから。

posted by masa at 09:55| Comment(0) | 日記

2013年11月14日

忙中閑あり。

「寂秋」

2001_1120_124448AA.jpg

11月は繁忙期のひとつだが今年もやはり忙しい。出張が多く撮影している時間より車を運転している時間の方が長いかも。高速の運転は神経を使うので相当疲れる。ブログの更新もままならない有様である。

そんな中、今日は撮影がない。原稿整理の仕事はあるが「忙中閑あり」といったところである。先日ブログで紹介したアーチャン・チャー・バンテーの本「無常の教え」を読み進めている。寝床に入ると速攻で寝てしまうのだが、それでも毎日少しでも読む様にしている。というか疲れてても読みたいのだ。

それほどこの本は鉄人にとっては貴重なのである。バンテーの教えは実にシンプルである。美辞麗句など皆無。ものごとの本質をストレートに伝えてくださるのだ。

そこに鉄人は惹かれる。贅肉を削ぎ落とした文章は、読む時の迷いを消してくれる。ただ素直に読めば良いからである。

現在、350ページあるこの本の130ページほど読み進めた。「無常の教え」のタイトル通り、「無常」について説かれている。初期仏教では、「無常」「苦」「無我」を三つの真理、「三相」として最も重要視している。

簡単な話、この三つを覚れば「覚者」なのである。で、「無常」はその「三相」の最初に位置され、「森羅万象は常に変化している」という意味になる。

そしてこの「無常」が、「三相」の中で最も比較的理解しやすいとされているのだ。それでこの「無常」の理解から入るとそれ以外の二相も理解しやすくなるらしい。

アーチャン・チャー・バンテーはこの「無常」を徹底的に弟子達に教育されるのである。バンテーは「無常」を「常ならず」という言い方で教えられている。

「すべては留まることはない、常ならず」なのである。我々の経験値としてもこれを否定できない。三相の中でも比較的理解しやすいとされている所以なのだ。

では何故「無常」を理解する必要があるのだろうか。例えば「良いことも悪いことも永遠には続かない、常ならず」と理解していれば、良いことが終わってもそれは真理として当たり前、悪いことが起きても、常ならずだからその悪いこともいずれ終わりまた良いこともあるだろうと、こころを常に平静に保つことができるのである。

このことを我々は理解できると思うのだが、表面的に理解するだけでは、感情に勝てない。落ち込んだりぬか喜びしてしまう。そこで日々の修行により理解したその感覚を自分に刷り込ませていく必要があるとバンテーは説かれるのである。

その感覚を養う為には、「常ならず」を日々常に観察する必要が出てくる。森羅万象は常ならずという目の前の現実を観察し、価値観としてそれが当然のことになっていく。それが大切なことだとバンテーは教えられるのだ。

すべては変化するのである。永遠に。抗えない現実を感情を交えず観察することの大切さ。本当の幸福、本当の平安はそこにあるとこの本は我々に伝えるのだ。




posted by masa at 12:04| Comment(0) | 日記

2013年11月06日

無常の教え。

「無常の教え」

写真.jpg

アーチャン・チャー・バンテー著の邦訳の本が届いた。英訳の本を読むのに閉口していた鉄人にとって、待望久しかった本である。今夜読むのが楽しみで仕方がない。
posted by masa at 21:47| Comment(0) | 日記

2013年11月04日

静寂の中で。

「冬遠からじ」

冬遠からじ.jpg

瞑想に最も必要なものは「静かな場所」だとアーチャン・チャー・バンテーは語られている。どれだけ静かな環境を手に入れられるかは、瞑想の成果に大きく関係するのだそうだ。

確かに周りが騒がし過ぎる様な処で精神を集中させるのは大変に難儀なことである。周りが騒がしいと、熟練者はともかく鉄人の様なペーペーは気が散って瞑想にならない。

鉄人の家の周りは田舎なので比較的静かである。家の者も零時過ぎれば寝てしまう。そこからが鉄人の瞑想の時間になる。瞑想の場所は寝室である。

ほとんどが「座る瞑想」で、瞑想をしている時間は特に決めない。瞑想は初期仏教の修行の中で最も大切なものだが、バンテーは「瞑想者になってはならない。」と釘を刺される。

覚ろうとしてもいけないとも諭される。ただあるがままに座り瞑想をするのだ。何者かになろうとか、何かを掴もうとかしてもならない。何ものにも逆らわず瞑想を続けるのである。

静寂の中で只ひたすらあるがままに座り続ける。何だかとってもかっこいいのだが、これがチョー難しい。鉄人にとってあるがままでいることは途方もなく難しいのである。

道のすべては我々の身体にあるのだ。ふたつの眼、ふたつの耳、ふたつある鼻の穴、舌、そして身体。これが本当の八正道であるとバンテーは説かれる。

この八つの扉を知り考察して真理を明らかにしていくのである。静寂はその道を歩む為には欠かせないものなのだ。
posted by masa at 22:45| Comment(0) | 日記

2013年11月03日

ハンドメイド。

「屋根裏部屋」

写真.jpg

涼しくなったので先日屋根裏部屋へ寝場所を戻した。写真が鉄人の寝室兼書斎である。写真で観ると細部が分からないが、すべてハンドメイドと貰い物で部屋が出来ている。

屋根裏であるから元々は何もなかった。しかし息子達に二階の部屋を追い出された鉄人は、寝場所を求め屋根裏を住処としたのである。

フローリングを自分で張り、窓が欲しかったので壁をノコギリで切って開けた。本棚も唯の板とブロックを積み上げただけのものである。ベッドやガラステーブル、椅子などは誰かに貰ったものだ。ほとんど金が掛かっていない。でもそれなりに部屋っぽくはなってるみたい。

夏は近寄れないほど暑い分、冬は暖かい。下の部屋から暖かい空気が上がってくるからである。これからは良い季節だ。

金が掛かっていない部屋だがお宝がある。それは本だ。鉄人の亡くなった叔父が建築家で、従兄弟から本を整理したいのでいるか?と訊かれタダならいいやと思い貰うことにした。

それでわざわざ従兄弟の実家である長崎県の佐世保市まで本を貰いに行ったのである。物凄い量の蔵書の中から写真集だけを貰って帰って来た。残念ながら保存状態があまり良くなかったので市場価値はないと思われるが、写真そのものは参考になり学ぶべきところが多い。

特に叔父は建築家だったので建築の写真集は参考になる。今新品を買えば数百万円は掛かるかも。売り物にはならなくても鉄人には大切なお宝なのである。



posted by masa at 16:48| Comment(0) | 日記

2013年11月02日

訃報。

「慈悲仏」

2002_1115_141524AA.jpg

先月同級生が亡くなっていた。喘息の悪化が原因だそうだ。去年三十数年ぶりに六人でクラス会をしたのだが、その中のひとりである。

女性なのだが、実は彼女のことをあまり知らなかった。というのも同級生が連れて来た別のクラスの娘だったからだ。だがクラス会の中で一番ハイテンションで盛り上がっていた。

美人で華やかで明るくて元気で、その印象が深く鉄人のこころの中に刻まれていたのである。そんな強い印象を残した彼女が亡くなった訳だが、やはり思うのは「体は自分のものではない。」ということだ。

体は裏切るのである。喘息は非常に苦しいものである。誰も喘息になりたいとは思わない。でもなる時はなってしまう。そして時には命までも落としてしまうのである。

考えてみれば生命というものは必ず負けてしまう戦に挑戦しているのだ。それは「死」に対する戦である。最後は必ず負けるのである。それでも生命は他を蹴落としてでも生きようとする。でも結局は負けるのである。

仏陀は「生」も「死」も超えなさい。と説かれた。そこにこそ絶対的な幸福があると。体は自分のものではない。と知り、理解し、体現することでそれを超えて行くのである。

「自我」も感覚の情報から生まれた幻想であると仏陀は説かれている。そうなると自分の「生」も「死」も幻想に過ぎないことになってくる。

でも確かに今自分は生きているんだけど・・・。つねりゃ痛いし・・・。

訃報を知り、そんなことを取り留めもなく考えていた。

posted by masa at 19:08| Comment(0) | 日記

2013年11月01日

変な男。

「もらいもん」

写真.jpg

鉄人の友人にはちょっと風変わりな人間が多いが、その中でも飛び切り変な男がいる。その変な男が昨日スタジオに来ていた。

その時に持って来たお土産が写真の戦闘機のプラモデルである。彼はプラモデル作りが趣味で40年のキャリアがあると豪語しているほど人生そのものらしいのだが、何故かくれると言う。

今まで筆で着色していたのをこれからはブラシに変更することで、これまでに作り貯めていた作品を人にあげることにしたそうだ。

戦闘機にもプラモデルにも別に興味がない鉄人だが、彼が精魂込めて作った作品である。有り難くいただくことにした。

彼は母親とふたり暮らしなのだが、お母さんが病気がちで彼がそれを常に面倒を看ているため彼は定職につけない。それで家の中で出来る趣味ということでもプラモデル作りに精を出しているのであろう。

以前彼は姪の高校の学費をすべて工面していたことがある。今は母親の面倒をすべてひとりで看ている。それだけでも頭が下がるのだが、その自分が置かれた状況に対して常に淡々と応じて来ている。これが凄いと思うのだ。

客観的に見れば大変そうだなぁ〜と感じるのだが、彼に言わせればさほどでもないという。それが当たり前という感覚なのだ。彼は自分が持っている物を惜しみなく人に与えたり無期限で貸したりしてもいる。

ギブソンやマーチンの高級ギターを持っているのだが、そのひとつを音楽好きの友人に貸している。自分が持っているより音楽好きの人間が持っていた方が、そのギターを大切にそして有効に使ってくれると思ったからだそうだ。

実は鉄人も借りている。彼は元カメラマンなのだが、今は辞めているので撮影機材が取りあえずいらなくなった。それでその中のストロボを現在貸してくれているのである。

最初にこちらから貸してくれとは言っていない。あっちから突然「いる?」、と言ってくれたのだ。やはり有効に使ってくれるからという思いが彼にあったのだろう。買えば何十万円もする機材である。売ることも出来たのに・・・。

やはり飛び切り変な男である。ただその変人ぶりは他人を幸福にする変人さなのだ。何も見返りを求めない。自分が置かれた立場に抗うこと無く生きている。流れのまま生きているのである。

何だ、自分が仏道を通して目指していたものが目の前にいたではないか。実践者として。彼は初期仏教などまったく知らない。それでもそんな生き方を実践している。知識や理論ばかりに眼が向きがちな自分が急に恥ずかしくなった。

posted by masa at 10:28| Comment(0) | 日記