2013年10月30日

けがの功名。

「コロンブスのたまご」

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先日、老眼鏡を無くしたことをブログに書いた。遠近両用を持っているが像が歪んで仕事に差し支えることも書いた。新しい老眼鏡を作ってもらおうかとも考えたが、何か面白いめがねがないだろうかとアマゾンを覗いたみた。

あったのだ。それが写真にある老眼鏡である。奥のめがねよりツルが明らかに長い。そしてそのツルの先が湾曲している。これがポイントなのだ。

この長くて湾曲したツルで、めがねを使用しない時、首に引っ掛けるのである。鉄人の場合、遠くはよく見える。またカメラのファインダーを覗く時には老眼鏡を使用しない。そんな訳で、再三再四、老眼鏡を掛けたり外したりを繰り返している。

おまけにカメラを首から下げている時などは、老眼鏡のチェーンとカメラのヒモが絡んでしまい不便なことこの上なかった。撮影はスピードが命というかシャッターチャンスをモノに出来ないとカメラマン失格である。首にヒモが絡んで撮れませんでした。などど言い訳が出来るはずも無く、忸怩たる思いがあったのである。

それがこのチェーンがいらない老眼鏡で、今までの苦労がかなり解決するのである。またデザインもなかなか秀逸である。色も六種類あり選べる。おまけに大変に安い。2,000円であった。

よく見えるし軽い。良いことずくめだが心配なのは丈夫さである。鉄人は顔の幅が広い。その分めがねに負担がかかるのではないか。まあ壊れたら2,000円出してまた買えば済むことだが。

前の老眼鏡を無くしたからこのめがねに出会えたのである。けがの功名と言えるのではないか。塞翁が馬とも言えるか。ただツルを長くして先を曲げただけ。何で誰も思いつかなかったのだろう。まさに「コロンブスのたまご」である。

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2013年10月27日

Don't Imitate 真似てはならぬ。

「床屋」

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We have be aware of the how people tend to imitate their teachers. They become copies, prints, castings. It is like the story of the king's horse trainer. The old trainer died, so the king hired a new trainer. Unfortunately, this man limped when he walked. New and beautiful horses were brought to him, and he trained them exquisitelyーto run, to canter, to pull carriages. But each of the new stallions developed a limp. Finally, the king summoned the trainer, and seeing him limp as he entered the court, he understood everything and immediately hired a hew trainer.

As teachers, you must be aware of the force of the examples you set. And, even more important, as students, you must not follow the image, the outer form, of your teacher. He is pointing you back to your own inner perfection. Take the inner wisdom as your model, and do not imitate his limp.

ある年老いた馬の調教師が死んで、王様は新しい調教師を雇った。その調教師は片足を引きずっていた。その新しい調教師は、見事に馬達を訓練したのだが、馬達が何故か片足を引きずる様になった。とうとう王様はその調教師を呼び出し、コートの中の引きずる足を見てすべてを理解した。そして直ちに新しい調教師を雇った。

師の立場としては、「実例の力」に気づくこと。生徒の立場としては、師の「外見」や「イメージ」に従わないこと。大切なのは、「智慧」である。「真似」をすることではない。

鉄人にも覚えがある。尊敬する師達の「真似」をすることが、自分の人格や能力を向上させることだと信じていた。しかし、アーチャン・チャー・バンテーは、「師」を真似てはならぬと説かれている。

「真似」と「智慧」は異なるものなのだ。誰が師なのかではなく、師達が伝えられる「真理」を理解し、それを体現する為の実践をして自らが「智慧」を身につけることこそ大切なことなのだと思う。

そこは意外と勘違いしやすい。尊敬する師がすべてだと思ってしまうからだ。最後は尊敬する師さえ離れなければならぬとバンテーは説かれてもおられる。

仏道とは、師を尊敬しつつも、犀の如くただ独り歩まねばならぬものかもしれない。
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2013年10月26日

母のこと。

「母子」

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母がやっと息子の家に同居する気になった様だ。父の亡き後、孤独と引き換えに実家で自由気ままな生活を送っていたのだが、最近、体調があまり良くないみたいなのだ。

運動不足と食べ過ぎで血糖値がかなり高くなったらしく、元々糖尿病を持病としているので、一人暮らしが急に心細くなったのだろう。

鉄人は「流れ」というものが大切だと思っている。母の一人暮らしを止めることもなく、勧めることもなかった。「お好きにどうぞ。」という感じだ。老人ホームに入りたいと母が言い出した時も、「そうですか。」と言っただけだ。

「やっぱり同居する。」と今回言い出した訳だが、「分かりました。おいで下さい。」と言ったに過ぎない。母親のやりたい様にやらせれば、それで満足な人生を送れるだろうと考えている。

かみさんも同居は初めてなので不安はあるだろうが、一度も拒否されたことはない。有り難いことだと思う。今から糖尿病の食事はどんなんが良いかなと思案してくれている。

誰もが歳を取る。好んでいてもひとりで生きて行くことは困難になってくる。だから母が同居しようとしていることは「流れ」なのだと思う。流れには逆らわない。流れにまかせて自分ができることを粛々とするのみである。
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2013年10月24日

ナビ。

「山寺」

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最近の鉄人のブログのネタは、「アクシデント」や「トラブル」ものが多い様な気がする。まあ予想不可能なこの世であるから、誰もが毎日の様に様々な予想外想定外のことに遭遇しているとは思うが。

今日はどうだったか。やはりあった。トラブルが・・・。今日は鉄人山口県の宇部の方まで撮影に出かけていた。初めての場所だったので、ナビ頼みである。

行きのことである。宇部市内に近づいた時、ナビが示した通りに車を走らせていると、あらぬ方向に車が行きだした。ナビの三角の印がまったく道がない山の中をひたすら北へ進んでいる。新しい道が出来ていたのである。

鉄人のナビの情報が少々古く、道を間違えたのだ。そして撮影も無事終了し、帰りのことである。何と!また間違えたのだ。それもまたしても朝と同じ道!!に迷い込んでしまったのである。

鉄人の学習能力のなさも噴飯ものだが、行きと帰りでは感覚が違う。同じ道でも違って見えたのだ。またナビの三角が道なき道をただひたすら北へ向かう。

朝と違うのは、帰る方向と同じであったことである。迷いながらも適当に走って高速に乗った。その際、ナビの出番がなかったことは言うまでもない。

鉄人仕事以外では結構鈍臭い。かみさんがいたら間違いなく嫌味のひとつも言われたところである。ひとりでよかった。
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2013年10月23日

めがね、めがね・・・。

「薄」

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めがねを無くしてしまった。多分、コインパーキングで車に乗る時だ。落としたのだ。雨が降っていたので鉄人慌てて車に乗り込んだ。その時、腰にぶら下げていた携帯ケースの中に入れていためがねが落ちたのだろう。

めがねといっても老眼鏡である。車の運転には無くても差し支えない。それで家に着くまで気が付かなかった。別に遠近両用を持っているので当座は凌げるのだが、遠近両用には決定的な欠点がある。像が歪んで見えるのである。

これでは仕事にならない。商品や建物が歪んで見えたら正確に写真が撮り様がないからである。自分のミスだから誰にも文句は言えない。代わりの老眼鏡を急いで買わなくては。今日の撮影料がなんぼか飛んで行く・・・あ〜あ。

でも鉄人粘る。今夜息子がそのコインパーキングの近くに行くので、ちょっと捜してくれと頼んである。「いいよ。」とは言っていたが息子のことである。まず忘れるだろうな。
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2013年10月22日

寝れた!!

「薄」

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昨夜早速香水で寝れるかどうか試してみた。鉄人は寝る前30分ほどベッドで本を読む。昨夜はその前に、枕元に香水を着けたらどんな感じで匂うかを試そうと思って、一度横になってみた。

ところがである。鉄人そのまんま朝まで眠ってしまったのである。なかなか寝付けず眠りが浅かった鉄人が、あっという間にスーっと眠りについたのだ。

これには朝目覚めた本人がびっくり!!これはこれは「香り」というものは案外侮れないものだと感じた次第である。慣れると「白檀」の香りは実に落ち着く。仏壇の匂いのイメージも一蹴された。この匂いは自分に合ってると思う。気のせいか体調も良くなった様だ。

ところがである。あろうことか口が開いている状態の香水の容器をひっくり返してしまったのだ。結構こぼれた。鉄人、大事なものに限ってこれをやる。いささか否非常に残念である。急に少なくなった香水を、ケチりながら今夜も使うつもり。その前に本は読んでおかなければならんな。

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2013年10月21日

マイブーム。

「睡蓮」

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鉄人の最近の「マイブーム」は、「香り」である。

近頃夜どうも寝付きが悪い。そして眠りが浅い。そのせいか仕事の疲れが取れ難い。

牛乳が疲れを取ると聞けば、今まで家の冷蔵庫にあっても見向きもしなかった牛乳を口にする。かみさんがやっている健食にも金は出さず手を出す。あのおぞましきセロリと人参、プラスゴーヤのジュースもかみさんのお陰で続けている。それに青汁も加わった。

それでも疲れが取れないのだ。仕事が忙しいのと年齢もあるだろうが、どげんかせんとあかんと思い次に思いついたのが「香り」なのである。

鉄人、自分的には香りに敏感だと思っている。トイレの芳香剤などもマメに換えるし、消臭剤も結構使う。香りが気に入って理髪店で買ったマイシャンプーもある。特に香水などは着けていないが、以前はグッチのエンヴィを使っていた。だが女の子にオジン臭いと言われやむなく止めたけど。

でも自分の好みの香りに包まれていると気分が良いのは確かだ。そこでもう一度「香り」に拘ってみようと・・・。まず「武蔵野ワークス」で「白檀」のお試し用の香水を購入。着け始めは何か「仏壇」の匂いみたいだなと思ったが、しばらくすると香りも落ち着き、気持ちも穏やかになってきた。寝る前に枕元に着けて寝たら良い気分で寝れそうである。今夜試してみる予定。

ただ体に着ける香水には自分的には向かないかな。仏壇が歩いてるって言われたくないもんね。それでボディ用に「クリーン ウォームコットンパルファム」を注文した。ほのかに石鹸の匂いがするらしい。石鹸の匂いは鉄人が最も好きな匂いのひとつなので届くのが楽しみである。

まだ「マイブーム」とまでは言えないが、これからいろいろ香りを楽しみたいと思っている。

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2013年10月19日

仕事の面白さ。

「秋の印象」

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鉄人は広告写真の撮影を生業としている。というかどんなジャンルの撮影でも、自分でも撮れると判断すればその仕事を受ける。保育園の運動会の撮影も面白そうだと思ったから受けてみた。そして実際に興味深い仕事であった。

多分、鉄人ほどいろんなジャンルの撮影にダボハゼ如く手を出しているカメラマンも少ないかもしれない。飯のタネになるのもそうだが、知らない世界を覗き込むのが好きなんだろう。

商品撮影、建築、料理、モデル、ポートレートなどの広告関係は元より、風景、スポーツ、旅行、ペット、空撮、何でも撮る。次いでに記事も書く。おまけに最近は写真教室の講師という仕事も、たまにではあるが舞い込む様になってきた。

総花的に仕事をしていると、ひとつのジャンルのスペシャリストにはなれないかもしれない。それでも良いのかなと思っている。この世の森羅万象は、ひとつのジャンルではとても表すことは出来ない。勿論総花的にやっても出来はしないのだが、「縁」を頼りにいろんな世界を垣間見れるのは「カメラマン」という職業の醍醐味かもしれないとは感じている。

昨日は、ある鉄工所の撮影であった。普段の生活なら鉄工所にまず用はない。近所に鉄工所があったとしても内部は知らない。カメラマンは普段一般の人がまず目にすることはないだろうと思えるその内部に入ることが出来るのだ。

押し入れなどに入れる衣料の収納箱ほどの大きさの小さな鉄板の束が、ひとつ1トン近くあると聞いた時は驚いた。そんなのに落ちて来られたら即死である。これなど普段なら聞けない情報だ。

目の前にある鉄板達が形を変えて、自動車などの様々な製品になっていくんだなあと思うと、実に興味深い。関係者以外誰も知らないところで皆頑張って生きている。それが社会なのだ。

そんな関係者以外誰も知らない世界に出会える。カメラマンはなかなか面白い職業だと当事者として実感している訳である。儲かんないけどね。
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2013年10月15日

The Leave Will Always Fall

「最後の一葉」

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Everyday or two the open grounds and walkways of the monastery must be swept clear of the leaves that fall in every Asia season. For the large open areas, the monks will team up and, with long-handles bamboo brooms extended, sweep like a dust storm, clearing all the leaves in their path. Sweeping is so satisfying.

All the while, the forest continues to give its teachings. The leaves fall, the monks sweep, and yet, even whiles the sweeping continues and the near end of a long path is being cleared, the monks can look back to the far end they have already sept and see a new scattering of leaves already starting to cover their work.

"Our lives are like the breath, like the growing and falling leaves," says Achaan Chah. "When we can really understand about falling leaves, we can sweep the paths everyday and have great happiness in our lives on this changing earth."

落ち葉の季節、寺院の広い境内の歩道を掃除をしていると、掃いた傍から落ち葉が落ちてくる。掃除は満足を与えるが、また掃除をしなければならない状態になるのである。

「人生は呼吸の様だ。それは成長し散って行く葉みたいに。」と、アーチャン・チャー・バンテーは説かれる。「我々が散り行く葉について本当の理解が出来ている時、我々は毎日通り道を掃くことが出来る。そしてこの移り変わり行く地上で我々の人生は素晴らしく幸福なものになる。」と、続けられた。

考えてみれば人生は単純なことの繰り返しである。普段は無意識にしている呼吸もそうだが、お腹が空けばご飯を食べるし眠くなれば睡眠を取る。排泄も毎日繰り返される。

人生には様々なターニングポイントやハイライトがある様だが、そんな時でも呼吸や食事、睡眠、排泄は変わりなく続けられている。それを理解することは、人生というものの本質を理解することではないかと鉄人は思う。

それを蔑ろにしていては、本当の幸福と云うものに辿り着けないのではないか。「青い鳥」ではないが、我々は何処か遠くに幸福があると思って生きているのではないだろうか。

The Leave Will Always Fall 葉は常に落ちる。その当たり前のことが人生そのものなのだ。きっと・・・。


                           A Still Forest Pool
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2013年10月14日

パンク。

「高原の秋」

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雲一つない秋晴れの今朝の空に誘われ、鉄人は山里の写真でも撮りに行こうと支度をしていた。そしたらかみさんが連れて行けと言う。その時点で撮影はドライブに変更される。撮影はひとりでやるものだからだ。

撮影を始めるとどうしても自分のペースになってしまう。そうなると同乗者は面白くない。それで撮影は一切しないことに決めているのだ。

家の近くのガソスタでガソリンを満タンにし、高速の入り口まで向かう。その途中のことである。車の左前輪が突然ガガガと音を出し始めた。車体も若干左に傾く。パンクである。

原因は直ぐに分かった。前日、自宅の車庫入れの時に、玄関前にある縁石をタイヤがかすめた。降りてタイヤを確認したら、タイヤが多少傷ついていた。そして今朝になりもう一度確認、空気が減っていなかったので、パンクはしていないと思っていたのだ。

ところがパンクしたのである。高速に入る前で胸を撫で下ろしたのだが、タイヤの交換という面倒な作業をするハメになってしまった。あずりながらも何とかタイヤを交換。近くの車屋で新品のタイヤも直ぐに手に入ったので、あらためてタイヤを新品と交換してもらった。

ただ問題がひとつ出て来たのである。かみさんの機嫌がいささか悪いのだ。何故なら予定外の出費になったからである。折角のドライブなのに、行く前から10000円以上の出費なのだ。機嫌が良いはずがない。

こんな時には鉄人、妙手がある。鉄人のへそくりから支出するのである。少ない小遣いではあるが、普段ほとんど使わないので多少へそくりがある。タイヤ代くらいは出せるので、それを使おうという訳だ。最初からその分の金は無かったのだと思えば何ということはない。

この手は絶大な効果がある。事実かみさんの機嫌は瞬く間に直った。

ドライブを続けることになり、安芸高田市の美土里町に向かう。目的は道の駅である。ここで大根と巨峰を手に入れ、次は近くにある神楽門前湯治村に行った。昼飯を食べる為である。安かったのでハンバーグを食べ、公演中の神楽を観ることもなく帰路についた。

パンクというアクシデントはあったが、秋晴れの下でのドライブは心地よい。写真は撮らなかったが、田舎の秋の美しい風景は満喫できたのである。
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2013年10月12日

神楽。

「塵倫」

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鉄人の家に程近い神社で毎年奉納神楽が演じられる。今日がその日であった。午後六時半から開かれる。かみさんに誘われ数年振りに観に行くことにした。

遠くから聴こえてくる囃子にこころ急かされながらも、神社までの小道をかみさんとのんびりそぞろ歩く。10月に入っても異常なほど暑い日が続いているが、流石に夜の風は冷たい。

神社は大勢の見物人で賑わっていた。嬉しいことに子供達も多い。遠くから気楽に舞いを観るつもりだったのだが、演目が始まるとカメラマンの血が騒ぎだす。いつの間にか最前列まで出ていた。

でも見物人の邪魔にならない様端から撮った。カメラアングルは決してベストではなかったが、逆にあまり他人が撮らないポジションだったので面白い写真が撮れた。

途中、近所に住んでる中学生のガールフレンドとばったり出会う。豚バラ串を奢る。ワンカップの日本酒を買い来た道と違う道をふらりふらりと帰っていった。

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2013年10月10日

明の人。

「若き出家者」

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明の人。明(みん)の人ではない。明るい性格の人ということだ。その明の人が今朝突然スタジオに訪ねてこられた。

ホント突然で驚いたのだが、たまたま鉄人急ぎの仕事がなく、ゆっくりお付き合いができた。鉄人より先輩の男の方だが、この方が「明の人」なのだ。

この方とお会いしているだけで、自然と自分の気持ちが明るくなっているのが分かる。柔和な表情で何時も楽しくお話しされる。話しの内容が暗くても、この方が話されると何故か暗い気分にならない。不思議である。

鉄人は特別暗い性格ではないが、さりとて明るい人間とも言えない様だ。その時の気分で明るくなったり暗くなったり。明るい性格の人達も常に楽しいことばかりではないはずだが、他人にはそれを感じさせない。何時も同じ様に明るい気持ちでお会いできるということは、相手にとってもとても有り難いことではないだろうか。

その方の血液型はB型である。総じて血液型がB型の人は「明の人」が多い様な気がするが、その方は鉄人のことを、同じB型だと思っていたらしい。鉄人はA型である。いわゆるB型の人の性格からは遠い人間かなと自己判断をしていたが、他人から観るとB型のタイプの人間に観えたということだ。

確かに第一印象で、鉄人はA型に観られたことが一度もない。血液型など当てにはならんなと思った次第だ。

朝、明の人に会うとその日一日が良い日になりそうな気がする。今日はきっとその日かも。考えてみれば、かみさんはその「明の人」である。近くに居すぎて気づき難いだけで・・・。有り難いのである。毎日を良い日にしないと・・・。
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2013年10月09日

メインディッシュ。

「まなざし」

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我が家の夕方の一コマ。

鉄人。  「今日の晩飯は何?」

かみさん。「焼きそば。」

鉄人。  「それだけ〜?冷凍でもいいからチンして他に何か作ってよ。」

鉄人風呂から上がり、座椅子に座る。やがて鳥の唐揚げが出て来た。次に小ぶりのハンバーグが・・・。肉と肉である。勿論チンだ。それからマカロニサラダが出て来た。

鉄人しばらくぽつねんとテレビを観ている。ところがメインの「焼きそば」が一向に出てくる気配がないのだ。

鉄人。   「焼きそばは〜?」

かみさん。 「・・・・。」黙っている。

鉄人。   「メインの焼きそばだよ。」

かみさん。 「焼きそばは・・・無し。」

無しぃ〜い!?鉄人我が耳を疑った。今日の晩飯は「焼きそば」だとかみさん自身が言ったのだ。それもついさっき。鉄人がリクエストした訳ではない。なのに「焼きそばは無し。」とは。

鉄人の前にはチンした「鳥の唐揚げ」と「ハンバーグ」が味気無く横たわっている。

これには理由があった。時間が無くなったのである。かみさんは夕食の用意を済ませると、ママさんバレーに出かけることになっていたのだ。

取りあえず旦那には「焼きそば」でも喰わせといてさっさとママさんバレーに行く予定だったのに、鉄人が何か別なものも作ってくれと頼んだものだから、時間切れになったという訳である。

かみさんは大抵の場合、ママさんバレーが最優先である。その意志には有無を言わせぬ堅固さがある。今回もその並々ならぬ強い意志で強行突破したという訳なのだ。

ところが良くしたもので、焼きそばの材料は揃っていたこともあり、助っ人が現れた。長男である。長男がその材料を使い「焼きそば」を作ってくれたのだ。

長男は元料理人なので鉄人に文句はない。有り難く頂戴したという次第である。

結果良ければすべて良し・・・・なの・・かな?





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2013年10月04日

刺激。

「秋祭り」

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昨夜、前田智徳の引退試合があった。鉄人もカープファンなので、久しぶりに試合を始めから最後まで観た。なかなか立派な引退試合だったと思う。

人気者の前田選手の最後の日とあって、マツダスタジアムは今年一番の満員札止だったのだが、この大勢の人々は何を求めて球場に来ているのだろうか、とふと考えてみた。

家族ではない。クライアントでもない。友達でもないだろう。前田選手は言っていればただの他人である。それなのに涙を流してまで別れを惜しんでいる。そこには何があるのだろうかと思ったのである。

鉄人が思うには、そこにあるのは結局「刺激」だ。刺激を求めて人が集まったのだ。人間、嬉しいにつけ、楽しいにつけ、悲しいにつけ、苦しいにつけ、求め続けているのは「刺激」なのではないだろうか。

引退試合はひとつのイベントである。イベントは人々に刺激を与える為に存在する。今回なら主役を演じる側、それを観る側、その両方がないとイベントは成り立たない。主役はその役目に充分に応え、観る側はそれに涙するほど大満足し家路についたのである。

鉄人もテレビの前でその熱気に煽られていたのだが、仏教の究極的な概念からすれば鉄人は落第である。この様な刺激は一時的なもので、また違う刺激を求め続けなければならない。煽られちゃ〜あかんよ。「それで〜?それが何?それがどうしたの?」でなきゃ〜。

まあ身も蓋もない話しなのだが、考えてみれば我々が求めている「刺激」というのはこのレベルのものが多い。それをいかにも凄いことの様に世間が喧伝するものだから、何かそれが物凄く特別なことだと思ってしまう。

「それで?それがどうしたの?」この言葉は人がものごとを冷静に観察することができる魔法の言葉である。この言葉を発すると世間が喧伝する大抵のことは取るに足らないものになってくる。

本当に大切なものは他にあるよと仏陀は教えられるのである。

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2013年10月02日

消費税増税。

「スネ男」

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来年の4月から消費税を増税することが正式に決まった。まず8%増税して2年後には10%になるという。一家族当たり、年間6〜7万円の負担増になるらしい。

自慢じゃないが我が家にとってはそんなもんまったく影響が無い。6万円?それがどうした。という感じである。何故まったく影響がないのか?簡単である。鉄人のお小遣いを減らせば済むだけのことだからである。

消費税のアップ分に平行して鉄人の小遣いが減るだけのことだ。鉄人家としてはまったく消費税増の影響は無いと言える。

ただ鉄人が泣けばいいだけの話しなのだ。・・・・・涙。
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