2013年09月25日

割れ鐘の如く。

「仏陀座像」

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明治維新の立役者西郷隆盛の人物評を、恩師勝海舟に坂本龍馬が語ったことがある。「なるほど西郷という奴は分からぬ奴だ。小さく叩けば小さく響き、大きく叩けば大きく響く・・・、私の手には負えない。」というのが坂本龍馬が西郷に対して感じていた人物評だったのである。

西郷隆盛はどんな些細なことにも真面目に対応し、どんな重大な事柄にも立派にアジャストしたそうである。その懐の深さに龍馬は感銘を受けた様である。そしてその大きな釣り鐘に大きな音を出させることが出来なかった龍馬自身を、小さな鐘木と喩えてもいた様だ。

アーチャン・チャー・バンテーによれば、仏教に於いての最上の釣り鐘は、幾ら強く叩いても何にも響かない割れた釣り鐘、割れ鐘の様な人物を最高位に置いている。

detachmentという英単語がある。「分離」とか「孤立」という意味合いになるのだが、その中に「世俗や利害などに超然としていること」という意味も出てくる。ちょっと語弊を招きそうな言葉に換えれば「無関心」になる。

社会的成功や名誉、財産、などに微塵も関心がない。世俗の欲という鐘木で幾ら叩いても何も響かないのである。響かないから常にこころは平静で落ちついている。そんな人物像を仏教では理想としているのだ。

西郷という人物は社会的な名声などには無関心であった様だ。彼は立派な割れ鐘でもあったことになる。鉄人はどうか。小さく叩かれれば聴こえず、大きく叩かれれば逃げ出す。そんな人物の様である。

posted by masa at 22:41| Comment(0) | 日記