2013年09月07日

Not-Self 無我

「老人と海」

老人と海.jpg

When one does not understand death, life can be very confusing. If our body really belonged to us, it would obey our commands. If we say,"Don't get old," or "I forbid you to get sick," does it obey us? No, it takes no notice. We only rent this house, not own it. If we thing it belongs to us, we will suffer when we have to leave ti. But in reality, there is no such thing as a permanent self, nothing solid or unchanging that we can hold on to.

死を理解しないと人生を大混乱させる場合がある。我々の身体が本当に我々のものなら、身体は我々の命令に従うはずである。歳を取りたくない。病気になりたくない。身体はそれに従うだろうか。我々に知らせることもなく歳を取り病気になる。我々は身体という家を借りているに過ぎない。我々のものではないのだ。我々がそれを自分のものだと思うなら、それが去る時我々は苦しむだろう。永遠の自分というものなどない。我々が持続出来る不変なものなどないのだ。

仏陀は「死」を理解していないと人生を混乱させると説かれている。我々が自分のものだと思っている自分の身体は自分のものではない。何故なら自分の思い通りにならないからだ。身体は歳を取り病気になって朽ち果てて最後は死を向かえる。これは身体というものの法則なのである。自分の意思ではどうにもならないことなのだ。

だが我々は普段身体は自分のものだと誤解して生きている。でも真実はそうではないのでそこに乖離が生まれ苦しむのである。だから人生を混乱させない様にする為には死を理解すること。無我であるということを理解することが何よりも大切なことだと仏陀は説かれたのである。

参考文献 A Still Forest Pool
posted by masa at 21:44| Comment(0) | 日記