2013年08月24日

バンテー、お寺に戻られる。

「クロアゲハ」

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デニヤーイェ・バンテーが久しぶりに「慈しみ寺」にお戻りになられた。体調を崩されて母国のスリランカに帰国されていたのだ。

数日前には戻られておられたのだが、鉄人痛風の痛みで車の運転が出来ず、今日お顔を拝見する為にかみさんとお寺を訪れたのである。

一ヶ月半ぶりにお会いしたバンテーは凄くお元気そうであった。痛風がまだ癒えていない鉄人を逆にご心配していただいて恐縮した次第である。

雑談と夕方の勤行の後、早速質問に入る。普段の修行で気になったことをご質問させていただくのだ。質問をいろいろさせていただくのだが、実は既に答えは持っている。様はその答えが合っているかどうかを確かめたいのである。

またそれ以上のお答えがあったり、鉄人が自分で導きだした答えが間違っていたりする。ただ漫然と質問をしない様に心がけてはいる。今回もバンテーのお答えと一致したものもあったが、それ以上のお答えをいただいて大変勉強になったものも数多かった。

それにしても、目の前で即答していただける有り難さ。また真理に沿ったその答えの確かさと質の高さ。本当に感謝以外の言葉が見つからないのである。

今日一番鉄人のこころに残ったバンテーのお言葉は、「たとえ嫌いな人でも、その人の全人格が悪い訳ではない。自分が相手に対して気に入らない部分を大きな慈悲の心で見る様に。」

我々は自分が嫌いな人間に対して、その人間の全部を嫌いになってしまう傾向がある様だ。しかし例えば今嫌いになった人物でも以前は友達で大好きだったという様なケースはよくある。何かの原因で疎遠になったとしても、仲が良かった頃の相手の性格の多くは、そのまま疎遠になった後でも引き継いでいる訳である。

気に入っていた相手の性格の極一部が気に入らなくなって、相手を全否定し疎遠になってしまう。考えてみれば勿体ない話しではある。デニヤーイェ・バンテーは、その嫌いになった部分を慈悲の心で包みなさいと説かれる。完全な人格の人間など何処にもいないのだから。

確かに自分のことを振り返ってみても、他人をとやかく言える程の人格など持ち合わせていない。怒ったり、すねたり、嫉妬したり、落ち込んだり、疑ったり、レベルの低い人間なのである。

そう思えば相手の欠点(自分の価値観に於いて)に対して不満でも、自分にもダメなところが多々ある訳で、また相手はそれを許してくれているのかもしれない。人間は不完全なものだと思えば、今よりも大きな心で誰とでも付き合える様になるだろう。

デニヤーイェ・バンテーが説かれた「相手の気に入らない部分を大きな慈悲の心で見る様に。」鉄人にとっては座右の銘になるほどのお言葉であった。
posted by masa at 22:47| Comment(2) | 日記