2013年08月07日

ごはんのおかず。

「谷間に咲く」

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鉄人は夕食の時必ずごはん(白飯)を食べる。わずか半膳だがごはんを食べないと夕食を摂った気になれないのだ。朝や昼はパンでも構わない。習慣というやつである。

この習慣でかみさんのご機嫌を損なう時がたまにある。今日がその日であった。今日の夕食のメインはパスタである。長男が作ってくれた。手前味噌ではないのだが、このパスタ、素人の出来ではない。長男は以前イタ飯の料理人をしていたので、本当の意味で店の味なのである。否、そこら辺の料理店の味を凌駕しているかもしれない。

本当に美味かったのだが、いかんせんごはんのおかずにはならないのだ。かみさんは豆腐ハンバーグを作っていた。生協の出来合だが結構美味い。ハンバーグといえど元は豆腐なのでこれも鉄人にとってはごはんのアテにはならない。

他にもキュウリのなますとかトマトとかあったのだがどうも違う。そんな時必ず頼むおかずがある。「竹輪かかまぼこない?」この言葉がどうも彼女の癇に障る様なのだ。

これだけ料理を作っているのにまだ何か作れと言う。ええかげんにせい!みたいな。

確かにその通りである。だが実は竹輪やかまぼこだけでも取りあえず構わないのである。鉄人の母親は仕事を持っていたせいもあり、鉄人が子供の頃あまり料理をしたがらなかった。というか好きではなかった。

作れる料理の種類も少なく、大体一週間でメニューが一巡する。そこで簡単に出せる切っただけの生の竹輪やかまぼこが食卓を飾るのである。そしてそれを鉄人が大好きときている。意外に不満がなかったのだ。

そんな子供の頃からの習慣が今でも続いていて、ご飯のアテが見つからないとつい「竹輪かかまぼこかない?」となるのである。

今日はかまぼこがあった。袋のままポイと渡されたかまぼこを空板の付いたままの状態で包丁を入れる。そしてご飯の量にちょうどいいだけ切って食べるのである。

鉄人にとっては子供の頃からの習慣だが、かみさんにはこれが理解不能らしい。そしてちょっとご立腹された訳である。

竹輪とかまぼこは鉄人にとっては最高のごはんのおかずである。おっともうひとつあった「魚肉ソーセージ」。

明日から毎日夕食のおかずは切っただけの竹輪とかまぼこと魚肉ソーセージの三点セットだけになるかもしれない。かみさんのテレビを観ている横顔にそんな決意が読み取れる。

毎日それだけじゃあやっぱり辛い?


posted by masa at 22:44| Comment(2) | 日記

8月6日。

「ヒロシマの祈り」

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毎年、8月6日は8時15分になると、テレビの前でかみさんとふたりで平和公園の方角に向かい黙祷をする。蝉時雨の中の一分間は、やはり原爆のことに思いを馳せる。

そして原爆や原子力の問題は決して過去の出来事ではなく、現在も続いていることを再認識する。そしてその問題が未だ何も解決出来ていない人間の愚かさをも再認識するのだ。

鉄人は最近ブログで自説を述べることは少ない。仏教の素晴らしさを伝えることはあるが、それは仏陀の偉大さを真理を通して伝えたいが為であって自説だとは解釈していない。

ただ原子力の問題だけはそれを曲げてでも訴えたいものがある。鉄人は完全な核廃絶論者である。核兵器の廃絶は言わずもがなであるが、平和利用というレッテルが貼られていても、どう考えても間尺に合わないと思うからだ。

理由を挙げれば切りがない。少なくとも広島・長崎そして福島はその現実を人類に突きつけている。またエネルギー問題にしても他にエネルギー源が存在しない訳ではない。どころかクリーンな自然エネルギーは無尽蔵にあるのである。

人類の知恵とは、核利用のリスクを減らすのではなく、核に取って代わるエネルギーを早急に研究開発し具体的な新エネルギーを持つことだと思う。数分間だけ空を飛んだ飛行機の発明から100年足らずで土星まで行き着く人工衛星まで人類はこしらえたのである。出来ないはずがないというのが鉄人の見解である。

ナショナリズムなど捨ててしまえ。とあえて暴言を吐いてみたい。自国の利益だけを追求する時代は終わりである。地球という運命共同体の一員として各国は生き延びて行かなければならないのだ。それほど世界の危機は切迫している。その為にはやはり核はいらないと鉄人は思っているのである。






posted by masa at 00:28| Comment(0) | 日記