2013年08月31日

ネット通販。

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鉄人の友人が役員をしている会社の新規事業の記事が中国新聞に載った。いわゆるネット通販の類いの事業だが発想が面白い。「ショッパーゾーン」という名の通販サイトで、ショップを開設する時にかかる初期費用と月額基本料金を無料にしている。売れた時に販売手数料を払うだけである。

また登録も簡単にしてネット上で済ませることができる。ネット販売をしたい人間は、お金が無くても直ぐに始められリスクもないというのが最大のメリットだそうだ。

3年後には年間流通額で100億円を目指す。なかなか鼻息が荒いのだ。鉄人はその友人から撮影が発生すれば手伝ってくれと頼まれている。鉄人にデメリットはないので二つ返事で快諾した。

結果はどうなるか分からないがスケールの大きい話しで痛快である。今の時代は資金が無くてもアイデア次第で巨万の富を築くのは夢物語ではない。モバゲー辺りの企業の社長は皆若い。プロ野球の球団オーナーだってなれるのだ。

鉄人は若いとはいえないが頭は柔らかいつもりである。息子の新規事業も協力者が出て来ている。まだまだ形にはなっていないが、黎明期というのは苦労はあるが希望に燃え面白い時期でもある。このゲームを楽しみたいと思っている。
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2013年08月30日

三冊目。

「A still forest pool」

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「A still forest pool」は鉄人が最も尊敬する精神的指導者のひとり「アーチャン・チャー・バンテー」が書かれた本である。鉄人の座右の書ともいえる本で、鉄人の何時も傍らにある。

実は鉄人この本を三度も購入している。一度目は仕事先に持って行き無くしてしまったので。もう一度は先日フェリーで知り合った外国人に差し上げたので。その度に同じ本を購入しているのだ。

アーチャン・チャー・バンテーの本は他にもある。鉄人もそれらの本を持っていはいるのだが何しろ分厚い。英語が苦手な鉄人はその分厚さを見る度戦意が喪失するのである。

その点この本は比較的薄く文章もプレーンである。またひとつひとつの話しが短いので、読んだ先から内容を忘れてしまう鉄人にはこの短さは有り難い。

途中イラストが入っているのも息抜きになる。英語が達者な人なら半日あれば読める本だが、鉄人は三回も買っても未だ読了していない。実に情けない話しではある。

ただそれでも手に入れたいと思うのは、やはり内容の素晴らしさがあるからだ。文章が短い分余分な言葉など皆無である。バンテーがこの本で伝えたいことがストレートにまたシンプルに書いてある。だからこそその本意がダイレクトにこころに伝わってくる。鉄人にとってはなくてはならない本なのである。

アマゾンの販売システムのお陰で何度でも直ぐに欲しい本を手に入れることができる。有り難いことである。





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2013年08月27日

仮住まい。

「寝室」

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鉄人は今スタジオで寝ている。三階の屋根裏が鉄人の寝室なのだが夏場は灼熱地獄なのだ。夕方でも部屋の温度は優に40度を超える。クーラーなんて効かないので付けてない。そんなところで寝たら確実に熱中症になってしまう。仕方がないので夏の間はスタジオで寝ることにしている。

少し前まではソファで寝ていたのだが、それが原因のひとつになり痛風になってしまった。痛風は関節のあるところがなり易い。その部分を冷やしたりすると尿酸の結晶が出来、それがこんぺいとうの様なギザギザの形をしていて神経を刺激するのだそうだ。それで激痛になる。

ソファで寝ていると、ソファは狭いので身体を動かせない。そこに長時間扇風機の風などを当てるとそこが冷え尿酸の結晶が出来易くなるという訳である。今回鉄人が肩に痛風を患ったのもそれと無関係とはいえないようだ。

という訳で遅まきながらベッドをこしらえてみた。写真の様に撮影用の箱(ビールケース)を並べ、その上にこれまた撮影用の畳を敷いて、さらにその上に布団を掛けた。あっという間にベッドの完成である。なかなか立派なものだ。

だがスタジオなので朝起きたら当然毎日ベッドを解体しなければならない。夜になるとまた組み立てる。面倒と言えば面倒なのだが、このベッド意外に快適なのである。

畳とせんべい布団なので少々硬いがその硬さが良い。また瞑想をする時にも姿勢が真っ直ぐになり疲れ難い。寝るにも瞑想するのにも丁度良い硬さなのである。

秋になればまた三階に戻る訳だが、三階のベッドも畳ベッドにしようかなと思っている。
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2013年08月24日

バンテー、お寺に戻られる。

「クロアゲハ」

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デニヤーイェ・バンテーが久しぶりに「慈しみ寺」にお戻りになられた。体調を崩されて母国のスリランカに帰国されていたのだ。

数日前には戻られておられたのだが、鉄人痛風の痛みで車の運転が出来ず、今日お顔を拝見する為にかみさんとお寺を訪れたのである。

一ヶ月半ぶりにお会いしたバンテーは凄くお元気そうであった。痛風がまだ癒えていない鉄人を逆にご心配していただいて恐縮した次第である。

雑談と夕方の勤行の後、早速質問に入る。普段の修行で気になったことをご質問させていただくのだ。質問をいろいろさせていただくのだが、実は既に答えは持っている。様はその答えが合っているかどうかを確かめたいのである。

またそれ以上のお答えがあったり、鉄人が自分で導きだした答えが間違っていたりする。ただ漫然と質問をしない様に心がけてはいる。今回もバンテーのお答えと一致したものもあったが、それ以上のお答えをいただいて大変勉強になったものも数多かった。

それにしても、目の前で即答していただける有り難さ。また真理に沿ったその答えの確かさと質の高さ。本当に感謝以外の言葉が見つからないのである。

今日一番鉄人のこころに残ったバンテーのお言葉は、「たとえ嫌いな人でも、その人の全人格が悪い訳ではない。自分が相手に対して気に入らない部分を大きな慈悲の心で見る様に。」

我々は自分が嫌いな人間に対して、その人間の全部を嫌いになってしまう傾向がある様だ。しかし例えば今嫌いになった人物でも以前は友達で大好きだったという様なケースはよくある。何かの原因で疎遠になったとしても、仲が良かった頃の相手の性格の多くは、そのまま疎遠になった後でも引き継いでいる訳である。

気に入っていた相手の性格の極一部が気に入らなくなって、相手を全否定し疎遠になってしまう。考えてみれば勿体ない話しではある。デニヤーイェ・バンテーは、その嫌いになった部分を慈悲の心で包みなさいと説かれる。完全な人格の人間など何処にもいないのだから。

確かに自分のことを振り返ってみても、他人をとやかく言える程の人格など持ち合わせていない。怒ったり、すねたり、嫉妬したり、落ち込んだり、疑ったり、レベルの低い人間なのである。

そう思えば相手の欠点(自分の価値観に於いて)に対して不満でも、自分にもダメなところが多々ある訳で、また相手はそれを許してくれているのかもしれない。人間は不完全なものだと思えば、今よりも大きな心で誰とでも付き合える様になるだろう。

デニヤーイェ・バンテーが説かれた「相手の気に入らない部分を大きな慈悲の心で見る様に。」鉄人にとっては座右の銘になるほどのお言葉であった。
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2013年08月23日

二つの道。

「記念撮影」

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「人が生きて行く道は二つある」と仏陀は説かれておられる。一つは「五感」を楽しませる為に生きる道。もうひとつは「五感」の楽しみから離れる道である。

「五感」とは、「視覚」「聴覚」「臭覚」「味覚」「触覚」になる。その五感(色、声、香、味、触)を感じる器官として眼、耳、鼻、舌、身がある訳である。

その五感を如何に楽しませるか、満足させるかが我々の人生のすべてであると言えるかもしれない。外部の情報は五感を通してしか入らないのだから、その各々の感覚を満足させる為に生きて行くのは、当然と言えば当然なのかもしれないのだ。

ところが仏陀はもう一つの道「五感の楽しみから離れる道」があると説かれておられる。前者の道が「世俗的な幸福の道」なら後者は「悟りによる絶対的な幸福への道」と言えるだろう。

簡単に言えば「五感の満足を手に入れる為に生じる様々な苦しみを手放した(悟りを得た)先にある幸福が真の幸福である。」となる。しかし問題は我々の人生に於いて五感の楽しみを手放せるだろうか、ということだ。

美味しいものを食べる。好きなテレビ番組を観る。お気に入りの音楽を聴く。子供と遊ぶ。スポーツをする。どれもその人にとっては自分の人生を謳歌するのに必要なものだ。

鉄人もしかりである。ラーメンには目がない、毎日テレビで「あまちゃん」も観る。AKBの新曲「恋するフォーチュンクッキー」は大のお気に入りである。

他の世俗的生き方をしている人々と何も変わらない。では仏教の修行をする意味は何処にあるのだろうか。何が世俗の世界と異なるのか。それは目の前の現象に対しての価値観の違いであろう。見方が違うと思うのだ。

「出家」とは、「五感の楽しみから離れる為修行する」ことを選ぶことである。徹底的に真理の道を歩むことになる。しかし幾ら仏教を学んで実践もしていても世俗の世界にいる限り「真理の道を歩む」ことに専念出来ない。このことが鉄人にとってはパラドックスであった。

しかしやり方によってはそのパラドックスを完全ではないが解決できる方法を学んだのだ。それは「世俗」と「真理」二つの真反対の道を同時に歩むという方法である。

世俗の世界で起きている様々な現象を、真理の目で観察するということである。例えば鉄人がラーメンを食べる。「美味い。」ほとんど味覚を満足させ、視覚と嗅覚を楽しませる。ここまでが「世俗」、その現象を「これは一時的な刹那的な感覚であり、またすでに通り過ぎたものだ」(無常)と観察する。また味覚自体も舌が持つ機能が働いたもので、それが脳の機能に伝達され「美味い」と認識したものであり、それは機能が作動したものであり自我ではない(無我)。と、気づく。これは「真理」の世界になる。

その様にこの世で起きている様々な現象を、真理の眼でありのままに観察して行けば、すべては「無常」「無我」「苦」だと体現出来るのだ。例外はひとつもないのである。

そこが仏教を学ぶことにより手に入れられる価値観の違いなのだと鉄人的には思う。

普段の生活の中で喜怒哀楽を繰り返しながらも、そこには一定した客観的価値観が流れている。それがやがては(来世以降)真の幸福へのステップになると思っている。



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2013年08月21日

痛風。

「蓮華(れんげ)」

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久しぶりに痛風になってしまった。それも意外なところが・・・。今回、痛風になった場所は何と「肩」である。数日前から左肩に何となく違和感があった。動かすとちょっとだけ痛い。でも仕事や普段の生活には差し支えなかったので気にしていなかった。

ところが昨日辺りから腕が挙がらなくなって来た。少し動かしても痛い。「五十肩」かな?」鉄人今まで「五十肩」を経験したことがなかった。というか肩が痛くなったことがなかったのだ。痛風なら足が痛くなるからなぁ〜。

「五十肩」がどういうものかは分からなかったが、痛いので行きつけの鍼灸院を予約した。でも今週末まで我慢しなければならない。そして今日、朝から左腕に激痛が走る。ちょっとも動かせなくなった。辛抱堪らんので我が家の隣にある病院に飛び込む。

鉄人、自慢じゃないがこの病院の常連である。先生鉄人の顔を見るなり常套句になっている「痛風ですか?」「いや〜今回は肩が痛いんですけど」と鉄人。

「肩も痛風になりますよ。」と先生。やっぱり痛風だったんだ。普段は酒を止めているのでほとんど痛風は出ていなかったが、お盆にビールと日本酒を少し飲んだ。少しだったのでまさか痛風になるとは思わない。

甘かった。今回の肩の痛みも持病の痛風だったのである。治療法はひとつしかない。点滴である。流れ作業の如く鉄人速やかにベッドに寝かされる。常連だから鉄人も看護士さんも慣れたものだ。俎上のひととなった鉄人は早速読書に入る。病院はクーラーの効いた快適な場所なのだ。この時間を逃す手はない。

30分後帰宅する。今パソコンに向かっている。大分痛みが取れた証拠である。痛風という病気は一度発症すると完全に治るということはないそうである。後は普段の食生活に注意してストレスを溜めない様にするしか方法はない。

やはりお釈迦様がお決めになられた戒律を破った報いが来たのであった。「因果応報は真理だ!!」痛い思いをして気づく愚かな鉄人である。
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2013年08月18日

広島よいとこ。

「赤鳥居」

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先日何かで読んだのだが、欧米人に今一番人気がある日本の都市は広島市なのだそうだ。平和公園と宮島くらいしか観るところがないと常々思っていた鉄人にはそのことが俄には信じられなかった。

欧米人が平和公園を訪れたいという気持ちは理解できる。でもそれ以外広島市内に特筆できる観光地は皆無である。それなのに欧米人の観光客は広島に来たがっている。何故だろう。

その記事の続きを読んでみると、広島の街はそぞろ歩きに最適なのだそうだ。広すぎず狭すぎず。気候は温暖。ゆっくりと走る路面電車も旅情をそそるか。また主な施設が街の中央にコンパクトにまとまっているのもポイントが高いらしい。

それと美味しいモノが食べられる地方都市としても、常に上位にランクされている。住んでいる人間が思っているよりも西洋人の旅人にとっては魅力的に映るのかもしれない。

鉄人も欧米人ではないが外様である。広島生まれほど広島には愛着がないかもしれないが、確かに居心地は悪くない。家は五日市にあるがここから出たいと思ったことはない。住めば都というが客観的に見てもそう嫌な街ではなさそうだ。

カープに異常なほどの愛を注ぎ、広島風お好み焼きの蘊蓄を語ると止まらなくなる。引っ越して来た時は違和感もあったが今では自分もそれの仲間入りをしている。鉄人より早く欧米人の方が広島の魅力に気が付いている、ということだろうか。

サンフレは首位を落っこちてしまった。サッカーなんてこれっぽっちもホント興味なかったんだがなぁ〜。

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2013年08月16日

邂逅。

「盂蘭盆会」

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今日ある不思議が出会いがあった。鉄人は一昨日からかみさんの故郷である瀬戸内海の島、大崎上島に帰省していたのだが、今日昼過ぎ広島に戻る途中のフェリーでの話。

鉄人は何時もフェリーに乗って車から離れても客室には入らず、瀬戸内の風景を撮るため大概はデッキにいる。今日はデッキのベンチが空いていたのでそこに座っていた。

すると他のベンチが空いているにも関わらず鉄人の真横に座って来た男がいる。若い女性ならいざ知らず「何でやねん」と思ったが、横に座るのは人の自由なので知らん振りをしていた。

しばらくすると隣の男が袋を開いて一個のパンを食べ始めた。横目でチラリと隣を見たら三十歳くらいの西洋人の男であった。鉄人の横に座った理由は鉄人と西洋人の男の席だけ影になっていたからだった。

まあそれでも日本人なら隣に座らないだろうなあと思いながらもせっかくだから彼に挨拶をした。その一言から思いもしない展開になったのである。

彼と目が合った瞬間彼は「コンニチハ」と会釈した。そこで鉄人は「ハロー」と挨拶を返した。あべこべである。そして「そのパンはあなたのランチか?」とちょっと片言の英語でジョークを言ってみた。すると彼がニコーっと笑ってくれた。こころを開いてくれた瞬間であった。

そしてそこから奇妙な会話が始まったのだ。鉄人は片言の英語。彼は片言の日本語、プラス英語である。やはりあべこべだ。しかしお互い片言ながら非常に話しが通じたのである。それは彼が仏教を学んでいたからであった。

彼は現在日本人の奥さんと京都に住んでいた。大崎上島には旅行で来ていたそうだ。昨日は広島にいたそうである。その広島の平和公園にある原爆資料館を訪ねたのだろう彼は現在の世界中で起きている諍いを嘆いていた。そして世界の平和の為には仏教の考え方が大切であると鉄人に語り始めたのである。

西洋人の彼から仏教の話しが出るとは驚いたが、当然鉄人も我が意を得たりと話しが弾んだ。彼は京都の臨済宗のお寺で毎日朝と夕方座禅をしているそうである。鉄人より遥かに熱心だ。そしてさらにびっくりしたのは、初期仏教のヴィパッサナー瞑想もよく知っていたのだ。初期仏教の知識も持ち合わせていた訳である。

仏教国である日本の国民でさえ初期仏教を知っている者はマイノリティである。まさか西洋人である彼の口からヴィパッサナー瞑想という言葉か飛び出すとは。また彼は悟りを本当に開いた者は非常に少ないことにも言及していた。悟りという言葉の意味もそこに到達する難しさも熟知していたのである。

鉄人と彼との会話は、フェリーが竹原港に着く直前まで続いた。まだ話し足りなかったが、港に着いたのでそこでサヨナラした。その時たまたま持ち合わせていたアーチャン・チャーの英訳の本をプレゼントした。彼はまだアーチャン・チャーを知らなかったからである。多分この一冊で彼の人生観はまた違ったものになるだろう。

一期一会の出会いだったが、彼とは前世で会っている。それは鉄人の中では確信的なことだ。そして彼がベンチでくっついて来たのは多分鉄人に求めてくるものがあったのだ。それはきっとアーチャン・チャーの本の為だったのではないだろうか。彼は求道者だったからだ。あれだけ熱心に座禅を学びながらまだ迷いや苦しみの中にいる。アーチャン・チャーは最終的な悟りを開いた人と言われているのだ。答えを探していたのだと思う。

鉄人も苦しみの中にはいるが行くべき道は理解しているつもりである。実践出来るかどうかは別のこととして。その行くべき道を鉄人から情報を得たかったのではないかと今は思うのである。

お互い名前も告げず別れたのであるが、それでいいのである。皆繋がっていると思うからだ。一個のパンが取り持ったとても得難い縁であった。






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2013年08月12日

怒りの観察。

「祭の子」

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鉄人の最近の仏教的テーマは「怒りの観察」である。一日の中の様々なシーンに於いて、自分に怒りが起こっていないかを観察するのだ。さらに怒りが生まれた場合、その原因と怒りの状態になるまでの流れを観察する。そしてその発生した怒りに対してどのように対処するかを考えるのだ。

明らかに今怒りが発生しているなと観察出来たのは今日は二回あった。一度目は家族と昼食を摂る為に寿司屋の駐車場に車を停めた時だ。駐車場の案内の看板でちゃんとお客様用の位置を確認して駐車したにも関わらず、店の人間から「そこは従業員用のスペースなので移動してくれ」と言われたのだ。

こちらには非はない。「お客様用と書いてあるじゃないか」と反論したのだが、謝られたので折れた。しかし店の中に入っても怒りの感情が残っていた。そこで原因は分かったのでそれが何故怒りに繋がったのかを考えてみた。

まずちゃんと指示通りに駐車した訳だからこちらに非はないということ。今日は暑くてその場所は日陰だったこと。場所を移動するのが面倒だったこと。店の人間の言いようが多少無礼だったことが挙げられる。

次に別の角度から考えてみた。駐車場は幾らでも空いていた。日陰の場所もあった。車の移動などものの数十秒もあればできる。店の人間も、多少言葉が足りなかったが謝っている。

ひとつのことを観察しても、まったく真反対の考え方ができる訳である。どちらが自分にとって得になるのだろうか。最初の考えは間違ってはいないだろうが結果として「怒り」が生まれている。二番目の考え方なら多分怒りは生まれないだろう。

怒りとは「自分の思い通りにならない時生まれる」ものである。しかし人生に於いて「自分の思い通りになる」ことなど、思い通りにならないことの数に比べればほんのわずかだと思うのだ。

自分の思い通りにならないことが常だから、人は年がら年中怒っていることになる訳である。

今日二つ目の怒りは、運転中自分の目の前に物凄く遅い車がいた時である。時速五十キロの場所で時速三十数キロで走行している車がいた。制限速度ちょうどで走られても遅く感じるのに、法廷速度より十キロ以上も遅い。あまりに遅いのでイライラしてきた。当然これも怒りである。

するとある場所で前を走る車が道の端にやや寄ったので、追い越し禁止の道だったが鉄人は追い越してしまった。

あまりに遅い車も確かに迷惑ではある。だがしかし追い越し禁止の道路で追い越せば、警察がいたなら即アウトである。損をするのは鉄人なのだ。今日は母親とかみさんとを乗せてのドライブだったので急ぎではない。安全運転の立場から見てもアウト。さらにである。次の信号で追い越した車に追いつかれてしまった。

鉄人が怒りの為にとった行動は完全に無意味であり、というか甚だリスキーなものだったのである。今日のふたつの怒りを反省して、今度同じ様なことがあっても「自分の思い通りにはものごとはならない」という真理を念頭に置き、怒りが発生しない様、または発生してもすぐその怒りを消せる様に考えなければならない。

これも訓練である。否、訓練しなければいけないと思う。一朝一夕には上手くいかないだろうが、それが自分の為だと思うからだ。

参考文献  アルボムッレ・スマナサーラ著  「怒らない練習」
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2013年08月10日

作詞。

「彼の川」

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鉄人は最近「冬眠」ならぬ「夏眠」を決め込んでる。仕事と用事以外は外に一歩も出ない。ただただ家でじっとしてるのだ。

このとんでもない暑さはどうだ。夏の甲子園など鉄人にとっては狂気の沙汰である。かみさんも少し前熱中症になりかけた。友人は熱中症になってしまった。身近な人間が熱中症にやられる。見かけによらず身体の弱い鉄人がちょっと無理すれば簡単にやられるのは自明の理である。

家の中では大概本を読んでるが、最近「作詞」を始めた。小説にも挑戦したが小説は仏教の概念では妄想の世界、どうも妄想するのが苦手になって来ているようだ。

そこで「作詞」に替えた。元々俳句が好きで最初の頃のブログでは駄作をよく発表していた。ただ俳句ではメシが喰えない。作詞ならそのうち誰かの目に留まり曲が付けられ空前の大ヒット。鉄人は印税で悠々自適の老後を送るのである。いいねえ〜。これも酷い妄想だな。

近いうちに作品をブログに載せる。何時の日かあの大ヒットした歌の詩が誰かのブログに載っていたなあ〜と思い出してもらえれば幸いである。ダハハ。

記録的猛暑はまだ半月程続きそうだ。明日は母親のお守り?で墓参りに行って昼ご飯を一緒に食べる予定にしている。明日だけが母親のスケジュールが空いていたのである。この暑さの中どんだけアクティブなのだ。

夏眠していたいが用事なら仕方がない。せっせと墓参りして先祖にヒット祈願をせねばならぬな。
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2013年08月07日

ごはんのおかず。

「谷間に咲く」

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鉄人は夕食の時必ずごはん(白飯)を食べる。わずか半膳だがごはんを食べないと夕食を摂った気になれないのだ。朝や昼はパンでも構わない。習慣というやつである。

この習慣でかみさんのご機嫌を損なう時がたまにある。今日がその日であった。今日の夕食のメインはパスタである。長男が作ってくれた。手前味噌ではないのだが、このパスタ、素人の出来ではない。長男は以前イタ飯の料理人をしていたので、本当の意味で店の味なのである。否、そこら辺の料理店の味を凌駕しているかもしれない。

本当に美味かったのだが、いかんせんごはんのおかずにはならないのだ。かみさんは豆腐ハンバーグを作っていた。生協の出来合だが結構美味い。ハンバーグといえど元は豆腐なのでこれも鉄人にとってはごはんのアテにはならない。

他にもキュウリのなますとかトマトとかあったのだがどうも違う。そんな時必ず頼むおかずがある。「竹輪かかまぼこない?」この言葉がどうも彼女の癇に障る様なのだ。

これだけ料理を作っているのにまだ何か作れと言う。ええかげんにせい!みたいな。

確かにその通りである。だが実は竹輪やかまぼこだけでも取りあえず構わないのである。鉄人の母親は仕事を持っていたせいもあり、鉄人が子供の頃あまり料理をしたがらなかった。というか好きではなかった。

作れる料理の種類も少なく、大体一週間でメニューが一巡する。そこで簡単に出せる切っただけの生の竹輪やかまぼこが食卓を飾るのである。そしてそれを鉄人が大好きときている。意外に不満がなかったのだ。

そんな子供の頃からの習慣が今でも続いていて、ご飯のアテが見つからないとつい「竹輪かかまぼこかない?」となるのである。

今日はかまぼこがあった。袋のままポイと渡されたかまぼこを空板の付いたままの状態で包丁を入れる。そしてご飯の量にちょうどいいだけ切って食べるのである。

鉄人にとっては子供の頃からの習慣だが、かみさんにはこれが理解不能らしい。そしてちょっとご立腹された訳である。

竹輪とかまぼこは鉄人にとっては最高のごはんのおかずである。おっともうひとつあった「魚肉ソーセージ」。

明日から毎日夕食のおかずは切っただけの竹輪とかまぼこと魚肉ソーセージの三点セットだけになるかもしれない。かみさんのテレビを観ている横顔にそんな決意が読み取れる。

毎日それだけじゃあやっぱり辛い?


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8月6日。

「ヒロシマの祈り」

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毎年、8月6日は8時15分になると、テレビの前でかみさんとふたりで平和公園の方角に向かい黙祷をする。蝉時雨の中の一分間は、やはり原爆のことに思いを馳せる。

そして原爆や原子力の問題は決して過去の出来事ではなく、現在も続いていることを再認識する。そしてその問題が未だ何も解決出来ていない人間の愚かさをも再認識するのだ。

鉄人は最近ブログで自説を述べることは少ない。仏教の素晴らしさを伝えることはあるが、それは仏陀の偉大さを真理を通して伝えたいが為であって自説だとは解釈していない。

ただ原子力の問題だけはそれを曲げてでも訴えたいものがある。鉄人は完全な核廃絶論者である。核兵器の廃絶は言わずもがなであるが、平和利用というレッテルが貼られていても、どう考えても間尺に合わないと思うからだ。

理由を挙げれば切りがない。少なくとも広島・長崎そして福島はその現実を人類に突きつけている。またエネルギー問題にしても他にエネルギー源が存在しない訳ではない。どころかクリーンな自然エネルギーは無尽蔵にあるのである。

人類の知恵とは、核利用のリスクを減らすのではなく、核に取って代わるエネルギーを早急に研究開発し具体的な新エネルギーを持つことだと思う。数分間だけ空を飛んだ飛行機の発明から100年足らずで土星まで行き着く人工衛星まで人類はこしらえたのである。出来ないはずがないというのが鉄人の見解である。

ナショナリズムなど捨ててしまえ。とあえて暴言を吐いてみたい。自国の利益だけを追求する時代は終わりである。地球という運命共同体の一員として各国は生き延びて行かなければならないのだ。それほど世界の危機は切迫している。その為にはやはり核はいらないと鉄人は思っているのである。






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2013年08月05日

こんな夢を見た。

「近頃どうでっかぁ〜?」「ぼちぼちでんなぁ〜。」

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こんな夢を見た。タレントの優香に水着の写真を撮らせてくれと頼んでいる鉄人。彼女はOL姿である。

「写真を撮らせてくれよぉ〜。」

「でもぉ〜。」

と言いながらも優香もまんざらではなさそうである。

「頼むよ。」

「どっしょっかな。」

もう一押しである。

「ホントお願い!!」

鉄人優香に迫る。

「おとうさぁ〜ん。」

「おと・・うさ・・・ん〜?」

今何て言った?

「おとうさ〜ん。祐樹(次男)が車貸してくれって言ってんだけど。」

その声に鉄人目が覚める。鉄人の目の前には優香ではなくかみさんがいた。もう少しで優香を口説き落として水着の写真が撮れるはずだったのに。

かみさんへの返事も早々に鉄人二度寝に挑戦する。しかしもはや優香の姿を見ることは叶わなかった。ところでひとつ思ったことがある。何でヌードモデルを頼まなかったのだろうか、ということだ。せっかくの夢なんだから頼めば良かったろうに・・・。夢の中でも小心者である。

まあその分落胆も大きかっただろうな。

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2013年08月04日

日帰り旅行。

「八月の雨」

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今日はかみさんと日帰りバス旅行に出かけていた。何処に行くのかは鉄人は知らない。岡山県の何処かである。日帰り旅行の提案者はかみさん。目的は土産を買うこと。ワイナリーでワインの試飲をすること。昼食の桃をはじめとしたフルーツ食べ放題。そして帰りにもらえるフルーツいろいろである。名所に行くのかなどまったく関係なし。ただただ食欲と購買欲そして特典に目が眩んだ何とも欲深い旅の目的だったのである。

鉄人は日帰り旅行など一度もしたことがない。泊まらない旅行、温泉に入らない旅行など旅行じゃないと思っていた。日帰りだからスケジュールもタイトそうである。鉄人は買い物には全然興味がないし・・・。

ところがこれが結構面白い旅行になったのである。まずしょっぱなから躓いた。広島インターから高速に乗るなり事故で大渋滞。こういったアクシデントは記憶に残る。ワインを試飲したら全部すんごく甘い。何だこりゃ?お昼の膳に出ていた桃を持って帰ろうとしたら、「ここで食べて帰ってください。」とやんわり注意される。

道中は大雨と雷に見舞われ、一応名所観光に予定されていた「何とか滝」と「ひまわり畑」は雨の中早々に退散。次いでだが名所の「ひまわり畑」は本日オープン。ひまわりがまだちらほらとしか咲いていなかった。写真は今日訪れた「ひまわり畑」花が咲いているところだけ写している。写真は嘘つき?

朝7時半に出て夜8時に広島に戻って来たのだが、間延びした感じもタイトなこともなく走行距離が短いせいか疲れもなかった。車での駅への送り迎えは次男がしてくれてこれもラッキー。かみさんは抱えきれないほどの土産を手に入れ(当然全部鉄人が持たされる)勿論ご満悦であった。(かみさんは安くてかさばる土産を好む。まるで田舎の結婚式である)

「次は何処に行こうか。」初めての日帰り旅行が済んだ時の鉄人の一言。

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