2013年07月18日

怒りの末路。

「夏草」

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先日広島でひとりの少女が逮捕された。容疑は殺人である。連日全国ニュースやワイドショーで取り上げられているので、誰もがその成り行きに関心を寄せている。

地元で起きた事件なので、鉄人も気になっているし容疑者や被害者が子供みたいなので、残念だし辛いものがある。殺人に至った理由を詳しくは分からないが、ニュースで取り上げられている内容が事実ならひとつだけ確信的に言えることがある。

それは「怒り」の存在である。LINEに書かれた悪口が発端で激怒し、書いた当人を呼び出し最後は殺人まで犯している。その爆発的なエネルギーが怒りなのだ。

それほど怒りのエネルギーは強く、恐ろしい結果をもたらす。そしてその怒りのエネルギーで起こしてしまった結果で誰が得をしたのだろうか。誰ひとりとして得をしていないではないか。容疑者の明るい未来は想像出来ないし、被害者は既にこの世にはいない。無念の死だったと思う。仲間がいたとされるがその仲間達の将来も暗いものになるだろう。家族も同じである。

事件の関係者は誰ひとり得をしていないことは確かである。これが怒りが招いたいたたまれないほどの悲劇だ。仏陀は「怒り」を認められなかった。「正義の怒り」さえも認められていない。怒りは結局は自らを滅ぼすものだからである。加害者とされる少女もこれが事実なら一時的な怒りで自らの未来を滅ぼしてしまったことになる。

怒りへの対処法はそれほど大切なことだと思うのだ。時間をかけて築いて来た地位や名誉財産、幸福な家庭なども、一時的な怒りで一瞬で失ってしまうこともよくある。その原因になる怒りを取り除いていく為には、自分の怒りに気づきその存在を注意深く観察していく必要があると思う。

怒りには必ず原因がある。そして怒りを増幅させた様々な要因も浮かんでくる。しかしその原因や要因はすべて過去のことである。だから怒りというものは過去のことにクリングしている状態。ということになるのだろうか。

今この瞬間を生き切るというのが仏陀の教えである。怒りを覚えた何かは既に過去のことであり、また無常であるからその状況も変化していくものだ。容疑者の少女がLINEの悪口という過去に引きずられなければ、今回の悲劇はなかったであろう。もう既にない過去やまだ来ていない未来に囚われず、今を生き切ることの大切さ。

怒りでどれだけ自分の人生に於いて損をしているか。我々はよくよく怒りについて学ばねばならないと思うのだ。
posted by masa at 00:41| Comment(2) | 日記