2013年07月31日

掃除。

「向日葵」

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ある日読んだ本にこう書いてあった。「トイレ掃除をすれば簡単にお金が入ってくる」。その日以来鉄人は以前より熱心にトイレ掃除をしている。こんな簡単なことでお金が入って来るのならお易い御用である。ついでに流しも毎日ピカピカにする。

それと同じ様な情報を手に入れた男がいる。長男である。鉄人が掃除した後のトイレをまた掃除している。無駄なことだと思うが奇麗に越したことはないし、本人が満足するので放っている。

さて、二人掛かりで毎日やっているトイレ掃除の成果はいかに・・・。今のところトイレが綺麗なだけの様である。

ところでかみさんの掃除術がなかなか面白い。よく四角い部屋を丸く掃くといってアバウトな掃除のことをそんな風に表現するが、かみさんの掃除はそれより遥かに凄い。

鉄人はそれを「八艘飛び」と呼んでいる。かみさんは掃除をする際、部屋に散らばるあらゆる障害物を飛び越え、その障害物と障害物の隙間を縫う様にして、見事な手さばきで掃除機をかけるのだ。

そして、かみさんが掃除した後の部屋は、注意するほど散らかってはいないが、褒めるほど奇麗にはなっていない。という表現が一番適当だと思う状態になる。なかなかやるなあ〜。

鉄人が代わりに掃除をしてもいいのだが、スタジオの掃除だけでも結構疲れる。なにしろピカピカにしなければならない下心があるので・・・。まあ掃除は奇麗になるので楽しくはあるが。

仏陀と修行僧の集まりであるサンガは、常に掃除を行い、また整理整頓を心得、身体も清潔に保たれたいた。今でも寺院では掃除を大切な修行のひとつとして位置付けているが、こころを清浄にする為には物理的にも清浄なる状態が必要なのだと思われる。

確かに掃除をする前と後では気持ちのあり方がまるで違う。当然掃除をした後の方が気持ちよく清々しい。床の水拭きも毎日するのだが、モップを掛けただけの時とは明らかに空気の質感が異なる。間違いなく掃除の後の方が清浄になっている。その部屋の空気を我々は吸う訳だから清浄な方が良いに決まっているのだ。

お金が入るかどうかはともかく、掃除を丁寧にすることは、こころの為にも身体の為にもやはり大切な実践だと思うのである。
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2013年07月29日

Short and Straight

「静謐の森」

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There's no one here,just this. No owner, no one to be old, to be young, to be good or bad. weak or strong. Just this, that's all; various elements of nature playing themselves out, all empty. No one born and no one to die. Those who speak of death are speaking the language of ignorant children. In the language of the heart, of Dharma, there's no such thing.

"When we carry a burden, it's heavy. When there's no one to carry it, there's not a problem in the world. Do no look for good or bad or for anything at all. Do not be anything. There's nothing more; just this."

「誰もここにいない。所有者はいない。誰も年寄りでも若人でもない。善悪も強弱もない。自然の要素が自分自身を最後まで動かす。すべては空である。誰も生まれない誰も死なない。死を口にする者は子供の言葉の様、こころや真理そのものを表す言葉は存在しないのに。

重い荷物を運ばないこと。運ばなければ問題は存在しない。あらゆるものを探そうとしない。何かをしようとしないこと、それ以上は何も無いのだから。」

我々を動かしているものは自然の中の様々な要素である。その様々な要素が我々を日々動かしているのは確かだ。その要素の何一つ我々は作れない。我々の身体を構成している要素はすべて自然が作り上げたものである。その要素も顕微鏡的拡大を続けていくと、そこに何も実在していない。現象があるだけだ。少なくともまだそれを発見されていない。空なのである。すなわち無我である。空なのに自我があるとはロジックとしてありえないのではないだろうか。

空ならば無我ならば執着に値しない。アーチャン・チャーバンテーのこの短くて真っ直ぐな言葉は実にシンプルだ。真理はシンプルなものだと思うのである。


                                                     A Still Forest Pool

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2013年07月27日

グルメ。

「無音」

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自覚症状はないのだが鉄人はバカ舌の味オンチらしい。そのバカ舌が今日(零時過ぎたので昨日)フードジャーナリストの講演会にかみさんと参加していた。

鉄人は知らなかったが結構有名な人物らしく会場はなかなか盛況であった。参加者の大半は飲食店の経営者や店長、いわゆるそういった業界向けの講演会だった様だ。

そんなところに何でバカ舌の鉄人が・・・?実はその講演会の主催者が普段撮影をいただいているクライアントで、人数合わせの為に呼ばれていたのである。結局は会場はほぼ満員で鉄人の役目はあまり果たせなかったのだが、この講演が意外にも面白かったのだ。

そのフードジャーナリストは数千店の取材の実績があり、グルメ本もかなり出版している。雄弁とは言い難かったが、その分誠実さが感じられ好人物であった。

彼は一年でほぼ全国を回るのだそうだ。狭い様で日本も広い。鉄人が全く知らない様な食べ物もあるし、同じ例えばラーメンでも地方によってその特徴は本当に異なる。その違いを写真を見せながら説明してくれた。

鉄人はバカ舌だが、食べることに無関心な訳ではない。むしろ大好きと言える。戒律上踊り喰いの様な生きたまま食べるということはしないが、蕎以外は出されたものは何でも食べる。ただ味が微妙に分からないだけである。

講演の内容はその好奇心をくすぐらせるものであった。特に興味を引いた食べ物がある。北海道の美唄の焼き鳥である。特別な肉を使っている訳ではないが、一本の串に様々な肉の部位が刺してある。

何故か串先はカシラ、最後は皮と決まっているらしいのだが、その中間にいろんな肉を刺してあるのだ。鉄人みたいな無精者にはこれは便利である。同じものを頼んでおけば済むからだ。これなら家でも出来そうである。

半分は船を漕いでいたかみさんも、その話しで口が焼き鳥になったらしく、近い内に焼き鳥デートをすることにあいなった。

人数合わせで参加した後援会であったが、知らない世界がいろいろあるなあと感じた次第である。
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2013年07月25日

独り。

「白昼夢」

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今日の昼過ぎ友人カップルがスタジオに来た。頼んでいたものを納品に来たのだが、そこは友達だから直ぐには帰さない。友人カップルも今日は時間があった様で、鉄人夫婦の雑談の相手になってくれた。

友人カップルは夫婦ではない。お互いバツイチだが思春期の子供達のこともあり入籍はしていない。だがすこぶる仲が良い。ふたりとも裏表がない掛け値なしの好人物である。

そのふたりとの雑談の中で、子供達の病気の話しになった。お互いの子供達のひとりは病気していて、もうひとりの子供は重い病気になるかもしれない遺伝子を持っているのだそうである。

病気の子を持つ彼女の方は心配のあまり以前より随分細くなっていた。彼女の気持ちを思うといたたまれなくなるのだが、親とはいえ病気を代わってやれないのだ。そう、親がどんなに子供に対して愛情を注いでも、病気そのものを代わってはやれないのである。

それは病気に限らず、すべてに於いて本質的なものは代理ができない。難関大学に入りたければ自分が勉強しなければならないし、プロ野球選手になりたければ自分が練習するしかない。

お腹が空けば自分が食べなければ満腹にはならないし、眠たければ自分が寝らなければそれは解決しない。小さな子供が病気なのは可哀想だとは思うが、親や医者の手を借りながら自分で克服していくしか手が無いことになる。

鉄人自身の身に起きたことは、鉄人自身が解決するしかない。そういう意味に於いては皆「独り」なのである。そして「独り」なのだということを自覚し、精神的に「自立」することが最も大切なことだと仏陀は説かれる。

我々はそれぞれの前のカルマの結果として現在がある。身体が強いものもいれば弱いものもいる。生まれてくる環境もすべて異なる。前世を含めたそれぞれのカルマが今の自分である。とするのが仏教の概念である様だ。

不条理で不平等の様だが現実はそれを推定している。確かにどう見ても不条理で不平等に見えるのだ。その不条理で不平等な状態に反発するのか、それとも受け入れるのか。

仏教はすべてを受け入れる様にと説く。抗えないものには抗わない。すべて受け入れる。それが精神的な「自立」にも繋がるそうである。今日の雑談の中で、人は結局皆「独り」であることを鉄人は再認識していた。




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2013年07月23日

問題の解決法。

「盆帰り」

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小林正観という方がおられた。故人である。肩書きは心理学博士、教育学博士、社会学博士。著書も多くその道ではかなりメジャーな方でもあった。

この方の思想はファンダメンタルな部分に於いては「仏教」である。その仏教のエッセンシャルを、鉄人みたいな凡夫にも現代風な方便を用いて実に分かり易く説明してくれている。

彼の著書の中の一冊に「この世の悩みがゼロになる方法」というものがある。何ともストレートなタイトルであるがとても為になる本である。

その中で「問題の五つの解決方法」というこれまたストレートなタイトルで、人生の問題を解決するのに使える五つのやり方というか考え方を取り上げている。

一つ目 戦うこと。

二つ目 逃げ出すこと。

三つ目 我慢すること。

四つ目 気にしないこと。

五つ目 気にならない。

四つ目の「気にしない」は、”I don't mind." いわゆる「ドンマイ」である。五つ目は "There is no problem."( どこにも問題がない)ということ。

我々は自分の目の前の問題を解決する方法として、ほとんど一〜四つ目までの解決方法を使う。その中でも四つ目の「気にしないこと」は、かなり高度な問題解決方法だと思われるが、自分の目の前の出来事を「問題」であるということは認識していることになる。

それを意識して自分のアウトサイドに持って行くという行為の様な感覚がある。その点五つ目の「気にならない」は、自分の目の前の出来事が「問題」の対象に最初からなっていないことになるのだ。

"There is no problem." 問題など何処にも存在しないのである。まったく最初から問題が発生していない訳で、解決法も何も無い訳である。誰かから何かを言われた。それが本当のことなら間違っていないのだから認める。逆に間違いなら事実ではないのだから気にならない。ということだ。

自分の目の前で起きた現象が問題なのか否かは当人が決めることである。問題と思わなければ問題の解決も必要なし。これが根源的な問題の解決法になると小林正観氏は述べられている。

ではどうすれば問題を問題としない人間になれるか。正観氏の言葉では、常に「寛大」「寛容」「公平」「平等」「誰に対しても同じ笑顔」「同じ優しさ」「同じ慈しみ」で接すること。

やはり人格を作り上げることだと思う。言うは易しであるが、確かにその通りであると思うし、それに少しでも近づきたいと思うのである。
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2013年07月20日

故障。

「波」

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今朝起きたら、息子が乗っていたセレナが故障して近くのコンビニに投げてあるとかみさんが言って来た。息子は夜中中ライブ撮影をして、朝五時頃帰りにコンビニに寄って出ようとしたら車がまったくピクリとも反応しない。修理工場はまだ開いている時間ではなかったので、店の人に許可をもらって車を置いて来たのだそうだ。

修理工場がまだ開いていないとはいえ、何時までも駐車していたらコンビニに迷惑がかかる。取りあえず鉄人が息子と様子を見に行くことにした。

別の車で三分後にコンビニ到着。早速エンジンを掛けてみるがまったく反応なし。というより照明ひとつ点かない。鉄人の車の知識はペーパードライバー並みである。取りあえず説明書を開く。この時点で考えられる故障の原因はバッテリーあがりかヒューズが飛んだかのどちらかだと判断した。さっきまで普通に動いていたからだ。

修理工場に電話しても出ない。仕方がないのでヒューズを調べてみることにした。沢山有るヒューズをひとつずつ外しては切れていないか確認する。何回かそれを繰り返しているときヒューズのひとつを落としてしまった。ごそごそ探したが見つからない。やばい!!

そんなとき、ふと周りを見渡した。そうしたら何と日産の看板が見えるではないか!!それも20〜30メートルしか離れていないところに!!日産の販売店がすぐ近くにあったのだ。

そこでちょっと計算する。修理工場に頼めばまだ保証期間なので無料で治してくれる。しかし場所が遠いので半日は掛かるかもしれない。販売店は近いが有料だし治せないかもしれない。でも長引けばコンビニに迷惑が引き続き掛かる。

鉄人は近くの販売店に頼むことにした。その販売店には有り難いことに修理工場もあったのだ。ひとり整備士が来てくれて車を診てくれた。それで治ったのか?治ったのである。それもすぐに。それもチョー簡単に!!

故障の原因は何だったのか。それはバッテリーの端子のところが緩んでいたというか締め忘れである。当然締めたら治った。あまりの単純さに口あんぐりである。それを分からなかったバカ親子にも口あんぐりである。ヒューズも探してくれた。

修理代2,000円を支払う。コンビニにも迷惑料として商品をいろいろ買った。元はと言えば何時も頼んでいる修理工場が締め忘れていたことが原因である。仕事中だったらパニくっていたかもしれない。2,000円請求したろか。

まあ大事に至らなくて良かった。そしてペーパードライバー並みの車の知識しかない鉄人が、訳も分からず車をいじってはいけないと猛反省したのである。
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2013年07月18日

怒りの末路。

「夏草」

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先日広島でひとりの少女が逮捕された。容疑は殺人である。連日全国ニュースやワイドショーで取り上げられているので、誰もがその成り行きに関心を寄せている。

地元で起きた事件なので、鉄人も気になっているし容疑者や被害者が子供みたいなので、残念だし辛いものがある。殺人に至った理由を詳しくは分からないが、ニュースで取り上げられている内容が事実ならひとつだけ確信的に言えることがある。

それは「怒り」の存在である。LINEに書かれた悪口が発端で激怒し、書いた当人を呼び出し最後は殺人まで犯している。その爆発的なエネルギーが怒りなのだ。

それほど怒りのエネルギーは強く、恐ろしい結果をもたらす。そしてその怒りのエネルギーで起こしてしまった結果で誰が得をしたのだろうか。誰ひとりとして得をしていないではないか。容疑者の明るい未来は想像出来ないし、被害者は既にこの世にはいない。無念の死だったと思う。仲間がいたとされるがその仲間達の将来も暗いものになるだろう。家族も同じである。

事件の関係者は誰ひとり得をしていないことは確かである。これが怒りが招いたいたたまれないほどの悲劇だ。仏陀は「怒り」を認められなかった。「正義の怒り」さえも認められていない。怒りは結局は自らを滅ぼすものだからである。加害者とされる少女もこれが事実なら一時的な怒りで自らの未来を滅ぼしてしまったことになる。

怒りへの対処法はそれほど大切なことだと思うのだ。時間をかけて築いて来た地位や名誉財産、幸福な家庭なども、一時的な怒りで一瞬で失ってしまうこともよくある。その原因になる怒りを取り除いていく為には、自分の怒りに気づきその存在を注意深く観察していく必要があると思う。

怒りには必ず原因がある。そして怒りを増幅させた様々な要因も浮かんでくる。しかしその原因や要因はすべて過去のことである。だから怒りというものは過去のことにクリングしている状態。ということになるのだろうか。

今この瞬間を生き切るというのが仏陀の教えである。怒りを覚えた何かは既に過去のことであり、また無常であるからその状況も変化していくものだ。容疑者の少女がLINEの悪口という過去に引きずられなければ、今回の悲劇はなかったであろう。もう既にない過去やまだ来ていない未来に囚われず、今を生き切ることの大切さ。

怒りでどれだけ自分の人生に於いて損をしているか。我々はよくよく怒りについて学ばねばならないと思うのだ。
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2013年07月15日

ドライブ。

「案山子」

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今日お昼をかみさんと食べてたら、急に何処かに連れてけと言う。ドライブがしたいと言い出したのだ。そう言えばこの三連休仕事が無かったので遊ぶ時間はあったのだが、鉄人は新規事業のことで頭がいっぱいだった。

事務所に一日中閉じこもり今後のことを考えていて、かみさんを何処かに連れて行こうという思いは頭の隅にも正直なかった。ご不満だったのだろう急に直訴された訳である。

鉄人も頭の中が大分煮詰まっていたので、このかみさんからの申し出に快諾した。さて何処に連れて行こうか。今日は三連休の終わり、夕方になれば道は相当混むはずだ。でも目的地が近すぎても満足してもらえないだろう。もうひとつ、かみさんをドライブに連れて行く時のオプションに必ず加えなければいけないことがある。それは野菜を買うことである。

あまり混まずにドライブを楽しめるコース。鉄人は豊平のどんぐり村に行くことにした。五日市の我が家から片道1時間強、どんぐり村は道の駅なので朝方程ではないとしても野菜もある。さらにかみさんの大好物である蕎処でもあるのだ。(鉄人は蕎アレルギーなので、唯一蕎だけ食べれない)

途中工事中で片道通行の場所もあったが概ね快調なドライブであった。山々の木々はその緑色の深さを増し、雲は夏独特の力強さがある。あまり涼しくはなかったが車の窓を全開にして夏のドライブの気分を味わった。

面白かったのは写真の案山子である。実に良く出来ている。遠くから見ていたら親子が楽しそうにしているなあとほのぼのした気持ちになったのだが、この親子がまったく動かない。あれ〜?そして車で近づいてよくよく見たら何と案山子だったのである。

今日一のトピックスはこの案山子との遭遇であった。かみさんはドライブしてズッキーニと山葵と玉子を買い、大好物の蕎も食べれたので終始ご機嫌。渋滞に巻き込まれることもなく無事帰還した。

明日からは仕事モードに戻る。良いリフレッシュに鉄人もなった様だ。
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2013年07月14日

成功者の告白。

「夏の思い出」

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「成功者の告白」著名な経営コンサルタントである神田昌典氏が書いたビジネス書である。今日は撮影がなかったので、ひねもすこの本を読んでいた。

ビジネス書を読むのは久しぶりである。以前は若くて体力もあり意欲もあったので、友人と会社を立ち上げたり新事業に挑戦したりしていたこともあり、ビジネス書は相当読んだ。

しかし事業の方はあらかた失敗、友人達にも迷惑をかけた。自分には商売は向いてない、そう思った鉄人は千冊以上はあったその本達を古本屋に売り飛ばした。

それからは興味が仏教の方に向き、ビジネス書の出番は無くなった。だが今回新事業を立ち上げるにあたり、多少はビジネスをもう一度勉強しようと考えたのである。

神田昌典氏の本は昔から着眼点が面白く割りと読んでいた。しかしそれらはすべて手元にはない。それで一冊購入したのだ。この本はただの成功指南書ではない。ビジネスの光と影を取り上げた希有な内容だと思う。

ほとんどのビジネス書は、ビジネスを成功させる為に書いてある。この本も確かにそうだが、ただのプラス思考のノウハウ本ではない。成功の裏には失うものも多いとダークサイトの部分をオブラートに包まず書いてあるのだ。

ひとつの方程式として、事業が上手くいってる時は家庭に問題が起きる。事業が低調な時は家庭がまとまる。とか。身に覚えがある。鉄人が我が社を立ち上げた頃は猛烈に忙しく、家庭を顧みる時間がなかった。朝から晩いや翌朝までスタジオに缶詰になり撮影をしていた。たまに家に帰っても見るのはこどもの寝顔だけという日々が続いていたのである。

そこでスタジトと自宅が一緒になった建物を建てたのだ。家庭に問題があった訳ではないがこのままではマズいと思ったのは確かだ。今は昔程忙しくはない。当然その分低空飛行ではある。だが家族は協力しあって仲が良い。方程式に当てはめても当たっていることになる。

小説仕立てこの本では、起業した主人公は辛酸を舐めながらも一応最後では成功する。しかし現実はそこで終わらない。紆余曲折はその主人公が死ぬまで続く。そして何時かはその会社も消えて行く。それが現実であり無常なのだ。

ビジネスは成功しても失敗してもどっちみち苦しみである。鉄人が今進めている事業も同じである。どっちみち苦しいということを覚悟しなければならない。この本はそれも大切なこととして教えている様だ。

ビートルズは欲しいだけの金を儲け、好きなだけの名声を得て、何も無いことを知った。  

                             ジョン・レノン

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2013年07月11日

ご褒美。

「入道雲」

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カメラマンの仕事をしていると、たまにご褒美を貰えることがある。撮影後撮影した料理をいただいたり、土産物を撮影したらそれをいただいたりする。以前萩焼の窯元の特集で萩を訪れた時には、それぞれの窯元から見事な作品をいただいて恐縮したこともある。今鉄人が愛用している珈琲カップはその時のものだ。本当にデザインも使い勝手も良く実に重宝している。定価は10000円はするとうかがった。

昨日鉄人はロケに出かけていたのだが、昨日も素晴らしいご褒美をいただいたのだ。それは「景色」である。昨日の撮影は江田島であった。サマースポーツのイメージカットを撮った。

暑かったが快晴に恵まれ撮影は順調そのものであったが、その場所の景色が見事なものだったのだ。江田島の沖美町にある沖の島という場所が今回のロケ地だったが、海が大変にきれいに澄んでいて、爽やかな風が海を渡り水面に美しいさざ波模様をを描いていた。

白砂青松の浜辺、遠くの島影も美しく絵になる場所なのだ。そこにいたのは我々スタッフと釣りに来ていた一組のカップルだけ。何とも贅沢ではないか。ところがその写真がない。

何故ならその撮影のカメラマンは息子で、鉄人はカメラマン助手として使い回されていて写真を撮る余裕など全然なかったからである。レフ板を持たされたり、水を取りに行かされたり、さらにお抱えの運転手までやらされた。それでも美しい自然の中での撮影は実に気分が良い。半身海に浸かりながらの撮影は自然と一体になった様で半分レジャー感覚である。こんなに条件が良くて楽しめた撮影はなかなかない。大抵のロケは、悪条件の中どれだけ我慢しながらよりベターな写真が撮れるかが勝負なのだ。

お金でもものでもないご褒美だったが、鉄人のこころは喜んでいた。これもりっぱなご褒美なのである。

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2013年07月09日

新事業。

「フライヤー」

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息子が新しい事業を始めた。時間制のレンタルカメラマンをやろうといのだ。うちの会社を辞める訳ではないが、ボーナス分を自分の商売で稼ぐ様にハッパをかけていたのだ。

新事業の内容を簡単に説明すれば、何を撮りたいかはお客さんに決めてもらって、時間制で何でも撮影します。ということ。さらに撮影データはその場でお客さんに渡し、著作権などをすべて放棄するので、撮った写真の使い方はお客さんの自由だということ。時間制なので料金が明解であること。などである。東京辺りではこのやり方がかなり流行っているらしい。

カメラマンというのは元々独立心は強いはずである。センスや個性は親子でも違う。撮影のジャンルが異なれば鉄人でも教えられないものもある。完全な独立でも良いのだろうが、それじゃスタジオや機材が勿体ないし、いずれは今ある仕事も息子に譲る訳だから半分は会社に居た方がメリットもある。

そこで今の環境を生かしながらもどうすれば独立心を養い、経営者としての勉強も始められるかを考えた末、新しい事業を立ち上げさせたのである。

息子は元々職人肌の人間だが、これからの社会はそれだけでは生きて行けない。カメラマンも商売をしている訳だから撮影のスキル以外の商売人としてのスキルも必要だと思うのだ。それはサラリーマンという立場では育たない。商人の気持ちは商売を自分でしてみないと本当のところは分からないはずだ。

だから仕事の中身も自分で考えさせた。名刺や宣伝用のフライヤーもデザイナー選びから印刷の発注まですべてやらせ、営業も当然させている。営業は鉄人も手伝う。売り上げの何割かを貰おうという魂胆があるからだ。

まだまだ始めたばかりなので実績は上がっていないが、諦めなければいずれ必ず成果は出てくる。今日はふたりで知り合いの経営コンサルタントのところへ出かけ、経営のイロハを学んだ。鉄人も大いに参考になった。

実は息子以上に新しい事業の展開にこころを弾ませている鉄人なのである。




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2013年07月07日

七夕。

「落語家」

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今日はお題がふたつある。ひとつは七夕の今日は次男の誕生日である。例の焼き肉屋「牛丸」で、家族のみのささやかな誕生会を催した。長男は友達との焼き肉パーティがあるということで不参加。三人だけのただの外食なのだが、それができる有り難さを噛み締めていた。

もうひとつは、鉄人の家の隣には地域の集会所がある。その集会所で今日のお昼「七夕寄席」という演芸会が催された。主催は地元の八幡本通り商店街。この商店街は八幡地区の旧街道に沿って並んでいる商店が名を連ねているが、なかなか風情がある商店街である。その商店街が活性化の為初めて企画した演芸会である。

客席は50席程。ほぼすべて埋まった。お客の平均年齢は70前後か、鉄人夫婦は相当若い方になる。出演者は落語家とギター漫談家。落語家はセミプロ、漫談家はプロ。漫談家というより歌手。作詞作曲も手がけているのでシンガーソングライターである。だが歌と歌の間の話しがヘタな漫談家より上手い。あのさだまさしを彷彿させる。それもそのはず大学時代はさだまさし研究会の会長で、あの嘉門達夫の付き人でもあったそうだ。また歌そのものもべらぼうに上手かった。

実はこの歌手と鉄人は知り合いである。縁は薄いが顔ぐらいはお互い知っている。まさか自分の家の隣に公演に来るとは思わなかった。インテリで人格的にも申し分無いのでこれを機会に深い付き合いが出来ればと思う。

大雨が降ったり青空が見えたりと天候の変化の激しい一日でもあった。いろいろあった今年の七夕は鉄人にとって印象深い一日になった様だ。
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2013年07月03日

The Wrong Road

「プノンペンの夜」

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A wandering ascetic, having heard of the Buddha, traveled everywhere looking for him. One night he came to stay in a house where the Buddha was also staying but, not knowing the Buddha's physical appearance, he was unaware of his presence. The next morning he arose and continued on his way, still searching for the Buddha. To search for peace and enlightenment without correct understanding is like this.

Duo to a lack of understanding of the truth of suffering and its elimination, all the subsequent factors on the path will be wrongーwrong intentions, wrong speech, wrong actions, and wrong practice of concentration and tranquillity. Your likes and dislikes are not a trustworthy guide in this matter either, although foolish people may take them for their ultimate reference. Alas, it is like traveling to a certain townーyou unknowingly start out on the wrong road, and since it is a convenient one, you travel it in comfort. But it will not take you where you want to go.

仏陀を探し回っていた行者が、ある夜、仏陀が滞在されていた家に泊まることになる。ところが行者は仏陀の外見を知らない。翌朝、彼はまた仏陀を探しに旅に出る。

正しい理解なしに平安と覚りを探すということはこの様なことだとアーチャン・チャーバンテーは説かれる。ものごとを正しく理解していないとその後の行為や努力は間違ったものになるということだ。それは好き嫌いで決めることではない。好きなことでも間違いはある。否、間違いだらけかもしれないと思う。

間違っているから苦しみも大きいのではないか。一見楽しそうなことでもそれが貪欲や執着に繋がり苦しみ続ける。だから正しい理解が必要だと思うのだ。そこが間違っていれば、傾いた土台に家を建てる様なもので、その家が大きい程危険が増す。苦しみに対しての正しい理解はそれほど大切なことだと鉄人も思う。


                                                    〜A Still Forest Pool〜
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2013年07月02日

写真集。

「好奇心」

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写真集を出してみようかなと思っている。広告写真はその時期その時の仕事なので、後でゆっくり作品として見直すということはあまりない。過去のものになっているので写真そのものに価値が無くなるのである。

多くの仕事はそうなのかもしれないが、必要な時が過ぎてしまえば振り返ることは少ない様だ。鉄人もカメラマンである。作品として残してみようかなと考えた。誰に見せるという訳でもないが、自分の人生の軌跡として写真集を出してみるのも有りかなと。

実は鉄人一度だけ写真展を開いたことがある。あるお寺の全面的バックアップで開いたものであるが、カンボジアをテーマとしたものだった。気力体力とも充実していた頃でもありなかなかお気に入りの写真も多い。ブログにもよく載せている。

まずはそのカンボジアの写真集を作ってみようかと思う。多分広告写真以外で今後あれだけの仕事をするのは困難である。今日のブログで載せている写真もカンボジアで撮影したものだ。実は鉄人この写真を撮った記憶がない。でも今見てみると悪くない写真だと思う。その時はそれだけ夢中で、まるで呼吸でもするかのような感覚で写真を無心に撮りまくっていたことに、今になって気づかされた。

三昧の境地である。そんな三昧の境地でもう一度写真を撮ってみたいものだ。
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