2013年06月30日

ドライブ。

「出港」

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朝7時頃母から電話があった。日曜の朝早く何事か?かみさんが電話に出たが、話しがあるのでそっちに今から行きたいと言っているらしい。

母は同じ広島市内に住んでいるが電車などを乗り継ぐと1時間以上かかる。母は高齢で足もやや弱って来ている。急に何の話しだろうと思いこちらから実家に行くと返事した。

実はこれは母の手なのである。鉄人の方が実家に行くと見越して言っているのだ。先に実家に来いと言えば、鉄人何か言い訳を作って多分動かない。そこで自分の方から行くと言えば、仕方がないので鉄人が動くと分かっているのだ。

今日は日曜だしかみさんも家にいたので三人で何処かドライブに行くことにした。実はこれが母の本当の目的なのである。日頃から足が悪い割にはアクティブな母だが車が運転できないのでドライブは無理である。

そこで何処かドライブに行きたくなったら鉄人か鉄人の妹がかり出される。妹は運転が下手なので近場しか行かない。もう少し遠く山や海まで行きたくなったら鉄人の出番になるのである。

ドライブと簡単には言えない。相手は年寄りだ無理は出来ない。片道1時間くらい。山が見れて海が見れる。美味しいものが食べられる。ちょっとお土産も買いたい。それらの条件に合うドライブコースを探さなければならないのだ。

沈思黙考の後コースが決定。実家は南区にある。そこから熊野を経由し黒瀬を抜け安浦のグリーンピアまで行くことにした。山が見れて海が見れる。所要時間も小一時間。グリーンピアは少々寂れてはいるがロケーションは抜群である。実は料理も手頃な値段でなかなか美味しいのだ。

施設内は日曜なのに閑散としていた。明日からは大衆演劇団が来るので賑やかになるらしい。お昼を食べてちょこちょことお土産を買って帰路についた。

途中母を実家に降ろしたのだが「話しがある」という話しは一切なし。「だろうね」帰りの車の中でかみさんと顔を見合わせて笑った。

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2013年06月28日

金曜大工。

「作品」

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今日は撮影が少なく画像処理の仕事も無かったので、日曜大工ならぬ金曜大工をやった。死蔵していたCDをもう一度甦らせる為に、便利な場所にCD用の棚を作ろうと思い立ったのだ。

最初は棚を購入しようかとも考えたのだが、金が勿体ないしかみさんから予算をもらえそうにもない。また既製品には自分が思う様なものがなかなか見つからないので、自分で作ることにした。

鉄人は不器用である。こどもの頃、絵は周りのガキよりは上手かったが、工作は好きな割には下手だった。何を作らせても必ず何処かを失敗する。落ち着きのなさは天下一品だったので工作には向いてなかったのであろう。

完成品は既に頭の中にある。後は実行するだけである。まず撮影で使っていた焼き杉の板を使うことにした。和風なのでスタジオのイメージに合うかなとも思ったが代替えがない。

例の如く図面はなし。いらちなのでそく制作である。細かいことはしない。否、出来ない。ノコギリで板を適当に切って、それを釘で打ち付けるだけである。プロとアマの差は細部の始末に必ず出てくる。だから細部を見なければ良いだけだ。

負荷にさえ耐えられれば棚として完全に機能する。デザインも自分で考えたのだから不満はあっても言いに行く相手がいない。諦められる。

材料はスタジオの中にあるものを使ったのでタダであった。焼き杉も意外に良い味を出している。CDの重さにも今のところ耐えている。適当に飾りを置いたらなかなかいけるではないか。息子も「良いじゃん」と言ってくれた。勿論彼は細部を見ていない。

写真はその棚である。いかがであろうか? アイフォンで撮ったので微笑ましくなる様な細部をお見せできないのが残念である。
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2013年06月27日

揺れるこころ。

「雲、湧き立つ」

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「風動幡動」という話しがある。お寺の境内に掲げられていた旗が風に揺れていた。ある僧がそれを見て、「幡が動いている」と言った。すると別の僧が、「あれは風が動いているのだ」と反論して議論になったという。

その様子を側で聞いていた六祖慧能禅師が、「それは幡が動いているのでもなく、風が動いているのでもない。あなたのこころが動いているのだ」と答えたそうである。

鉄人はこの逸話が好きで、何かでこころが揺れた時、動揺した時にこの話しを思い出す様にしている。目の前で起こった現象もその捉え方は人それぞれ違う。鉄人は何かあるとよく慌てふためくが、同じ様なことに出くわしても何も感じない人間もいるだろう。その違いは目の前の現象に原因があるのではなく、その人のこころの動きにあるということが分かる。

だから鉄人のこころの揺れも、その原因を相手の中に探している間は多分見つからない。動揺しているのは自分のこころだ。自分の中にしかその答えはないはずなのである。

不満が出て来たら、怒りが湧いて来たらその原因を自分のこころの中に探すのだ。何が不満なのか、何故怒ったのか、原因が見つかればその対処法も自ずと生まれてくる。相手を変えられるのか。自分を変える方が容易いはずだ。

身近な人間でさえ自分の思い通りには全然動いてくれないではないか。相手は自分ではないのだから当たり前といえば当たり前なのだ。相手もきっと同じ様に思っているに違いない。

揺れているのは相手の行動ではなく自分のこころなのだ。それに気づけばその揺れを止めることができる。・・・はずである。
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2013年06月26日

ドナルドダック。

「夜間飛行」

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今我が家には三匹のドナルドダックがいる。鉄人ダック、かみさんダック、そして長男ダックである。梅雨のせいか皆喉をやられたのだ。

「おはようグェ〜」「いただきますグェ」「おやすみグェグェ」どうにも締まらない。あの外にまで笑い声が響くと言われる元気が取り柄のかみさんも、今は比較的静かだ。

熱はない。なので仕事には影響は少ない。ただドナルドダックなのだ。原因は梅雨時の湿気で増えたカビの類いかはたまたダニか。しかし三人同時というのは初めてではある。

その中で全く影響がない人間がひとりいる。次男である。彼は中学、高校、専門、そして会社とすべて皆勤で通して来た。特段取り柄がなさそうな男であるが、この点だけは感心する。それほど難しいと思うからだ。三バカダックとは違い、日頃から健康には随分気を付けている様だ。

ともあれ治るまでにはもう少し掛かりそうでグェ〜。

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2013年06月23日

講演会。

「講演」

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昨夜、ある講演会に出かけていた。講演会名は「アイカ サウンドセラピー講演会」サウンドによる癒しをされているセラピストの講演会であった。

実は鉄人、仏教を学んでいる割には、どちらかと言えば「癒し」とか「スピリチュアル」という分野が苦手である。何か何処かに胡散臭さが感じられるのだ。

だから今までそういう類いの講演会には参加しなかったのだが、今回の講演会を開いた主催者の女性が鉄人の友人のピアニストで、「客が集まらないかもしれないのでぜひ」ということで、内心仕方なしという気分でかみさんとふたりで参加したのである。もち有料。

セラピストは中年の女性で美人である。専門はオペラ歌手。自身の過去の様々な辛い体験から、言霊や音霊の大切さに気づきそれをサウンドという手法で全国の人々に長年伝えているそうである。

会場は「客が集まらないかもしれない」と言っていた友人の予想に反して?満員。そしてその内容も、鉄人が予想していたものより遥かに良かったのだ。

そのひとつは、セラピストの話しの内容に仏教の影響が色濃く反映していたことにある。彼女は仏教に特にこだわりを見せていた訳ではないみたいだったが結果的には仏教の真理を語っていた。

彼女が尊敬している女性として紹介していたのが、マザー・テレサでありオードリィ・ヘップバーンであった。ふたりとも仏教徒ではない。しかしその慈善活動は広く知られていることであり、鉄人も最も尊敬する女性のふたりなのである。それは仏教徒とか関係なく仏教が一番大切なものだと説く「慈しみ」を深く持つ女性達だからだ。

講演の中でセラピストが紹介していたマザー・テレサの言葉、「貴方のできる方法で、愛を表現しなさい」。至言である。

講演の間々に歌も披露された。さすがオペラ歌手、基礎が違う。鉄人友人から撮影を許されていたのでその表情をカメラで追う。やはり本物は絵になる。良い写真が撮れた。

講演会が済んだ後、スタッフ全員の記念写真を撮らされる(タダで)というおまけが付いたが、知らない世界を覗いてみるのも悪くないなあと感じた夜であった。
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2013年06月17日

父の日。

「プレゼント」

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昨日は父の日であった。実は鉄人、一昨日思いがけず父の日のプレゼントを家族からもらったのだ。まあ美談?ではあるが、そこは鉄人、やっぱりヘマをやらかしたのである。

一昨日の昼間、かみさんと次男がデパートに行くと突然言い出した。見送った後、「何しにデパートに行くんだろう?」不思議がる鉄人。ちょっと勘がいいヤツなら分かりそうなものであるが鉄人全く気づいてない。

やがてデパートから戻って来たかみさんが「パパス」の手提げ袋を渡してくれた。そこでやっと明日が「父の日」だったこと思い出す。慣れない仕草で包装紙を開く鉄人。

そしてそこにあったのは黒のポロシャツであった。それを観て唖然とする鉄人、その黒のポロシャツは昨年の今頃、かみさんが鉄人にプレゼントしてくれたものと同じだったのである!!

「去年のと同じじゃないか!!」

こんなことってある?

「よく見なさいよ」とかみさん。

鉄人もう一度そのシャツを観る。

「・・・あっ、半袖・・・。」

去年プレゼントされたのは長袖であった。去年もらったその長袖のシャツをいたく気に入っていた鉄人だったが、夏場はさすがに暑かった。それを覚えていて今年半袖のものをくれた様だ。

そしてかみさん重ねて一言。

「今日のはバーゲンじゃないからね」

昨日スーパーで開かれた写真教室の講師をやったのだが、半袖の黒いポロシャツを鉄人が着ていたことは言うまでもない。
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2013年06月13日

雀の訪問。

「花のステージ」

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昼間家のベランダにいたら、雀が一羽飛んで来て鉄人の目の前の手すりの上にちょこんと止まった。距離は50センチほどしかない。雀は野生の鳥だから当然警戒心が強い。その警戒心が強いはずの雀が、あっちからやって来て鉄人の目の前で止まったのだ。

雀と目が合う。全然逃げる様子がない。少し身体が小さいのでまだ小雀かもしれない。逃げるそぶりがないので、鉄人来客に挨拶することにした。

「いらっしゃいませ。」

「どうして我が家に来たのですか?」

「今日は暑いですねえ。」

小雀はたまに小首をかしげながら聞いている。

その時、かみさんがベランダに現れた。

「小雀が来て逃げもしないで手すりに止まっているよ。かわいいねえ。」

するとかみさん、すっ飛んで来て雀を追い払ってしまったのだ。

「何するんだよぉ〜、せっかく雀と遊んでたのにぃ〜。」

文句を言う鉄人にかみさん手すりを指差した。そこは先程手すりに干したばかりの夏布団の上だったのである。

「無粋なヤツめ・・・。」
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2013年06月12日

誕生日会。

「家路」

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今日はかみさんの誕生日であった。人生の半分を、ちょうど連れ添ったことになる。特にイベントは予定していなかったが、急遽近くの焼肉屋で誕生会を開くことにした。

かみさんは肉食系女子で焼肉やステーキが大好き。魚系が好きな鉄人は出来れば小料理屋みたいなところが良かったが、今日の主役はかみさんである、当然、従う。

まあその焼肉屋は鉄人家族が儲けさせている様なものである。数年前、その焼肉屋が開店した当初、たまたま店の前を通りかかった鉄人夫婦は、好奇心から何となく入店した。店の中は薄暗く客が誰ひとりいない。適当そうな親父がぽつねんと突っ立っていた。

「店の選択を間違えたか。」内心舌打ちしたが、もう店の中に入っている。仕方がないのでかみさんと一番安い焼肉ランチを頼むことにした。値段は驚くほど安かった。出て来た焼肉ランチを期待もせずに食べたのだがこれがびっくりする程美味い!!

それは信じられない程であった。良い仕入れが出来なかった時はそれを正直に言い、暇な時はネタバレする手品を客に見せているこの風変わりな店主が何故か気に入り、それから家族で足繁く通いだした。

そのうち近所に店のことを触れ回ったり友達に紹介して、その店を鉄人が大繁盛させたのである。なんて冗談はともかく、今では我が家は皆その店の大ファンである。店の名は「牛丸」と言う。

飲み会ではないので、約1時間足らずで誕生日会は終了。次男は店のお肉を分けてもらってそそくさと彼女の家に飛んで行った。残りの3名も何事もなかった様に何時ものペースに戻る。

プレゼントも企画も何もなし「おめでとう!!」の乾杯だけ。考えてみれば晩飯をただ焼肉店で食べただけに過ぎない。まあそれはそれで良いのだろう。



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2013年06月09日

新築祝い。

「怪奇現象?」

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昨日友人夫婦の家に、新築披露の為招かれた。新築なのだが新築でない?建ててから既に丸一年経っていたからだ。

その夫婦は、旦那が広告関係のデザイナー、奥さんは専業主婦兼画家である。困ったのは手みやげだ。新築と言えど一年も経っているのと、センスを売りにしているデザイナーと画家の夫婦の家に何を持って行けば良いのか。

鮭をくわえたヒグマの置物が良いか。羽根を広げた鷲の置物が良いだろうか。それとも大きなコケシ・・・。悩んでいる鉄人を横目に、うちのかみさんが選んだのは手作りの「杏仁豆腐」であった。

何が良いのか分からないので取りあえず手作りの食べ物で・・・、というのがかみさんの考えであった様だ。家は白い外観でやはりなかなかしゃれている。広い土地ではないが、駅にも商店街にも近く周りの環境は抜群である。

家の中を案内される。一年も経っているとやはり新築感は薄れている。だが家主の人間性が家の中にも現れて来ていて、それはそれで良いものであった。特に奥さんの油絵の作品群は圧巻で、画家ドロップアウト組の鉄人にとって、その光景は憧れにも近いものがあった。

その後居間でみんなでシャンパンで乾杯。祝いの膳は、近くの焼き鳥屋と相成り、最後はつけ麺屋で締めた。

友人夫婦は鉄人夫婦と完全に同年代、やはりもう物は欲しくないらしい。そこで旦那が趣味でやっているブルースハーモニカのライブ風景の写真を撮るのを新築祝いにすることに決めた。旦那も快諾。旦那の熱狂的一ファンでもある奥さんも喜んでくれた。

我々の年齢で家を建てるのは支払いも大変だろうが、それはこちらの知ったことではない。彼らの嬉しそうな顔を見ていると、やはり素直にこちらも嬉しかったのである。
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2013年06月05日

ゴキちゃんとブリちゃん。

「地蔵尊」 〜小豆島八十八カ所第四十四番札所 蓮華寺〜

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ゴキブリの季節がやってきた。鉄人の家にも当たり前の様にこの季節になるとゴキブリが何処からともなく登場する。そして食べ物がないはずのスタジオにも現れる。

スタジオに現れるゴキブリは、不思議なことに毎年2匹である。ゴキブリの成虫の寿命は半年だと聞いたことがあるので、それが本当なら毎年違うゴキブリのはずである。だが鉄人の前に現れるゴキブリは毎年2匹なのだ。そんな2匹に鉄人あだ名を付けている。「ゴキちゃん」と「ブリちゃん」。そのゴキちゃんとブリちゃんが今年も現れた。

鉄人の場合、「五戒」(五つの戒め)の中のひとつである「不殺生戒」を守っているので、自分の意志で生き物を殺すことはない。勿論ゴキブリも殺さない。というか殺せなくなっている。

「五戒」の中で一番仏陀が重要視されたのが、この「不殺生戒」なのである。すべての生命は平等であるので、殺生は許せる行為ではない。と仏陀は説かれている。

動物は本能的に自分の生命の危険を感じたら逃げる(植物に関しては、仏教では別の考え方である)。当然動物の仲間である人間の鉄人も、身の危険を感じたら逃げたり抵抗したりする。

その逃げる生命を追いかけ殺すのは、自分自身がそれをされても何も文句は言えない。という理屈になる。そこには、他の生命を憐れむ慈悲の心が生まれない。人間も生きる為に殺生を繰り返す他の動物と何も変わらない。どころか、生きる為に必要な数量以上に殺生を繰り返しているのが我々人間である。

現実論としては、全く殺生をせず生活して行くのは不可能である。しかし必要以上に殺生しているのが我々人間ではないだろうか。殺生には大きな問題がもうひとつある。それは殺生を「怒り」のこころで行う場合があるからだ。

ゴキブリ、気持ち悪い。蚊に刺された。痒いから腹が立つ。蛇が嫌いだ。そんな自分勝手な怒りで殺生をする。怒りが殺生のエネルギーなのである。これは自分にとっても甚だマズい心理状態である。怒りの感情で行うことは結局自らを滅ぼす行為だからであると、仏陀は警告される。

猟師は魚を獲る。これも殺生ではある。しかし生活の為に魚を獲っている猟師には「怒り」の感情はない。またその魚がいる豊かな海に感謝し、今まで獲ってきた魚に対して供養をする。生活の為だからといっても殺生が善行為にはならないが、そこに違いがあるというのが仏教の見方である様だ。

今はゴキブリに対して嫌悪感は生まれない。それを察してかどうかゴキちゃんもブリちゃんも鉄人からあまり逃げない。昔からゴキブリは鉄人の周りにいた。ゴキブリを見つけたものならカーペットをひっぺがしても殺虫剤を噴射していた。

ゴキブリはゴキブリである。今も昔もその姿や生態は何も変わっていない。何が変わったのか。鉄人のこころが変わったのである。
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2013年06月04日

バカ舌。

「御神木」 〜小豆島 小豆島八十八カ所第四十四番札所 蓮華寺〜

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鉄人にも当然沢山の弱点がある。そのひとつが「バカ舌」である。自覚症状はないのだが、家人に言わせると味が分からない「バカ舌」らしいのだ。

昨夜もその「バカ舌」を露呈してしまった。昨夜は、かみさんがママさんバレーに出かけていて夕食を一緒に食べなかった。仕事から帰るとテーブルの上にメモが置いてあり、「シチュウーを作ったので食べてください。」と書いてあった。

鉄人、早速厨房でシチューの入った鍋を温める。見るとシチューの色が白くない。赤みがある。ビーフシチューかな?温まったので皿に注ぎ食べてみた。

違っていた、「パンプキンシチュー」だったのである。なかなか美味い。そのうちかみさんがバレーから戻って来たので、「今日のパンプキンシチューは美味しかったね。」と褒めた。

違っていたのである。それは「トマトシチュー」であったのだ。パンプキンなど1ミリも入っていないまんまトマトシチュー。まずパンプキンシチューなどというものがあるかどうかも分からないが・・・。

先日もやった。かみさんとケーキ屋の「イマージュ」でバームクーヘンを初めて購入、帰宅してふたりで食べてみた。蜂蜜が濃厚で美味い。「ここのバームクーヘンは蜂蜜入りで美味いねえ〜。」かみさんが箱の裏に明記してある原材料名を読んでいる。

「蜂蜜なんて何処にも書いてないわよ。」

「・・・・・。」
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2013年06月01日

Just That Much

「畦に咲く。2」

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Just That Much

When you take a good look at it, this world of ours is just that much; it exists just as it is. Ruled by birth, aging, sickness, and death, it is only that much. Great or little is only that much. The wheel of life and death is only that much. Then why are we still attached, caught up, not removed? Playing around with the objects of life gives us some enjoyment is also just that much.

whatever is pleasurable, delicious, exciting, good, is just that much; it has tis limit, it is not as if it is anything outstanding. The Buddha taught that everything is just that much, of equal value. We should contemplate this point. Just look at the Western monks who have come here the practice. They have experienced much pleasure and comfort in their lives, but it was only that much; trying to make more of it just drove them crazy. They became world travelers, let everything go-it was still only that much. Then they came here to the forest to learn to give it all up, all attachments, all suffering.

この世で起こることは、「それだけ」のことである。楽しいことも、グルメも、刺激的なことも、儲けも「ただそれだけ」のことであると。それは限度があるもの。何か特別なことではない。同じ価値でしかない「ただそれだけ」のこと。世界中を旅して楽しいことを探しまわっても、「ただそれだけ」だと仏陀は説かれた。

アーチャン・チャー・バンテーの森の寺院に修行に訪れる西洋人達は、それらの喜びや楽しさを数多く経験してきた人達であった。そしてその経験は、「ただそれだけ」のことでしかないということに気が付いたのである。

何の為に森へ・・?それはそれらがまた執着や苦しみを自分にもたらすものであることにも気づき、それらをすべて手放すためにやって来たのだ。
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