2013年05月28日

マインドマップ。

「やまぼうし」

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今日、アマゾンから本が届いた。タイトルは「勉強が楽しくなるノート術」。小中学生向けの本らしい。著者はトニー・ブザンという人物である。

先日、慈しみ寺での勉強会の時、あることの助言をメンバーのひとりに頼んだ。あることとは、鉄人、半月後に写真教室の講師をやる。どうやれば上手くいくのか。を、尋ねたのだ。

写真教室の講師は今までも経験あるが、どうもイマイチ反応が良くない。と、自分では感じている。何か違うのだ。その何かが分からないので訊いてみたのである。

助言者はメンバー1の頭脳。と、鉄人は思っている人物で、何か日本で一番難しいらしい大学の医学部を出ているらしい。らしいというのは本人は何も言わないから。現在は当然医者である。

彼は患者を定期的に集めては病気に関する講演をしているという。これは本人から聞いた。そこでどうやれば中身のある講義ができるのか。そのコツを訊いた訳だ。

その頭脳明晰な彼が教えてくれたのが、「マインドマップ」を作るというやり方である。心の中にある思いをマップに描くことで、思考の広がりを俯瞰的に見るのである。人の思考は直線的ではなく、波紋の様に広がっていくものらしい。

で、藁をも縋る思いの鉄人は早速アマゾンに注文。それが今日届いた。マインドマップの本は数多くあるみたいだが、鉄人はその中で最も分かり易そうなものを選んだ。その本が小中学生向けに書かれた、「勉強が楽しくなるノート術」である。

こども向けでも大人向けでもその本質は何ら変わらない。仏陀がこどもでも分かる様な平易な言葉で、真理を衆生に説かれた様に、できるだけ分かり易い方が良いと考えたのだ。少なくても単語の意味さえ分からないという様なストレスはない。

後は、本に書かれてある内容を実際にやってみることである。経験こそが実になるのだ。本を途中で放り投げ早速実践。でも即頓挫。やっぱりとりあえず最後まで本は読まなければいかん。そんな悪いクセをマインドマップで解決できたら有り難い。

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2013年05月26日

ダンマサークル。

「ダンマサークル」

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今日は月一のダンマサークルの日であった。「慈しみ寺」で朝から開かれていたが、鉄人は午後から参加した。今日はデニヤーイェ・バンテーはご不在。ウェーサーカ祭の関係でスリランカに帰国されていた。

そこで、写真の様にネットを使っての勉強会になった。多少画像は不鮮明で、たまにお声が聞き取りにくい時もあったが、まるで目の前に現実にバンテーがおられて実際に教えられている感覚に陥った。便利な世の中である。

今日の勉強の内容は、何故仏陀を敬うのかということであった。ウェーサーカ祭は、仏陀の誕生を祝うお祭りで、スリランカでは特に大切なお祭りのひとつとされている。

その様に国を挙げて仏陀をお祝いする価値が何故あるのかを学んだ。それは、仏陀は世界中のすべての人々の先生だからという意味だからだそうだ。

仏陀は、我々に真理を教えられる。真理とは、時代を超え、人種を越え、性別年齢を超えすべての人々(すべての生命)、に当てはまるものなのである。

その真理を説かれる仏陀がすべての人々にとって先生であるというのは間違いがない。というのが仏教の考え方なのである。仏陀が知り理解し実践したことを我々が知り理解し実践する。そこに確かな尊敬が生まれるのである。

我々がこの時代に人間として生まれてきた意味は何なのか。その答えを仏陀はお持ちであるからだ。

1、ものごとをありのままに理解する。
2、貪欲、怒り、無知で生きることをコントロールする。
3、人間として最高の善行をする。
4、すべての煩悩を吹き消す。

この四つのことを仏陀は知り理解し実践された。我々に自らの行動により見本を示されたのだ。同じことをすれば、すべての人が到達できると、我々の生きる目的を明確に教えられたのである。

我々人間が、本当の生きる目的に気づき、見本に沿う生き方をすることにより、いずれはその目的に到達する時が必ず来ることを仏陀は45年の長きに渡り教化され続けられたのである。そこに皆が尊敬にすることに値する仏陀の価値があると、デニヤーイェ・バンテーは遥かスリランカのケラニヤ寺院より、我々ダンマサークルのメンバーに説かれたのである。

仏陀は、自らの教えを実践することに最も重きを置かれる。実践する者こそが、本当の仏弟子なのである。
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2013年05月24日

竹内まりあとテレサテン、ときどきバッハ。

「畦に咲く。」

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何とか体調も戻った様だ。ひと月かかった。心配していただいた方々にはこころから感謝致します。

先日、バンテーにこころが落ち着く音楽も精神的な病には効果があると御聞きしていたので、どんなものがあるのか調べてみた。

鉄人のスタジオには、レコードとCDの棚がある。以前はそれなりに購入していた。個人的な趣味もあるが、スタジオに来た人達に喜んでもらえる様に、様々なジャンルのものも手に入れていた。

その中に、こころが落ち着くものがあるだろうかと、最近ゴソゴソ探していたのだ。素晴らしい音楽は沢山有るが、あまりに感動するものでは逆にこころは落ち着かないかもしれない。いろいろ探したあげく、今気に入っているのがみっつある。

ひとつは「竹内まりあ」。ふたつ目は、「テレサテン」。そして「バッハ」である。「竹内まりあ」は、鉄人以前からお気に入りで、普段聴く回数は一番多いかもしれない。肩に力が入っていない感じが好きで、音楽的センスも好み。歌詞も分かり易い。

「テレサテン」は、彼女の歌が「演歌」というカテゴリーに入るのなら、生まれて初めて「演歌」のCDを買ったことになる。彼女の絹の様な哀愁を帯びた声が好きである。特に中国語の歌は秀逸。

そして「バッハ」。こころが落ち着くという意味では、鉄人にとって「バッハ」に代わる音楽はない。詳しい訳ではないがバッハならハズレはない。美しい旋律が繰り返される。その打ち寄せる波の様に繰り返される旋律を聴いているうちにいつの間にかこころが落ち着いてくるのだ。

「竹内まりあ」と「テレサテン」、ときどき「バッハ」。の組み合わせが、鉄人が落ち着ける音楽の今はベストチョイスになっている。



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2013年05月21日

生きる見本。

「雨上がる。」

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鉄人には、自分が生きて行く為の見本になる方がおられる。「慈しみ寺」のデニヤーイェ・バンテーである。鉄人より年齢は大分お若いのだが、鉄人の生きる見本なのだ。

バンテーであるから、仏教に対する知識の深さは当然ながら、その類い希な人格の高さに心底尊敬申し上げている。その人格とは、

◎決して感情的にならない。
◎決して怒らない。
◎常に冷静である。
◎人を批判しない。
◎人を差別しない。
◎質素である。
◎穏やかなユーモアに満ちている。
◎決して威張らない。
◎難しい言葉を使われない。
◎慎重に注意深く話される。
◎勉強熱心。

鉄人には無いものばかりである。デニヤーイェ・バンテーは、いずれは「慈しみ寺」の本山であるスリランカ第三の大寺院「ケラニヤ寺院」のトップになられる予定の方である。別に異国である日本の小さな寺におられる必要はない。だが現在その古い借家のお寺に居ていただいている。勿論給料などもない。メンバーからのわずかなお布施だけで、暮らしていただいているのだ。その様なことを実際に実践される人間が、はたしてどれだけいるだろうか。

我々が質問したことのみお答えになる。余計なことは仰らない。それも我々が理解できる平易な言葉で時間をかけてお答えしていただける。普段から清浄な生き方を実践されておられるので、答えはその生き方の中にあるのだと思う。人を指導する立場の人間はこうあるべきではないか。自分が正しい生き方の見本になるという。

少しでも近づきたい。生きた見本が身近におられる幸運。有り難いと同時に、自分に成長がないのなら、それはあまりにも努力不足だと思うのだ。


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2013年05月18日

名医。

「足跡」

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今日は、お布施をする為にかみさんと「慈しみ寺」に出かけていた。体調を悪くしていたので久しぶりである。デニヤーイェ・バンテーもスリランカから戻られており雑談に話しが弾んだ。

当然鉄人は自分の体調のことでご相談した。体調が悪くこころが不安定な時のアドバイスをいただきたかったのである。バンテーが真っ先に仰られたのは、「無常観」の大切さであった。

どんなに体調が悪くても、こころが不安定でも、無常という流れの中での一コマとして現状を捉える。今の状態もいずれは変化して行くものだということに気づくことで、それまでより冷静になれこころが落ち着くのだそうである。

次に五戒を守ることの大切さ。悪いことをせず正しく生きているという根源的な自信が、たとえ今体調が悪かろうと、生き方へのブレはない訳で、その清浄なこころの有り様が自らを救うことになる。と説かれた。

また感謝のこころ、すべての生命への慈しみのこころを持つことも、こころを落ち着かせることになり、仏陀への帰依も同様であるとバンテーはアドバイスをされた。

そしてこころが落ち着かないと、ヴィパッサナー瞑想はできないことも助言いただいた。

こころを穏やかにする音楽も効果があるそうである。とにかく仏教では、落ち着くこと冷静であることが最も大切なこころの状態だと教えているのである。

体調が思わしくなく、不安感や焦燥、虚無感、無力感など、こころが休まることなく波立っていた鉄人へのバンテーからのご説法は、「仏陀こそこころの病を治す最高の名医である。」と本に書かれたスマナサーラ・バンテーの言葉を、まさに裏付けるものであった。
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2013年05月17日

腱鞘炎。

「田植え」

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今度は腱鞘炎である。やっと体調が良くなってきた矢先、鉄人、また違う病気を患ってしまった。右手首が晴れ上がってしまったのだ。原因はパソコンのやり過ぎである。

写真業界もデジタル全盛の今、写真の画像修整はプロカメラマンにとって必須の作業になってきた。鉄人の場合、この作業を他のカメラマンより多分丁寧にやる。元々画家志望であった鉄人は、この作業が結構好きで得意でもあるのだ。

物凄いスピードでマウスを右手の人差し指で打つ。点描画を描いている感覚に近い。ただキーボードを打つのと違い、右手の人差し指にだけその負荷が集中するのである。

何時の頃からか、右手の裏側に軟骨の様なものが飛び出してきた。多少違和感はあったが作業が出来ない程ではなかったので放っていた。そして先日、とうとう手首が根を上げたのである。

しかし仕事は続く。中指で打ったり左手にしてみたりと難儀も続く。ブログも更新出来ない。しかし毎日シップを取り替えていたせいか、やがて腫れも引きだした。そして今日晴れて?ブログが更新できたのである。

残念ながら今後この環境が変わる訳ではない。また腱鞘炎が酷くなる可能性は充分にある。だが今回ひとつ悟った。精神的病の方が百倍辛いということを。
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2013年05月08日

鍼。

「若葉」

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体調が大分良くなってきた様だ。まだ完全ではないが仕事は滞りなく出来る様になってきた。病院で受けた血液検査の結果は、良好とまでは言えないが、薬は必要としないレベル。内蔵関係は問題がなかった。

しかし一昨日まで、体調は最悪だったのである。いろいろ自分で調べてみて出した結論は、更年期による体質の変化、及び仕事のストレスと多忙による慢性的な過労。カメラやパソコンによる眼精疲労からの肩痛や首痛、目眩など。総合的に判断すれば、自律神経失調障害となった。

その様な体調の変化で一番恐れたのは、こころへの影響である。掴みどころのない不安や恐怖心が常にこころから去らず、我を失いかけていた。自分のこころをコントロールするのが難しくなっていたのだ。

これは恐い事である。これは大変な事になってきたと青ざめた。精神安定剤を服用すれば一時的には気持ちが楽になるかもしれない。しかしそれは常用してしまう様になる危険がある。薬は毒でもあるという事実。薬は避けたい。

そこで定期的に通っている鍼灸院に出かけた。鍼や灸が、精神的な病に効くかどうかは分からなかったが、ものは試しである。そのものは試しが結果的に鉄人の体調を劇的に改善させたのだ。

ドSであるここの先生は、本職は整体なのだがやたら鍼を打つのが好きである。藁にも縋る思いの鉄人だから、普段ならまず頼まない鍼や灸が打ち放題なのだ。先生嬉々とした表情で(うつぶせの鉄人には見えないのだが間違いなく)、物凄い勢いで鍼を乱打し始めた。

背中、肩、首、頭、腕、何十本も刺しまくりである。おまけに鍼には灸がついているヤツもある。痛いし熱い。鉄人完全に降参。這々の体で家に戻ると、ソファに倒れ込んだまましばらく立ち上がる事も出来なかった。

ところがである。翌日になると、何だか頭が冴えてる。疲労感が少ない。こころの獏とした不安や恐怖心が薄れている。そんな感覚になっている。不思議だが事実である。薬を飲んだ訳でもないし、心理カウンセラーに相談に乗ってもらった訳でもない。

ただ鍼をブスブス打った。この感覚は何だろう。先生がしたのは、多分身体のバランスを整えたのだ。バランスを整えた事により、身体の様々な機能が正常に動き始めたのではないか。身体が正常になればこころも正常になってくる。身体という精密機械の微妙な狂いを、鍼を打つ事で正常に戻したのだと推測出来る。

鍼がすべてでは勿論ないが、鍼を打ったことで、鉄人の体調が劇的に好転したことは、まぎれもない事実なのである。
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